その131 (’05/ 8/14)
6月15日、第3期HAYAKAWA ラストギグ 江古田 BUDDY。前月のアケタ以上の入りに感慨ひとしおである。愛知、滋賀、長野など遠方からも来てくれた。
1. No Shoes 2. Dressler#36(新曲) 3. バリタコ 4. 04/11/20 5. 玄武
<休憩>
6. SC-61(新曲)7. Syllogisme Colonial 8. 04/8/21 9. Pedal Tones 10. 294
en1. Triple Spirals
en2. Masakomasa shuffle
いい演奏だった。常連の皆さんも絶賛、解散を声だかに惜しんでくれた。この前のアケタの感触からライブレコーディングすることも頭にはあったのだが結局準備の余裕なく実行せず。
7月下旬、オレゴン州ポートランドからジョセフ(ジョー)・トランプを呼び寄せ KIKI Band のレコーディングが行われた。10年位前に共演した梅津氏、演奏を見たことがある鬼怒君と違い俺は初対面、しかし圧倒的陽気さとパワフルで汗を飛び散らす演奏に相性だ何だというみみっちい問題は雲散霧消だ。アメリカン・ロック魂+ファンク+ジャズロック+プログレ+エスニック+アヴァンギャルド+・・・要するにワシらにぴったり。複雑な曲もミスをくり返しながら覚え込んでしまい本番テイクでは譜面は見ない。そして何と言っても音がデカい。俺は密閉型ヘッドフォンをしてヘッドフォン内のバランスではドラムを殆ど消してあるというのに数メートル離れた彼のナマ音で耳に衝撃を食らうこともしばしばだった。反面、スローなものでは繊細な構成力も見せてくれる。全体を通して、堅実なところ、崩れるところ、暴れるところなどいいバランスのドラミングだった。彼も梅津さんのフリーキィなソロや鬼怒の弾きまくりっぷりに大喜びしていた。鬼怒によれば彼は俺の事を「Crazy」だの「Monster」と<絶賛>していたそうだ。そのままの意味だったりしてな。まあ「ポートランドに来たらハヤカワに弾いてほしいユニットがいくつもある」と言ってくれてたが。
今回は7曲(梅津3曲、鬼怒早川各2曲)だったがその組み合わせも非常に良い感触。もうすぐミックスダウンだが仕上がりが楽しみ。
8月7日、青梅の山里走行中突然前方を横断し始めた爺さんを急減速・斜行で避けた仲間と接触・転倒、左肘骨折。9日からCOILの関西東海ツアーだっていうのに。思えば2001年9月飛び出してきた子供の自転車をよけてガードレールに突っ込み鎖骨骨折、この時はツアー4日前、今回はツアー2日前の骨折、なんと同じバンドである。鬼怒が代役にナスノミツル君の手配もしたのだがここで欠場したのでは「もう自転車はやめてくれ」と言われかねない。日本自転車界の為にも無謀とも言える決断をしてカルシウムとコラーゲンの錠剤をむさぼりつつ名古屋・京都・神戸・豊橋と直角ギブス姿で弾きまくった。こんなことをしてて骨はちゃんと付くのだろうか。幸いにしてCOIL後は戻り日(土曜)と日曜の休みを挟んで麗蘭リハが1日、あとはKIKI Band のミックス2日、SALT 再発2枚組のマスタリング1日という具合で金曜の北海道ライジングサンRock Fes までライブはない。育ってくれ、我が骨よ。毎回医者に回復が早くて感心されるが今回はいかに。
その132 (’05/ 8/26)
8月19日、石狩湾の、日本最大規模と言われるRising Sun Rock Fes に行ってきた。11時に千歳に着いたら雨、しかしその後快晴、そして出番5時半の1時間ほど前から再び雨になり猛烈な土砂降りに。だが1,2曲終えると雨は上がった。会心の演奏だった、ホント。
この角度からだと差程違和感がないがローポジションで手のひらがネックと平行に出来ない図。津軽三味線っぽい手の形だな。ここらの音を抑える為には楽器を右に寄せねばならぬ。
残暑の中、相変わらずのギブス姿。しかし下側だけのハーフパイプ状だから石膏ギブスよりスマートだし包帯をほどけば外せるから腕も洗える。あまり開けなかった左手指も次第に良くなり低いポジションではまだオクターブを押さえられないものの23日のCOIL(ジロキチ)では普段と変わらない、加減のない演奏が出来た。大きくブインとスライドするのはまだ無理だが。前日のMissing Link では最後の曲のベースソロで頑張り過ぎてしまいかなりの痛みが走り関節が熱くなってしまったが大丈夫だった模様。しかし演奏に加え、再開した運転のせいで左肩の疲労が気になる。愛車のアテンザ・スポーツワゴン何とかかんとかはマニュアルシフトなのだ。直角の左腕にはこれが応える。肘を上げて身を乗り出してシフトチェンジ、最も遠いローギアは場合によっては身体を傾け右手でやることもある。ハンドルは殆ど片手。おまけに我が家から大抵の現場までは片道1時間15分はかかる。
問題はウッドだ。明日は某ホールでストリングスと共に静かめのコンサート。腕を上げていなければならないから持っている靴のなかで一番底の厚いワークブーツを履いてベースのエンドピンを引っ込めて高さを最低にして練習してみた。それでも踏み台に乗りたいくらい。ネックは太くて押弦は大変だしエレベに比べたら大幅にポジションを移動しなければならない。出番が少なめなのと激しい音楽ではないのが救いだがどうせ本番になると余計な気合いが入ってしまうのだ。
