第9章:2000.後期

 9-1● 
 仕事のせいでさっぱりレースに出られなくて更新も手つかず。合間を見てチョコチョコ乗っている程度ではやはりダメだった。麗蘭のツアーの後半の7月23日、東京のライブの翌日が空いたのでカオス・飯塚君を誘い山王峠~小沢峠を走った。他のカオスの面々は佐渡で合宿か酒盛り中。この日は予想最高気温39度で、そのせいか9時半の多摩湖の待ち合わせまでのウォームアップで既にいつもより1割心拍が上がっていた。それでも序盤はそこそこ走れ、「さっきの坂、心拍いくつまで行った?」「178です。」「オレ160行かなかったよ。」「えー?なんでこんなに違うんだろ。」なんて圧力をかけていたのだが、山王を数秒差で超えて名栗川沿いを北上し始めたとたん両ふくらはぎがつる。そのままこらえて回し続けるが小沢の上り口で休憩を申し出た。止まったが片足がペダルから外せず飯塚君の手を借りるという情けない状態。ストレッチで回復したが兎に角暑い。いくら水分を採っても足りない感じ。上りはもう全くダメでどんどん置いていかれた。先の東京バーディの激坂で力を使い果たしたという飯塚君にその後の2つの短い上りでは先行出来たが平坦になってからはまた大きく遅れた。瑞穂でラーメン屋に入るがあまりの疲れに半分食べるのがやっと。あのツリざまといい、これはやはり熱中症・熱射病かもしれない。一人ゆっくり帰るつもりで、ここで解散しようと提案したが彼が俺のCDが欲しいから家まで来ると言う。嬉しいけど辛かった。

 8月1日、京都で麗蘭ツアー終了。何とか20日のレースまでに調子を上げなければ。4日にKIKI Band で群馬・桐生市でコンサートがあり個々自分の車で行くことになったのでPinarelloを積み翌日赤城山を上った。毎年五月頃にカオスでこのヒルクライムをやっているがいままで一度も参加出来なかったので初コースだ。国道沿いの「道の駅」に駐車して3km先(渋川寄り)の登り口を目指す。赤城への道は以前有料道路だったルート。昨日の宴会の席で主催者が「古い設計の道路だからズドンとまっすぐ登っていて角度がきついよ」と言っていたが、なるほど、上り始めて6kmほどでぐっときつくなってきた。しかもカンカン照りで8時半から走り出したのだがどんどん暑くなる。地図では上の大沼まで19km、奥多摩の時間で考えて予想経過・到達時刻を設定するがどんどんオーバーして行く。ステムにボタボタ汗が落ちる。速度も度々10km/hになってしまう。6~13km地点までの平均速度10.7km/h、最低速度7.9km/h。しかし平均心拍154、最高161という按配で心肺には余裕のはず。またしても脚力とのアンバランスが証明されてしまった。結局最高地点のエネルギー資料館とかいうところまで上り始めから15.5kmを1時間16分40秒、平均12.2k/h。そこから大沼までは下りだったのでいささか拍子抜け、到着後さっさと資料館まで上りなおし売店でバナナ牛乳を飲む。なんと空はかき曇り、大汗でずぶ濡れ状態での下りはウィンド・ブレーカーを着ても寒かったが、車に邪魔されることなく登り口まで20分、平均45km/h、最高62km/hで快適なワインディングだった。

