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2002年その後
昨年9月のJCRC川場大会でぱったり途絶えていたこのページだが、’03年の記載を始めるにあたりその後の状況を簡単に書いておこう。昨年は川場以降殆ど走り込む目処が立たなかったので「今年はこれで終わってしまうのか」と記したが実はもう1レース出た。10月27日の龍勢ヒルクライムだ。国内ツアーやマレーシア・レコーディングなどで全く乗れていなかったのだが、小径車クラスがあったのでエントリー。8名参加、結果4位。GIANT 24″改20″の選手と出走前喋っていたら乗鞍のタイムがオレよりすこし遅い。彼に付くのを当面の目標にと思ったのだが2kmも行かないうちに置いていかれる。さらにバイク・フライデイにも抜かれ、全然抵抗できず「あーあ、3位か。しようがねえなあ。」と暗く苦しく走っていたら14kmのゴール手前1.5kmでなんとツーリング仕様のDB-1にあっさり抜かれてしまった。レーサーウェアさえ着ていない、カジュアル・バイクウェアのワカモノである。な、なんでこんな終盤にこんなことが起きるの?みんな疲れてんだろ?慌てて追うが縮まらず、ゴール手前500mの追い越し禁止区間までに差を詰めたが届かず。ゴール後2位のバイクフライデイ君に「ホームページ見てます」と言われ、一層うなだれたのである。下山して駐車場に戻ったら浅倉君やパインヒルズの倉林さんに「えー、こんなので出て優勝じゃないの?」と散々な言葉。しかし1,2位は確かに速かったぞ。もはや小径車ブームのお陰でこのクラスは安住の地ではなくなってきたな。
11月は1ヶ月近い欧州ツアー、12月も国内ツアーが2本などと多忙で殆ど乗れず。実走は11月末に多摩湖を流した程度で12月に至っては1時間のローラーを2回やっただけ。
2003年スタート
さて年も新たになり、まともに走らねばならぬ。恒例カオス・レーシング初詣ランは天候不順のため中止。5日の日曜の通常クラブランは保谷夫妻とみどりさんしか来なかったがこれを初詣ルート<浦所バイパス~富士見有料~川越・喜多院参詣~16号で大宮・指扇のイタリアンで昼食~荒川自転車道~浦所バイパス>にする。行きは苦しくも快調に飛ばしつつかすかに脚ツリの予兆、帰路の浦所ではメロメロで、奥さんのサポートに後方に下がったきりの保谷パンターニはともかく、「悪いから少し先頭引きます」と前に出たみどりさんにそのまま置いてきぼりにされるという悲惨な有様だった。65km。
7日:ローラー50分
12日:カオス・クラブラン 午後から新年会のため青梅・塩船観音コース 50km。
(この間関西・東海ツアー)
21日:ローラー、30分で後輪パンク中止
22日:多摩湖 55km 最後の15kmはハンガー・ノックもあり全然回せずヨロヨロ。
23日:ローラー1時間
26日:カオス・クラブラン 富士見有料~荒川コース 68km。富士見では最後は島さん、吉川弟のスプリントに付いて行けなかったが5日のような帰路脚ツリや極度のペースダウンもなく大分持ち直して来た。
28日:ジムでスピニング・マシン45分
30日:ローラー1時間
31日:多摩湖 42km 22日よりかなりマシ。
と、1月は約370km(ローラー含む)の走行に終わる。昨年1月もこれくらいだったがランニングとジムをもっとやっていたので比較すると運動量は少ない。一昨年は450km、’00年は650km走っていたのでこれではアカン。でも今年は寒いからなあ・・・。
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2~3月中旬
2月あたまはマレーシア。帰国翌日の6日にローラー1時間、8日に1時間20分、9日1時間。10日は多摩湖で33km、12日ピストで3本ローラー1時間20分、13日も3本1時間。14日はジムで筋トレとスイム1000m。15日固定ローラー45分、16日1時間15分、17日多摩湖42km。しばし国内ツアーで不在後23日多摩湖~岩蔵街道(カオス・クラブラン途中離脱)50km、25日ローラー40分、26日筋トレ&スイム1200m。27日山王峠~小沢峠で60km、28日筋トレ+スピニング20分+スイム1200m。2月も計410kmに終わる。一昨年なんか600km走って月末には早くも下総のJCRCに出場していた。昨年は2月半ばにランニングで膝をいためたから250km位だったけど。1月よりは大分まともに走れては来たが長い距離をやっていないのが気がかり。