その133 (’05/ 9/11)
病院は家から200mの整形外科である。骨折から3週間後の8月29日、ギプスを外し9月1日からリハビリを開始。待合室にはライオンズの選手の色紙が20枚ほど飾ってある。真ん中あたりの空白は松井稼頭央選手のスペース。これは大リーグ入りしてから院長が自宅に持って帰ったのであろうか。広島カープの選手も1枚だけある。
リハビリは可動範囲の狭くなっている肘周辺を15分温マットで暖めたあと整骨医がマッサージしつつ強引な曲げ伸ばしを15分という内容。これが実に痛い!!小学4年の左腕骨折時(この時は関節のすぐ上)もこういうことをしたのを思い出す。椅子に真直ぐ座っているのだが次第に身体が逃げて左に傾いていく。いつも締めくくりに情け容赦のない強烈な曲げを施され、「お、おおお、うわっ」と声がもれ涙を滲ませつつ「はっはっは」と照れ笑いせざるを得ない。骨の形成時にはそこに刺激を与えたほうが成長が早まるのだそうだがこんなに痛くて本当に大丈夫なんじゃろか?下腕が真中でポッキリ折れそうな感じ。お陰で最初は頭のテッペンに指で触れるのがやっとだったのが手のひらをぺったり付けられるようになり、左手では口元に届かなかったグラスの酒も飲めるようになり、と動きに関しては回復はかなり早い方だと言われている。しかしまだ上腕二頭筋に負荷をかけるのは禁じられており、従って自転車はまだ。固定ローラー台でのトレーニングは再開したが前傾姿勢を殆ど片腕で支えるのは結構キビシイものだ。
そんな日々の中9日に片山広明、つの犬とトリオで国立 NO TRUNKS で演奏した。オーナー村上さんが87年のアルバム「Drei Sherry」の再発CDタイトル「99」に引っ掛けたらしい。気心知れた仲間というか今さら知りたくないというか・・・。いやいや、いい演奏でありました。ケンちゃんやっぱりいいなあ、ツボが分かってるし無茶もするし、とか、やっぱり片山はすげえな~、あんなに飲んでるのに、とかね、2人と演奏出来ることに謙虚にも感謝しましたよ。なんだか、こういう瞬間があるからベース弾いてるんだよなあ、って感じました。出来具合の割には大袈裟だけど、心の方向性としてね。
その134 (’05/ 10/6)
病院の壁の色紙の事を書いた翌日、どういうわけか松井選手の色紙が戻っていた。リハビリは相変わらず続いている。まだ一杯に曲げても指先が肩から2cm程のところで止まってしまう。リハビリ中は最後の方ではかろうじて肩に触れるのだが。整骨医は「ここからは日常そうは使わない範囲だからきつくなりますよ」と嬉しそうに言う。「痛みに強い方だねえ」、いやいやひたすら失神するのをイメージして力と気を抜いているのだ。ここのところツアーなどで行けず11日間空いてしまう。退行してしまうのがオソロシイ。
ロードトレーニングも9月13日から開始。その日整骨医に「自転車で来ているの?」と訊かれ、すぐそこだしまだ前傾姿勢を支えられないから乗っていない、と返事をすると「いや、そうだろうけどママチャリなら乗っているのかと思ってね」「乗っても大丈夫かな?」「あとで先生(主治医)にきいてみれば?」ってことで、乗ってもヨイと自己判断。先生は週1回の診察の度に俺が「まだ運動はいけないだろうか」「どの程度まで負荷をかけてもいいだろうか」としつこいのでいささかうんざりしているようだから敢えて訊かず、さっそく左腕をかばいながら20kmほど。翌々日には35km、数日後には40kmと間隔はあけつつも走り始めた。痛いことは痛いものの、刺激を与えたほうが骨の成長に良いと言われたから、とすべて都合のいいほうに解釈。
ウッドベースもちゃんと(いや元々ちゃんとじゃないから以前のレベルで)弾けるようになったと思われる。9月30日には4月のオペレラシティに続いての渕野繁雄・尾花輝代允プロデュースのナマ音コンサートが横浜みなとみらい大ホールで行われた。国内最高クラスに入る音響の施設である。ソロで弾いたスコットランド民謡<グリーンスリーブス>が実に気持ち良かった。高音部を弾いたときの豊かな残響、低音のふくよかさ。実を言うと本番はそんなことを味わう余裕はなかったがリハの時ね。他に何とアース・ウィンド・アンド・ファイアーの<Fantasy>を渕野のテナーとデュオでやったのも面白かった。
その翌日久々に山陰を訪れた。米子空港から米子駅までのバスに乗る時にトイレに行く余裕はあるかどうか「あと何分で出るんですか?」と初老の運転手にきくと「あー、まあ皆さんが乗ったらじゃね」という返事。いいねえ。この日は安来のZoo & Zoo という店で、この地出身の松阿彌靖君(vo,g)のライブ。ドラムの田中栄二とのトリオだ。楽しい演奏に旨い酒と料理。
次の日は松江。午前中松江に行き、高校の2年先輩で玉造温泉の旅館・山の井経営者、ソムリエ資格保持者、出雲玉造アートフェスティバル・プロデューサー、その他色々フル稼動中の青砥さんと会う。学生時代から膨大な読書量と音楽美術への深い造詣を持っていた彼の話は芸術全般多岐に渡り言葉は止まらない。喫茶店からフランス料理店<ムーラン・ドール>に場所を移し、時折手が空くとテーブルに来るオーナーシェフとはワインと料理の専門的な話題にもなる。会場入りの3時半までの5時間、実に濃い会話であった。俺が口をひらいたのは1%くらいかな。