 しかしこう暑くては復帰トレーニングもままならぬ。 

 9-2

8月20日、2ヶ月と10日振りのレース。日刊スポーツ・ツール・ド・ジャパンの第2戦 、修善寺ステージだ。JCRCに準じたクラス分けになるので Dクラス、日本サイクルスポーツ・センターの5kmコースを5周。 いぬふぐり青梅支部長、Eクラス6位入賞で昇格してきたヤル気バリバリのさいぞう(32)と対決せねばならぬ。カオスの飯塚君(37)もいぬふぐりでDエントリー、 この間小沢峠で脚がつって自転車を降りられなかった醜態の雪辱を果たしたいが彼はB認定を受けたこともあるので手ごわい。自転車からウェアまで常に最新のパンターニ・ルックで固めて有名な、カオス保谷君(36)も同クラスだ。チーム・プレイと縁のないレベルの我々ではまず仲間に勝ちたいからこれはオオゴトである。しかし夏場あまりトレーニング出来なかったし オレは大人だしなあ、と諦めもほのかに漂わせつつ会場入り。軽くアップを済ませ9時10分召集、30分スタート、87名出走。 右回りなのでまず<心臓破りの坂>を逆から上りそれを下ってからは緩いアップダウンだ。先頭の20人くらいの中にいるのに心拍は150台。なんか楽だぞ、ひょっとしてオレって調子いいんだろうか、と一瞬思ったがやっぱり錯覚でした。2.4kmあたりから続くだらだら上りで一挙に苦しくなり167まで上がる、順位は下がる。そのさなか、「あ、どうも」とかなんとか言いつつさいぞうが抜いていく。アシストせいっ、と心で叫びつつ「おお」とさりげなく返すが、くそっ、全然速度が違う!1kmこらえて下り連続コーナーを飛ばし1km弱、最後のきつい上りが500m程あってから200mくらいの平坦でゴールライン。2周目に入り抜きつ抜かれつではあるが着実に順位は落ちていそうだ。4,5人で下りで飛ばしているときに 左から保谷君が流麗なフォームで抜いて行った。付いて行こうともがいてラインが乱れたのか、続いて左を来た選手と接触、反動で右のやつにも当たる。65km/h位だったので ヒジョーに怖かったが弱気になったらこけると「ウオー」とか「ガー」とか怒鳴り合い気合いを入れた。驚いた保谷君が振り返るがやっぱり置いていかれた。そして3周目、前半力を温存していた連中が出て来る。保谷君の背中が向こうにずっと見えてはいるが近付けない。まだ並んでこない飯塚君にプレッシャーを感じつつ踏み込んでいるつもりが回らなくなってきて1周目にさいぞうに抜かれた坂などでは遅さに逆に心拍が楽になり150を切ってしまうという情け無さ。147という数字を見た時にはこれじゃイカンと奮起、また167,8まで上げる。下りを懸命に飛ばしていよいよ左カーブ後最後の上りにかかる。3月にここで2人抜いているから何としてもこの坂では順位を落としたくない。上げたいが前は離れている。しかし皆きつそうだ、ダメでも行ったれ!カミさんもニコンF3をかまえつつわめいているではないか。心臓バクバクでダンシングしつつ詰めて行き1人抜きその前のヘロヘロの様子の選手を見ると、もしやさいぞうか!?

最終コーナーからの上りでエジキになる選手達を
見据える早川。真ん中がさいぞう選手。

初めは目を疑ったがあのゼッケンは間違いない。このままそっと後ろに付いてゴールで刺せば簡単に勝てそうだ。しかしオレはそんな小さな勝負にこだわる人間ではない。迷わず左から前進する。と、オレに気付いたさいぞうが突如蘇ってガンガン踏んでくる。こっちも必死に先行、二人で左右から1人2人抜き、絶対彼の方が平坦が強そうなのでとにかく踏みまくる。そしてフィニッシュ、かろうじて0.8車身差くらいで競り勝った。吐きそう。ここで本日最高心拍の176(低い)を出した。へんなチーム。
 リザルトは39位/87名、32分05秒。3月より29秒遅かった。さいぞう君がいなかったらもっと遅かったろうからこれもチームプレイの一種なのか?保谷君には間に4人、16秒及ばず。飯塚君は次週の乗鞍に余力を残したか30秒余り後ろでフィニッシュ。

 9-3● 

何だか知らないがこの夏はよく脚がつる。2月のカオス合宿では連日100kmくらい走っていて平気だったのが、思えば5月末にカオスのクラブランでワカモノ3人と競り合ったせいで帰路の昼食中に座敷で突如つりまくりのたうったのが前兆だった。幸い俺のクラスの通常のレース距離ではこの激ツリ症状は現れたことが無い(今年の冒頭に記したが60~80kmで訪れる)。
 次が9-1に書いた7月23日の小沢峠。そして実にひどかったのが9月2日、関東が今年の最高気温を記録した日。前項9-2のレースでAクラス優勝、ついにSクラス昇級となった浅倉君と荒川自転車道の浦和・所沢バイパスとの交差点で9時に待ち合わせ、自転車道を北上し一般道に出て東松山の物見山に1時間余りで到着、ずっと後ろで平均心拍134で楽をするがカンカン照りだ。先行していた飯塚夫妻と合流し、浅倉君の先導でアップダウンの激しい14kmの周回ルートに出るが既に家から50km、気温は39度超。コース半ばから早くもつり始め足首を突っ張らせたままなんとか一周は走り終えるが兎に角暑くて脱水、自販機のお茶やスポーツ飲料を三本飲み干す。遅れて合流した彼らの仲間がもう一人加わり、今度は浅倉君が移籍(?)した強豪チーム<ゼルコバ>の一周5kmの練習コースに出るがすぐの上りで早速ひどいツリ。下りでごまかすがまず
右脚が腿からふくらはぎまで突っ張って動かなくなり、止まっても降りられそうもないのでギャアギャア悲鳴をあげながら無理矢理ギシギシ回す。しかし次のやや長目の上りで今度は左が動かせなくなりとうとう路肩に止まった。捻れるような痙攣・激痛に跨ったまま身動きできず冷や汗と暑汗?だらだらで時が過ぎるのを待った。やっと動けるようになって暫く押して歩いてからストレッチをしようとしゃがみかけたら片脚がつま先までまっすぐに突っ張りまたしても激ツリ、のたうつ。その後は他メンバーが2~3周する中軽いギアでゆるゆるとスタート地点にたどり着いた。山から下って食事後皆と別れ鶴ヶ島~入間と大型貨物に蹴散らされつつもハイペースで走れ、回復したと思いきやまた襲われた。所沢までの最後の10kmは何度も休みながら上り坂では歩道をよろよろ走るという体たらくで100kmを終えた。しかも二日たってもまともに歩けなかったという我が生涯最大のツリであった。