3月、ぼちぼち4月初旬のチャレンジ・ロードに向けて負荷を上げていきたいところ。しかし忙しくてさっぱりである。2日清瀬から多摩湖を経由して青梅方面に向かうカオスのコースを多摩湖から逆走して清瀬に向かい合流して再び多摩湖を走って午後仕事があるので離脱、45km。4日午前中からスタジオ入りなのでその前にジムで筋トレのみ。5日ローラー1時間、6日40分、8日1時間、9日前週同様多摩湖逆走・カオス合流~岩蔵街道で離脱60km。10日からの1週間の東海近畿ツアーが車移動だったのでCarreraを積み込んで行くが演奏~打ち上げ~半二日酔いでホテルのチェックアウトまでに走るってのはなかなか出来ない。まともに走ったのは豊橋~遠州灘の往復28km(すごい強風のため距離の割にいいトレーニングになったが二日酔い)と新神戸~六甲山有料道路入り口あたりのきつい上りをやったくらいだった。神戸は坂がきついので自転車の需要が少なく店もあまりないと言われているが、ホントにすごい。青谷という地区だと思うが行き止まりの激坂が無数にある住宅地でよくこんな所にと感心する。六甲の上りも随分上の方まで開発されていて人も車も多いが自転車は一台も見かけなかった。住んだら強くなるなという考えがよぎったがこんな激坂を上って帰宅するにはトレーニングを軽めに抑えなきゃなんないワ。16日に帰ってきて18日に再開、ローラー45分。こりゃあチャレンジ、きつそうだな。
そう言えば、Moser をみどりさんのローラー用に売却。フロントエンドとBBの距離がかなり詰まっているので、峠でヨレ気味のときに車を気にして後ろを振り返ったりするとぶれた前輪につま先が引っかかりよろけてしまったり、以前書いたがボーっとしてUターンした際に厚手のシューズカバーがもろに前輪を右に切った状態で止めてしまいこけて頭を打ち脳震盪を起こしたこともある。そんなワケであまり乗らなくなっていたところ新年会の席で話が決まってしまった。危ないものを押しつけたのではないぞ。彼女はローラー専用にするので構わないという納得済み。なので練習はもっぱらタマさんに「硬くて使えない」と酷評されたクロモリのCARRERA。カオス斉藤女史から入手した旧デュラエース・クランクに同じくカオス古寺女史からの新デュラSTI、みどりさんからのデュラのアウター(これは53Tなのでいずれは52Tに替えるつもり)と、女性陣の無言の励ましをうけつつ走っているのだが、どうも調子があがらんのは励ましではなく祟りが秘められているのか?
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3月下旬~チャレンジ、草津
3月はその後、小沢峠~山王峠を回る60km弱のルートを二回、カオスで多摩湖~小沢峠75kmを一回、ローラー1時間二回、ジムのスピニングマシン40分。前日小沢・山王を走った30日、多摩湖でカオスに合流しようと家を出たら大塚和平氏に遭遇。新しいコースだというので誘われるまま付いていったのが運のツキ。アップダウンのきつい、しかも下りにタイトコーナーがいくつもあるような2.2kmの周回をパインヒルズの猛者が30周のバトルを繰り広げる。付いて行けたのは2周目まで。15周で「午後から仕事だからなあ」と独り言い訳をして降りるまで3回もラップされて退散した。
<4月6日第28回チャレンジ・ロードレース> 4月に入っても忙しく、1日に多摩湖を走ってから青梅街道旧道から多摩湖への600mの上りを花見客を尻目にインナー・アウター交互に10本、2日にジムでスピニング40分、という乏しい練習量でついに6日今季緒戦のチャレンジ・ロード。
修善寺・日本サイクルスポーツセンターの5kmコース3周、結果は惨敗。エントリー82名中50位。デビューの97年~99年はB5(40代)が脚力でA・Bに分けられていたので比較は出来ないが(勿論下位のB。99年に17位だったのでAに昇格の筈が翌年から区分けが無くなった)順位としては最低、タイムも昨年より1分10秒も遅い32分50秒。自分より少し速いヤツに行けるところまで付いて行くといういつもの気合いも「ここで無理したらあとが・・・」という実に弱気なありさま。それなのにゴール後はひっくり返ってゲホゲホいっている体たらくであった。いよいよ引退か。