さてこの日の演奏も盛り上がったが寝不足続きなので店でビールを2本飲んだだけで皆と分かれホテルに帰った。翌日はCOIL で横浜。朝ホテルの大浴場で宍道湖を眺めながら温泉につかり、朝食バイキングはややイヤしく和洋取り混ぜ食い、9時半に松阿彌君に連れられ3人で「堀川遊覧」。松江城の濠から町中に続く堀を13人乗りの船で45分ほど回るもの。これは手軽でなかなか良い観光だった。そのあと出雲蕎麦を食べ松江駅からの空港バスで米子空港へ。これが想像とまったく違う、センターラインのない田んぼと山のくねくね道を走ったしする、着いた時と共に旅情深いバスであった。
ところで今回の小ツアーは松阿彌君のアルバム<Goodbye Ambitious Boy>の発売記念ということでもあった。ぜひ探して聴いて下さい。俺は4曲参加している。そして今は音楽性大違いの藤井郷子バンドのツアー中。依然弾けない曲ばかり。
その135 (’05/ 11/02)
リハビリは近頃週2~3のペースだ。指先が肩に触れるところまでは大分前にたどり着いたのだがそこから先が遅々として進まない。施術されている時は結構曲るのだが時間が空くと戻ってしまう。順調ではあるのだがまだまだだ。
COILの東北ツアー、10月13日のいわきから始まり盛岡、仙台、郡山と4ケ所。色々話合いなどもあり内容は進展しつつある手応えがあった。前日にオムロンの体重体組成計という代物を購入したのだが体脂肪、基礎代謝、骨格筋量、内蔵脂肪などが測定でき<身体年齢>というのが出る。これが34歳なのだな、俺は。そういう訳で暴飲暴食可の御墨付きを貰ったような気分でツアーに出たもののやっぱりどこの打ち上げでも暴飲前に眠り込んでしまうのであった。その後身体年齢は一回だけ33になったり2、3回35になったがほぼ34で一定である。この調子だと100歳でも66か?そんなわけないね。
10月19、20日は片山君のレコーディング。江古田バディで昼過ぎからやって夜はそのままライブレコーディングにするというアイディア。アルバム一枚分を昼夜1回ずつ、単純計算で都合4回録っていいテイクを選ぶという。メンバーは俺以外は渋さ知らズからのセレクトで総勢17、8人だったか。実際は二日目の昼は曲を絞って重点的にじっくりやったりと単純ではなかったが。初日にウッドでやったミンガスの「フォーバス知事の寓話」がどうも気に入らず、エレキベースに替えて更にドラムにも4ビートではなくロック系のドラミングにしてもらった2日目昼間のテイクが個人的にはハイライト。ウッドでミンガス曲のソロなんてどうしたってミンガスから抜けられないしミンガス様に申し訳ない出来にしかならぬ。全体的には片山曲「ドランケンシュタイン」や古いラテンナンバー「ソラメンテ・ウナ・ヴェス」も良かったな。面白いアルバムになるだろう。
28日は SALT 14年振り復活2回目にして最終ライブ、国立 NO TRUNKS。1回目のアケタではドカドカ行き過ぎた感があり(個人的にはもっと行っても構わなかったんだが)「次はもうちょっと決めごとを減らして音量的にも楽な感じで」なんて言っていたが、フリーの部分が増えたもののやっぱりドカンドカンと演りました。では2回の曲目を。
10/9 アケタの店
1. カミネコ
2. コメ・コメ・コメ
3. Tochi
4. シャーマターラのマサカリ
<休憩>
5. 844
6. サラミ
7. 河童
8. 音頭
9. Aedegemn
en. Triple Spirals
10/28 NO TRUNKS
1. カミネコ
2. Free improvisation~Tochi
2. コメ・コメ・コメ
4. シャーマターラのマサカリ
<休憩>
5. 844
6. サラミ
7. Free~音頭
8. 河童
en.Aedegemn
どちらも大勢御来場いただき好評、大好評の内に終了、次も14年後なら2019年だ。よろしく。
その136 (’05/ 12/06)
なかなか自分のバンドの新メンバーを決めかねているがそんな中、11月26日にアケタでこのところ年に1、2回やっている2~3管編成のリーダー・セッションを行った。前回は4月。顔ぶれは片山広明:ts、後藤篤:tb、中山努:g、北澤篤:d。当初は違ったのだがスケジュール調整をすすめるうちに片山以外は最近のMissing Linkみたいなメンバーになってしまった。・・・と思っていたら本番2週間に片山君、酒で入院。3日目にMac雑誌を持って見舞いに行ったが「来週には復帰」と豪語された。俺の方は手早く代役にアルトの立花君を頼んでしまったので片山君、「気の早い奴だなあ。じゃあ3管でやろう。」といささかムッとしていた。しかし翌日の検査でマズい箇所が見つかり治療のためあと3週間入院ということに相成った為予定通り(?)若手2管。後藤君は昨年の「アケタ30周年記念早川オーケストラ」にも参加してもらったし近頃はMissingLinkにも加入。立花秀輝君は10月の片山のレコーディングで見事なソロをして気になっていたのでこの機会に要請。中山さんはキーボードがメインだがギターも素晴らしい変態振りなのでこの際ギターのみでお願い。ドラムはいつの間にかいくつものバンドで組むことになった北澤君、これでゴールデン・リズムセクション。4時半過ぎからリハを始め7時過ぎ、お客さんが入り始める中なんとか終了。漠然ともっと気楽でドカンとしたものにするつもりだったのがいざ日にちが迫ってメニューを決め始めると結局ややこしい曲が多くなってしまってメンバーの皆には苦労をかけました。オレだったら「こんなのいきなり出来る訳ねえよ」とふてくされてしまうところ。