 その一週間後の9日に仙台の近郊の山を仙台在住のカオス若手・I 君の案内で雨の中60km程走った。この時には全く問題なく、逆にI 君がひどくつってしまい気の毒だった。そして昨日15日、飯塚君といぬふぐり新加入の山田氏とで多摩湖~小沢峠等85km走ったが76kmでつった。それでも何とか続けたが自宅まで2kmの信号で、止まるために左ペダルからシューズを外そうとひねった途端ギョエ~と激ツリ、5,6分動けず。
 一体ワタシに何が起こってしまったのだ?全く動けなくなるような「激ツリ」は昨年12月の「もてぎ99km」ぐらいしか無かったのに(高尾~糸魚川300kmだってそんなことは起きなかった)今年はどうしたことだろう。昨年までとの大きな違いと言えばこの夏のロード・トレが少な目だったことか。或いは今年からジムのメニューに加えたバーベルを背負ってのスクワットがまずいのか。そう言えば9/2、15共にその筋肉痛がしっかり残っていて走った。ジムだとつい見栄を張ってウェイトを重くしちゃうしな。あ、そうか、激ツリ・準激ツリの陰に常にいる人物が
 ・・・**×+だっ!! 

 9-4

 次回レースは10月末の秩父・吉田町の<龍勢ヒルクライム>だ。しかし10月は仲井戸麗市バンドのツアーなのでトレーニング不足になりそうだ。昨年9位の、数少ない一桁順位の可能性のあるこのレースをいくらかでも有利にするために一昨日の9月27日、車にピナレロを積んで試走に出掛けた。ポイントになる急勾配の箇所と距離をサイクル・コンピュータにインプットしつつ上った14kmは50分10秒。去年の本番は44分59秒だったから練習としてはこんなものか。本当はもう一度細かくチェックしつつ上るつもりだったが下りで身体が冷え切ってしまったので(実は先週走ったタマもきつくて一回でやめたというのを朝電話で聞いちゃったから)取りやめ。帰りに泥ネギ、でかい椎茸、ツルムラサキ、ナス、コンニャクを買った。安い!

 で、その翌日である昨日は一日仲井戸のリハーサル。そして今朝何となく去年のトレーニング・データを見ていたら何と同じコースの試走が49分08秒ではないか。この時はシューズを忘れてスニーカーで走ったのに1分速かったとは。説明しちゃうとだね、レーサーシューズってのは底の前方にクリートという金属あるいは硬質プラスティックのプレートが付いていてこれが専用ペダルの金具にガチャンとはまるようにできているのだ。これによって踏み込んでいる時だけでなく引き上げている時も入力出来る。底の材質も力を逃がさないように固く薄くカーボンなどで造られている。更に俺の使っているSPDペダルというやつは小型なので普通の靴底では非常に踏みにくく滑り易い。こんな哀れな条件だったのに。しかも、一昨日は数日前に大枚をはたいて買った新しいシューズを初使用したのである。自転車だって超グレードアップしている。もうゲゲゲっと落ち込んでいたところにタマから電話。「ピナレロ向いてないんじゃないの?練習用にしちゃえば?」などと言う。クソっ、と練習用モゼールで激坂トレーニングに出た。午後はプールでオバハンたちを追い抜きまくった。ヤケクソついでに3万円もするT社のペダルを玉川サイクルに注文した。新シューズにもこのペダル用のアダプターを買い足さなければならない
(¥3,900もするんだ.SPD用を買ったばかりなのに.)。ああなんてツライ人生なのだ。