<4月20日第8回ツール・ド・草津> さてその週後半は仕事でマレーシア、当然暴飲暴食暴演。ホテルでスクワットをして気休め。月曜帰国、火、水とローラー1時間20分ずつ。金曜に多摩湖で30kmばかり走ったのみで19日土曜にカオスの面々と総勢8名で草津入り。あいにくの雨の中6kmばかり上っておくが下りでこごえる。風呂場で会った浅倉君は何とゴールまで行ってきたという。げげげ。夕食後の酒宴は程々に終了、と言ってもいつものように先に潰れる。
6時起床。雨は本降りだ。女性陣3名のうち2名出走取り止め。浅倉君はホテルのスキー用具置き場でローラー。9時からの開会式~10時のスタートまで雨の中つっ立っているのは嫌だ。ズルして遅れていく。装備は散々迷ったすえ半袖ジャージ+アームウオーマー+7分丈パンツ+レッグウオーマー+長指グローブにウィンドブレーカー。足にはシューズカバー。スタートまではヘルメットカバーもしておく。10時に各クラスごとに順次スタート、温泉街を5kmのパレード走行。温泉街からスタート地点への上りがなかなかきつくいいアップになる。そしていよいよ13kmのレース・スタート。ここはスタート時からセンサーで個別に計測してくれるところが素晴らしい。乗鞍なんかスタート合図から自分のいるところが動き出すまでヘタすりゃあ1分くらいかかるからな。
スタートしてすぐいいペースで行く浅倉君のチームメイト、ゼルコバの選手がいたのでとにかくダメになるまでは彼に追走しようとする。しかし2.5km位から時としてこっちが前になってしまい、いつの間にか一緒になったTREK5200が結構いい感じ。3kmで先行していったのでこちらに乗り換える。いぬふぐり会長の小判鮫走法。心拍は165~7あたりで丁度いい。やがてBIANCHIを新調して張り切るカオス吉川(兄)君に追い付きセンパイっぽく肩なんか叩いてみる。殺生河原通過が17分52秒。後で調べたら前回18分22秒、悪天候でここまでに短縮された前々回が17分53秒だからまずまずだった。ここからがきつくなって前回は脚が回せず心拍が150台から上がらなかったが今日は落とさないよう心掛け、ギアも入れられるところはなるべく重目を踏む。と言ってもインナー38T、リアは12~27なのでせいぜい21。ぼちぼちTREKに付いて行けなくなったが新たなペースメーカーも現れあえぎつつも30代の選手たちを抜いていく。しかし辛い。脚は当然だがハンドルを持つ手のひらが痺れて無感覚。尻のナントカ筋も痛てえ。ヒイヒイ声が漏れてしまう。それに加え霧で視界が悪い上グラスが曇って困った。指で内側を何度も拭うがよろける。やがて単独行になり「あと3km」の看板、やっとここまで来た。「あと2km」余力が不安なれど悔いの残らぬようややペースアップ、「あと1km」の看板を過ぎ最後の500mで更に上げてゴール手前の平坦路は踏み倒してフィニッシュ。そのまま倒れるかと思ったがよろよろと駐車場に誘導されコケずにペダルを外せた。
レストハウスで預けてあった荷物を受け取り下り用に着替えて(オートバイ用のカッパの下は実は長袖アンダーにホテルのバスタオルを羽織った情けない格好)ごった返す中でココアを飲み歓談後下山。またまたサングラスが曇って全然見えず0.1の裸眼でのキョーフの下り。
結果:49分09秒、エントリー162名中23位。順位は連続14位の’00年、’01年より落ちたもののタイムは前回より3分半以上短縮(あのときは強風だったからなあ)、平均心拍も殺生まで165、後半164(前回159/156)とタレることなく走れ良かった。勿論カオスではトップ。保谷君には24秒差まで迫られたが。元カオスの浅倉ゼルコバは俺より10分以上も速く30代クラス連続優勝。総合優勝は毎度の村山利男氏で同じ40代ながら36分台だった。という訳で、練習不足にも関わらずチャレンジの個人的雪辱を晴らせたってところか。
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5月~6/1エンペラー・カップ