<曲目>
1. Am 2. いかれた地図 3. Tochi 4.Caravan
~休憩
5. エレキドラゴン 6. バリタコ 7. Down,Down 8. 玄武 //アンコール Watermelon Man
#1はHAYAKAWA曲。遅く怪しいレゲエ調から始まりP-Funk的騒ぎに。#2は変則ブルース進行の曲だが元来これも遅いレゲエ風なのでテンポを上げてハネたFunkでやった。#3はHAYAKAWA<骨>にも入っているがSALT<86,90,91>でこのたび日の目を見た方のルーズなアレンジで演奏。#4はエリントンの名曲を中近東ラテンとツイストの下品なアレンジで行った。
#5、COILでやっている(いた)曲だ。管楽器向きのメロディではないので迷ったのだが96年HAYAKAWA 1stのレコ発ライブでゲストの片山が吹いたことを思い出しやってみた。しかしヘヴィロックに管、これは選曲ミスだったかも知れない。#6のバリタコ、これもHAYAKAWA曲。<骨>以上の中山変態度が良かった。#7は古くは83年<Dynamite>,<Live at Moers>に収録されているDr.梅津バンドのお馴染み曲。遅い8ビートに乗ってフリーな感じで入り乱れ終盤に単純なテーマをしつこく繰り返す。#8、HAYAKAWA初期およびKIKI Bandのレパートリーのヘヴィな中東風ロックでダメ押し、もう皆さんヘトヘトのようだったがアンコールで西瓜男。管のハモリはオリジナルのコピーだが吹き方は思いっきり品なくして頂きリズムもキャバレー風ラテンのアヴァンギャルド版。こうして長い夜は終った。しかし本当に長かったな、曲数は少ないのに。誰のソロが長いんだ?
今回は店長兼ミキサー兼フォトグラファーの島田君がエンジニアとして出稼ぎで不在のため写真無し。
さてその後の片山君、点滴生活のお陰で見る見る復活、予定を1週間繰り上げて30日に退院、なんと二日後の12月2日、アケタの渡辺隆雄セッション(渡辺、片山、早川、宮川)に現れた。「おお、来たのかよ。あれれ、楽器持ってんの?おいおい、大丈夫か?」って感じでリハ~本番。いやあ、本人は5,6年振りのシラフ・ライブということでやりにくそうだったが、やっぱり素面の方がいいよ、演奏は。って前回8,9年前の入院~復帰の時も周囲から言われてたけどね。息が続かんとか足に来るとか言いながらもしっかり吹きまくってた。「かかとが疲れた」と言いながらトーゼン素面のまま早々に帰って行った。終盤現れたほろ酔いのベーシスト望月氏に「杏林(病院)に帰るの?」だの「再入院はいつなんだ?予約してあるんだろ?」などと言われながら。めでたしめでたし。
ところで昨日MC900が弾きたくなって午前中リズムマシンとヘッドフォンで弾きまくり午後MissingLinkのリハにも持って行った。都内某区民センター音楽室、ここのアンプは懐かしの名機ローランドのStudioBass-100。久しぶりに弾く頂き物の78年製MC900もいい調子だ。前半は抑えていたが後半の通しリハで気合いもろとも全員音量が上がってしまい2曲目のベースソロに入ったところで職員のおばちゃんがどういう訳か黒板消しを片手に飛び込んできて「建物中にドンドン響いてる!!」と激怒されてしまいました。高校生バンドじゃないんだからちゃんとしなきゃね。
その137 (’06/ 1/16)
12月のことを書かないうちに年が変ってしまった。目標隔週更新。
12月6日、鬼怒の音頭取りで横浜 Stormy Mondayでドラムの沼直也君とのトリオ、沼君とは以前phatというバンドで何度か対バンになったことがあるが演奏するのは初めて。決めごとなしのジャム・スタイルだったが面白く出来た。店のアンペグのヘッドが修理中で代わりの同じくアンペグの薄型SVT Pro2を使用、そのせいかMC924では低域が足りない感じがして900の方を多用した。1弦がフェンダーJBっぽい細めの音質だが総じていい音だった。