 9-5 ● 

 昨日10月29日、久々のレースは前述の<第3回龍勢ヒルクライム大会>。いぬふぐり新会員・山田氏の快適ドイツ製ワゴンで雨模様の所沢を5時半過ぎ出発、1時間半余りで受付場所の秩父・吉田町の施設「元気村」到着。受付を済ませたものの雨は強くなり一向に組み立て、ウォームアップをする気になれない。車内でコンビニ食を腹に入れたりぼけーっとしたりしていたが8時を過ぎ重い腰を上げセットアップ、寒い。9時半に走り出して6km先のスタート地点に向かう。後輪の跳ね上げで尻がビショビショで気持ち悪い。10時20分からスタートなのに早々と召集・整列、開会式。雨のなか周りは「寒い~、早くスタートさせろ」という雰囲気だ。

 ようやく20分、エキスパート&A(10,20代)、23分にB(30代)が出て26分C(40代)&D(50代)のスタート。レース・デビューの山田氏(41)も同じCクラスだ。エントリーは41名と少な目の上この天気で出走をやめた選手も多そう、ということは自信のあるやつの比率が高い?スタートからゼルコバ二名とパインヒルズの一人が中心で引いて行く。ゼルコバの一人は40歳、すなわち去年出ていたとすれば違うクラスだったワケだからこれで既に順位が一つ下がったも同然だ。などと下らん事を考えている場合ではない。7、8番手でおそらく11、2人の先頭集団(道幅が狭く曲がっている上にまだ勾配がゆるいので速度が速く後ろを振り返るどころではない)を走る。2.5kmあたりから傾斜が序々にきつくなってくると後ろの50代クラスから常勝・大塚和平氏などがずんずん前に出て来て集団は長く伸び4.5km地点の最初の激坂で予定通りチギれてしまった。 ここでは先にスタートしている30代が早くも2人降りて押し歩いている。こちらもややもすると10km/hを割り込んでしまい力を絞り出そうとハンドルを引くと前輪が浮いてしまう勾配。
実は9月27日に加え、今月も16、26としつこく走りに来たのでどれ位い耐えれば勾配が緩くなるか分かっているので少しは心理的に楽な筈だがずっと後ろにいたであろう選手に抜かれて置いていかれるのは絶望感をあおる。

 5.7kmからの2つ目の激坂で5,6人抜きはするが、こちらが抜けるのは20,30代の落ちてきている選手ばかり。ヒルクライムの常ながら今回も同クラスは先に行ってしまったか大分後ろにいるかで単独行になってしまった。ここいらで2人の同クラスに相次いで抜かれた。勿論暫くは付いて行こうとあがいたが。なぜここまで俺より遅かったヤツがあんな速度差で行けるんだ?やっぱり序盤マイペースで走るべきだったのだろうか?その後先に抜かれたヤツは抜き返すことが出来た。しかし雨は随分強くなっている。やがて行程3分の2あたりの太田部峠のピークに到着、ここまで33分44秒は3日前より1分32秒速いものの本番なんだから3分ぐらいは縮めたかった。下り前に少しでも有利にと30代を強引に抜いて前に出、1kmにも満たない下りを飛ばし最後の上り区間の上武秩父林道に突入。右折のうえコーナーに格子状の溝のふたがあり泥も溜まっていて、本来下りの勢いで突っ込みたいところだがこの雨でグッと減速してから上り始めることになった。後ろが気になるがさっきの30代が見えるだけでやや安心。しかし順位を上げるには同クラスの背中を見たい。射程圏内に同クラスが残っている可能性は低いがあと4kmの辛抱だ、兎に角踏むのだ。しかし相変わらず追い越せるのはワカモノばかり。ゴール前1kmのところでよろよろガードレールにつかまったヤツがいたので「あと1km!」と励ます。なんていい人でしょう。結局40代を抜けぬまま単独スパートでフィニッシュした。47分18秒の15位。がっくりだ。昨年より2分19秒も遅かったし順位も一桁ならず。下山ルートで大塚先生と一緒になり(当然クラス優勝)、「去年より2分以上遅かった」とこぼしたら「こんな天気だからみんなタイム悪かったんじゃないの」と言ってくれたがどうにも悔しい結果だった。練習不足は分かっているが、あまり根を詰めすぎても本業に差し障る。脚が強くなる酒、発明されないモンだろうか?