5月はスケジュールが合わず参加出来るレース無し。関係ないがジムで常設ではない高性能測定器(チェーン展開のスポーツジムなので他支店間を定期的に移動)で有料の「体成分検査」というものを5月6日に受けてみた。自転車乗りとしては気になる体脂肪率は9.3%、標準値は14~23%なのだがプロは5%。アマチュアとしてはまずまずか。がっかりだったのは筋肉量。7段階で上半身は標準より一段上だったが下半身は標準値内だった。そんな筈は・・・。その他タンパク質、脂肪量、骨量など問題なく体格判定グラフではやせ型のエリアに近いものの筋肉質の範疇。総合的フィットネス・スコアは一般としては最高値の85ポイントだったがアスリートの目標は95以上ということであった。心拍の解析がなかったがこれは以前別のマシンで計ったら20代前半にしても良すぎるって言われたな、ムフフ。
ツアーが二本あったりと何かと忙しかった5月、走行は440kmに留まる。数日間連続で乗れない期間が何回かあったが20日からは仕事が殆ど都内だったので6月1日のエンペラー・カップに向けてはかろうじて乗っておくことが出来た。そのエンペラー、数日前には台風までやって来て大荒れ予報の天気だったが明け方には雨もほぼあがり一安心。タイヤが殆ど新品だったのでスリップが心配だったのだ。パナレーサーのストラディアス・エクストリーム。ミシュランのアクシュアル・プロに似たスリックだがグリップ力は高そう。今まで使っていたストラディアス・プロもその前モデルも耐久性に不満があったのでそこいらが気になるところだ。
今年はクラス分けがなぜか46~55歳となっていて、これでは20、30代をも年中打ち破っている強豪50代連中と一緒になってしまうではないか。まあどっちみち入賞とは程遠いのだから関係ないが。コースは筑波・真壁町の人造湖「つくし湖」を中心とするアップダウンのある3.6kmを5周の18kmで大きい上りは二つ。エントリーは67名、再び降り出した小雨の中11時40分スタート、まず平坦~緩い下りで700m、そこから直角右折で350m行きUターンして来て直線400mほどの上り、同じくらい下ってから左折してやや曲がりくねる上りが600m、その後300mゆるい下り上りがあって直角左折でスタート・フィニッシュ地点への500mの平坦路というレイアウトだ。真中あたりでスタートしたが最後尾に近かった大塚選手がもう前に行っている。密集状態で飛ばすが右折前で大きく減速、ほぼ1列で直線を進みUターン地点でまた詰まる。ターン後どっと加速して一つ目の上りへ。ここで15番手あたりか。下って左折の二つ目の上りで4、5番手に。しかしまだ入れ替わりは激しい。結局1周目は7、8番手で2周目に入るが良かったのはここまで。平坦~下りで先頭集団からこぼれそのままどんどん抜かれる。一つ目の上りに入る頃には分裂した第3集団あたりからも離される。二つ目の上りでカオスの島さんに追い付き先行、しかし前のグループには全然届かず後ろの3人ほどとも離れて単独走行になってしまい消耗。3周目その後続の2人に抜き返され置いていかれるが4周目終盤でなんとか距離を縮め3番目にへばり付く。最終5周目の一つ目の上り、3人の2番手だった内房レーシングK選手が後ろから飛ばして来た別の選手のケツに乗り換えたのにくっつきペースアップ、そのまま先頭に出る。下り・平坦はテキの方が速いのは明らかだったのでまだアタックは早過ぎかと思ったが更に後ろにいる島さんとの距離も気になったので決断。下りでやられるかと思ったがK氏にピッタリ後ろにつかれたまま二つ目の上りへ。ここで離さなければ勝てない、と必死にもがく。少しは開けられたが先は不利な平坦だ。もうフォームも何もデタラメで踏みまくるが案の定再び後ろに付かれゴール直前に並ばれた。ここで最後のモガキで再加速、なんとか20cm差で取った。と言っても先頭はとっくにフィニッシュ(ぶっちぎりで大塚氏)、順位は腹をすかせたタマさん(前のクラス)や妻にせっつかれ発表を待たずに撤収したので分からないが真中あたりかな、くそっ(リザルト表を受け取り次第加筆)。しかし心拍データ上は平均163、最大181(ゴール時)とまずまずの強度で走れた。
・・・・・25位(エントリー67名)、タイム32’20″141、トップからは3分も遅れてしまいました。