12日から麗蘭ツアーリハ開始。勿論長い。休憩もあまりない。しかし自分のフレーズの組み立てや音色、楽器の選択など試行錯誤が楽しい作業でもある。その合間を縫って16日に大泉学園のin F で会長こと翠川氏とのデュオを行った。俺がスケジュールをブッキングした行きがかり上仕切りを任されてしまった。6時頃集まってリハ。会長の曲はいつも緑化でやっているので主に俺の曲の合わせ。HAYAKAWA曲の<Tochi>、<バリタコ>を持って来てみた。二人なのだからあくまで自由な展開の為の素材である。その他に<手品師のルンバ>、今までの唯一の我々のデュオであるKowloon収録曲<Tango>。さらに早めに到着していた会長が店にあったJazz曲集からセレクトしていた、マイルス&エバンスのバラード<Blue in Green>。あとは会長曲の<Thousand Eyes><Seul-B>あたりということで本番突入。店の木の内装とチェロとウッドベースの生音が心地よく響き合う、少音量の中での幅のあるダイナミクスが表現出来た夜であった。というのは自賛し過ぎかな。曲順は演奏しながらほぼ我輩が決定させて頂いた。最後にもう1曲やりたくなって(会長は早く終えて飲んだくれたがっていたが)静かな<あの日>(会長曲)で終ったが2ステージ目は長過ぎたかも知れない。音域が混ざりあうこの二つの楽器、あえて同じように共にピチカート、或いは弓弾きをして混在させたり、またこちらが高域で弓、会長が低域でベースラインという具合に逆転させたりというところも我々の柔軟性っつうかイイ加減さの素晴らしい所産だった。
さて麗蘭、今回のツアーはいつにも増して実に有意義であった。空き日に大阪の自転車工房に行ってオリジナルパーツを、、、ではなくて。バンドとして確固たる進歩の手応えがあったのはチャボ・コーヘイ共々認めるところ、更に個人的な発見があった。ギブソンのトライアンフ・レコーディング・ベース(通称レスポール・ベース)、今までも時折その独特の音色を鳴らしてきたが今回はその個性の生かし方が見えてきたのだ。新曲でストーンズのある古い曲のベースの色を取り入れて欲しいというコーヘイ君のリクエストがあり、その何日かあとスタジオに向かう車のなかでサックスの泉邦宏君のアルバム「おとのさち」をかけていた。サックス類、ヴォーカル、ギター、ベース、三弦など殆ど彼一人でやっているのだがそのベースの音色に興奮を覚えてしまった。モチロン俺のほうがいいに決まっておるのだがその適度に太くてネバネバしてズルズルしているプレイにちょっとした衝撃を受け、「俺にはないこのいい感じはごついMCじゃ絶対出せないな。そうか、レスポールなら近い感覚がある。この感じをイメージの隅に置いてあの曲をやってみよう!」と閃いたのである。あの顔はあまりアタマに浮かんで欲しくないが。という訳で早速その日から使用したら見事にハマった。あの小さいボディ、細いネック、弦の張りの頼り無い、それでいてブワンと太く鳴り且つ弾きにくいレスポールを通して、俺なりに面白い表現が出来たし楽器に合わせた弾き方で今まで自分とは遠かったタイプのビートの感覚に気付かされた。結果数曲で弾くことになり皆にも高評価を受け大成功。譲ってくれた永野かおりチャンに感謝。
ツアー最後の磔磔の三日間、あのスペースに連日350人のという満員電車的状況での怒濤の年末のシメは大晦日、京都から直行の幕張メッセでの「カウントダウン・ジャパン」、そして麗蘭と別れた俺はアケタに向かい例年のようにジャムセッションで新年を迎えた。ホントは機材引き取りがあったのでひとり早く京都から戻り、車で幕張~西荻という動きだったのでいつものように酒が飲めず、そのかわり自分のエレベも他人のウッドも散々弾いた。1時ごろから、最初は古澤さん:d に「オマエとやる」と御指名を受け、加藤:g、くるみ:pとエレベで2曲、すごく久しぶりの古澤さんは実に楽しかった。あとはどうだったっけ?渋谷さん:p、加藤、楠本さん:dとのカルテットはウッドで、これも良かった。宮野さん:asや十数年振りの関根:pやキヨシローのバンドでの幕張を終えてきたナベ:tpともやったし俺の知らないサックスとも二人やったかな。そして明け方現れた、それこそ25、6年振りじゃないかという秋山:gとのゆるいファンク・ジャムも良かったぞ。その他色んな人と弾きまくったあげく5:40、じゃあ帰るワ、とまだ皆は演奏していたが突如家路についた元旦であった。
実は昨夜(1/17)からこのiBookがチョー不調。さっきも書いている最中に徐々に画面が薄くなって横線だらけでフリーズしてしまった。とりあえずさっさとアップします。誤字脱字は御勘弁を。
その138 (’06/ 2/10)
上記の不調はどんどん進行した。あの日は時折息を吹き返したので慌しく外付けHDにバックアップ、しかしは翌日は朝からダメ、松阿彌君のレコーディングのスタジオにまで持ち込んでヒマさえあれば再起動ボタン、しかし暗いままである。そしてそのままKIKI Band のツアー出た。
帰ってからまあ変わらないだろうと思いつつも十日間ほっぽらかしておいたので電源を入れたら<?>マーク点滅後グレーの林檎マーク画面のまま無音状態で数分経過、ようやくカリカリ音がし始めて更に数分経って起動した。これは単純にハードディスク交換で直りそうだと思いつつ、ついでにハードウェアテストというCDで起動してチェックしたところ「異常なし」だと。そして再起動したところ数秒おきに画面が紫や薄緑、青、赤に変化するのみで「きれいだな」とも言ってられずその後も再起動を繰り返すが真っ暗。さらにしつこくその翌日夜中帰宅後電源を入れてみたら起動したので素早くHDを初期化してOSを再インストール、期待していなかったが無事成功した。明け方までバックアップHDからデータやアプリを移していた。・・・のだがやっぱり駄目だった。バーロー!!
その後チャボの事務所にスケジュール関係のメールをした際についでに不具合のことを書いたらリュウ君に「それはロジックボードだ、リコール対象機種では?」とアップルサイト内のそれについてのアドレスを教えられた。周囲にも多いらしい。早速調べたらアタリ!!Q&Aに出ている各種症状もぴったりだ。なんと2004年から無償修理しているではないか!?そんなこと直接教えて欲しいよな。アップルからのメールニュースにはあったのかも知れないが広告だと思ってよく見ないからね。で、購入から3年の無償修理期限まであと2ヶ月、助かった。コールセンターに電話してその翌日引き取りに来て一日おいて戻って来た。機械的にはすんなり直ったものの不必要な初期化をしたために何だかんだと復旧に手間取っている。
新生KIKI Band のツアー、なかなかハードなスケジュールであったが絶好調を維持し切った。18日ジョー・トランプ来日、20日12時からリハ、後半は翌日ゲストで入る今堀恒雄:gを交えて7時過ぎまで。21日は新宿厚生年金会館ホールでの「Shinjuku New Year Jazz Festival 2006:Pit Inn 40周年記念」に出演、短い時間ながら濃い内容、2曲参加の今堀君はさすがの好演だった。
そして翌日からロード開始。移動は鬼怒のマツダMPV、これにメンバー4人+マネージャー多田の5名に大量の荷物である。初日は松坂のM’AXA(マクサ)。アメリカ南部風酒場といった趣きだが広めで天井も高い造り、スタッフはそちら方面の音楽にマニアックな人たちとお見受けした。いい音で気持ちよくでき、打ち上げもそのまま店で自慢の料理の数々という上々のスタート。
翌日は早くも空き日、次の福山にむかいつつ手前の岡山県美作市湯郷(ゆのごう)温泉は「たつみ山荘本館」にて一泊。気持ちいい露天風呂ととても食いきれなかった「三色すき焼き」(という名前だったかな、牛・鹿・猪)、日本酒、ワインで俺は早々と潰れたがそのあと皆は温泉街に車で下りて(鬼怒君はノンアルコール)ビリヤードなどしてきたらしい。
福山はカフェ・ポレポレ。小さめのところだったが開演時にはぎゅうぎゅうの大入りでびっくり、大盛り上がりで2曲目にして「もう一回やってくれぇ!!」と叫ばれる。最後の「空飛ぶ首」開始早々4弦をブチ切ってしまいアンコールでは横にあったマスターのFender Precisionを借りた。60年代らしきその楽器、いい鳴りだった。
次いで岡山のMO:GLA、ここは2000年にCHABO Bandのツアーで来ている。音もいいし料理もこれまた良かった。何故か「HAYAKAWA」(96年)を持ってサインを求めてくれる方が多い。その後のは売れなかったのか・・・。
翌26日は京都・磔磔。あまり多くは入らなかったが怒濤の演奏は留まるところを知らず皆さん狂喜(の筈)、麗蘭ファンの方々も来てくれた。酔ったなあ。まあ連日だけど。
27日は西に戻って大阪 NuThing。ここは10月に藤井カルテットで来たが前回同様<Niche>という面白いライブを色々企画している集団の主催だ。本日もオシャレな店に似合わぬ怒濤の演奏、ブロック12個をストッパーにしているのにジョーのバスドラが前にずれまくり。
翌28日は名古屋・得三。本日はブロック16個+ガムテープでバッチリ。観客も大勢、終盤まっしぐら。幸いにして酒はそれほどまっしぐらではなかった(つもり)。
29日、帰ってきて新宿Pit Inn。立ち見大入りの中で締めくくり寸前のエキサイティングな演奏。さすがに演奏後は俺と梅津氏は俺の車で帰ったがジョーは鬼怒やスタッフと焼肉屋に行き食いまくったという。とにかく大食い、大音量、大汗かき。
そして最終日はいわき市たいら・クィーン。もともとPitInnが最終日の予定だったのだがCOILで10月に行った時に生向委のころからの付き合いのDADDYマスターから「梅津・早川で何かやってくれ」と言われたので「実はかくかくしかじか」と我が輩が売り込んだ成果デアル。到着した途端DADDYに「チケットが売れ過ぎて困ってる」と言われたとおりの大盛況。こうして一気にぶっ飛ばしたツアーは無事終了した。ジョーと俺とは彼いわく「Brother of different mother」でそのグルーヴは「Double heads octopus」。自賛し過ぎかも知れないがうねり続ける高くて分厚い大波になった感覚だった。ジョーは音はでかく音数も多いのにちっともうるさくない。例えばベースソロの時は殆ど一対一のバトルみたいな音量音数なのに全く邪魔にならずこの上なくやりやすい。PitInnに来ていた渡辺隆雄曰く「音数が多いのに空間がある」。早くまた一緒に音を出したいものだ。ハヤカワをスーツケースに入れてアメリカに持って帰りたいと言っていたジョー君に31日朝別れを告げ俺は鬼怒と東京へ、梅津・ジョー・多田はと成田空港へと解散して無事終了。ジョーは帰国後インフルエンザで寝込んだそうだ。
その139 (’06/ 3/09)
2月17日、ティアラこうとう大ホールで『Tiara Rock Fes<WORDS>』
~出演:CHABO BAND、SION(SION:vo, 松田文:g)、三代目魚武濱田成夫(詩人・朗読)
の終演後、シオンの楽屋にて。左から:松田、シオン、早川、サーシャ中村。サーシャはかつて俺がシオンのバンドをやっていた頃(91~97、8年)のチーフ・ローディでこの日は遊び。千葉ロッテ・マリーンズの地元ファン、下にはマリーンズのユニフォームを着ていて袖のチームマークをまくると同じマークのイレズミ。昨年の優勝記念タトゥ・デビューだそう。シオン+文ちゃんは相変わらず素晴らしかった。
3月1日、片山広明「with 渋さ知らズ」のレコ発ライブ、江古田BUDDY。レコーディングメンバーに加え翠川さんも呼ばれておりリハ後は居酒屋で「打ち合わせ」となり絶好調で本番に突入。演奏には鬼気迫るものがあり、カウンターで見ていたI君が後日くれたメールに<「今日の早川さんは凄い」とメンバー達が言っていた>と書いてあった。ぐわっはっは、凄いだろう。・・・よく見たら「開演前に」という言葉が文頭についていました。本編最後の真理ちゃんが歌う「飛行機」、リハの時に俺の分の譜面がなくてキーボードのさっちゃんが本番までに書いてくれることになってたんだけど始まったら無かったので翠川氏と「CとF弾いてりゃあ大体合うだろ」と楽器交換までしてしまったが二日後麗蘭のリハの時にズボンのポケットから折りたたんだ譜面が出てきた。ちゃんと書いてくれてたんだな。失礼つかまつった。でもAmやDmも耳で拾って合わせてたよ。あ、チェロ弾いてたのか、俺。知らねっと。
その麗蘭は5日、渋谷Eggmanでの25周年&CD「磔磔2005盤」発売記念ライブ。あの空間に340人で酸欠予想も出ていたが意外に快適にできた。お客さんは大変だったろうけど麗蘭にしてはコンパクトな2時間半弱のステージ、いいサイズだったのではないだろうか。内容もグルーヴも濃かった。
さて、猫ばなし。12月12日から面倒を見ている野良猫がいる。鼻筋が半分黒いので「はんチャン」、本名「半蔵」と命名しており昨年夏から我が家の庭先に現われるようになった若い雄である。性格はおっとりしていて同じ様にメシや猫小屋や車の屋根での昼寝に訪れる他の雄猫たちとも仲が良い。これはこれで不思議で、我が庭を縄張りに取り入れている雄が6、7匹いるのだが威張っている年輩の一匹を除いてみな仲がいい。一緒に丸まって寝ていたりする。おまえらそんなんで大丈夫なの?と時々問いかけているのだが。人間同様、近頃は中性化しているのだろうか。で、この半蔵、一週間ほど姿を見せなくて心配していたところ12月12日の朝、猫小屋にうずくまっていた。ひどく具合が悪そうで野良なのに抵抗もせず捕まりすぐ病院に連れて行くと、重度の通称ネコカゼ、ウイルス性のもので肺炎を起こしており助からないかも知れないと言われる。しかしそれから毎日注射2本と点滴に通い医者も驚く回復を見せた。俺は一週間後に麗蘭のツアーに出てしまったが、その間の妻の献身的看護で流動食を注射器で口に注入する状態から次第に自分で食べるようになり、先代の猫トイレをちゃんと使うようになりと元気になった。しかし若い雄ゆえどうしても外に出たがるので正月からちょくちょく外出、だがちゃんと帰ってくるし夜は必ず自分の寝床と定めた居間のケージ(中型のオリ)で寝る。ほぼ家猫と化しつつあった。
しかししかし、あまりの事なので触れていなかったが今度は交通事故。大雪の1月21日、KIKI band 初日・厚年ホールのライブから帰って風呂に入っていたらズタボロの有り様で小屋にうずくまっているのをカミさんが発見して大騒ぎ。ケンカの外傷だろうとタカを括って風呂から出るとどうもそれどころではない。獣医に電話すると向こうも入浴中であったがすぐに対応してくれた。鼻と左大腿骨骨折、上アゴ剥離骨折、口内もひどい裂傷、さらに腿には一旦骨が飛び出したことで大きい裂傷。頭部の強打で耳から出血、顔面も内出血という状態。緊急手術・入院となった。俺は翌日から前記のKIKI Band ツアーに出てしまったが妻は連日面会に行っていた。退院は2月1日。肺炎と言い今回と言い医者は彼の生命力にビックリ。
お気に入りの古いストーブの前で伸びをしている図。
脚はギプスを使えない箇所なので曲げてテープで胴に固定している。ネコカゼの後遺症がまだ残っていたので長めの麻酔が必要な、プレートを入れる等の手術が出来なかったため。
油断しているとテープをむしってしまうのでやむなくエリザベスカラーを付けて
日向ぼっこしている図。
とにかく大変。三本足でトイレに入るからうまく介助しないとテープが濡れてしまう。元気になるに従ってテープをむしり取ろうとする。脚も動きが活発になってきてテープがずれてしまう。なんとかスポーツ用テープやガムテープで補修するがすぐにどうにもならなくなり2、3日おきにテーピングをやり直してもらいに行くが場所が難しいため、3本脚で歩けてオシッコもかからずゆるみにくいという条件を満たすのはなかなか困難で、病院から帰ってすぐやり直しに戻るということも2度ほどあった。どんどん外出の欲求も高まり鎮めるのに撫でくり回さねばならぬ。こう言った苦労は殆どカミさんにかかっていたのだが2月26日、ようやくテープ無しになりひと段落。痩せ細った脚をかばいつつの動きも日々良くなって来ている。しかし益々「出たがり発作」の頻度は増してストレスからガラス戸や椅子その他にマーキング行為もするようになったのであちこちにペットシーツ(紙おむつの長方形のもの)を貼り付けている。明日いよいよ去勢手術をするのだが40%くらいは施術後も行動が変わらないそうだ。このまま治まって家猫になって欲しいのだが。
その140 (’06/ 3/31)
半蔵くん、手術の成果あり数日間は時々マーキングの仕種をしたがポーズのみ。しかし出たがって騒ぐのは変わらないどころか体力が付くに従い行動も激しくなってカーテンに登ったり窓付近の棚のものを落としたり。それでも甘えん坊なのでなだめるとすぐ喉を鳴らして足元でごろんごろんとするのだがそうそう構ってばかりいられない。折れた脚がたくましくなってきたらやはり外出させるしかないのかと悩む日々。
さて9日昼、前項を更新した直後に鬼怒から電話、「COIL 明日で解散にする」という。「バンドは今いい状態だがやり尽しもう進歩の余地がない」ということである。残念ではあるがそう言われると特に異論なし、潮時だな。鬼怒、芳垣とTRIOといういい加減な名前で始めて9年くらいか。10日の江古田Buddy、それからの告知だったが大勢のご来場。熱演に指先ヒリヒリであった。
中旬には若手(27)のデュオ・ユニット<ララバイ・ブラザーズ>(ギター・ヴォーカルとピアノ・コーラス)のレコーディング。北澤篤:drとサポート参加である。おなじみ吉祥寺GOK Sound、エンジニアも近藤さん。アルバム10曲中5曲で演奏し、ウッド3、エレベ1、エレキ・アップライト1と三種使用。なんと言ったらいいかなあ、ロック・マインドのジャズ的シャンソン?曲は凝っているし詞も面白い。6月にレコ発ライブ予定。
19日は恒例・アケタでの小生のいわゆるバースデイ・ライブであった。メンバーは渡辺隆雄:tp、小森慶子:sax、加藤崇之:g、磯部潤:ds、早川:b の5人。実はよりによって当日昼間、ブッキング担当者も知らぬ間に店主明田川氏企画のオカリナのライブが組まれており、3~4時頃から予定していた店でのリハが短時間しか出来ないということが2週間前に分かった。その為早々と曲目を決め事前に譜面や音を皆に渡したり構成を練ったりと俺としてはヒジョーに周到な準備をした。従って当日は夕方まで余裕、凄い風の一日だったが朝9時から32kmほど走り、帰ってからはWBC日韓戦の執念の勝利観戦。いや、余裕と言うよりもう気合いで行くしか手が無かったと言うべきか。しかし楽しくも激しく美しい演奏が繰り広げられ大入りのお客さまさまと無理をきいてくれたメンバーに大感謝。
1. Down Down 2. 手品師のルンバ 3. Tarzan In Tokyo (tp,b,d. 渡辺曲) 4. 玄武
<休憩>
5. Freedom Jazz Dance 6. Wormhole 7. バリタコ 8. Caravan en. Watermelon Man
20日、いにしえの名バンド、D.U.B. at Pit Inn。今年は記念すべき結成25周年(だが解散19周年)である
演奏は年一回といえどもマンネリ打破という考えのもと、一部は3曲を軸にして切れ目なく全編フリーでつながる感じ、二部は展開を詰めてコンパクトに7曲(6曲だったっけ?)という趣向。まずまず成功、過去のバンドとは言え大変面白く出来たのである。
となりの写真は片山君のブログから無断借用・加工いたしました。
さてさて、HAYAKAWA 活動再開したします。
第一弾:5月20日(土) 於)西荻窪 アケタの店
第二弾:6月18日(日) 於)横浜 STORMY MONDAY
新HAYAKAWA:赤澤洋次:g、橋本ジュン:g、北澤篤:d、磯部潤:d、早川:b
この赤澤君というのは、実は初代メンバーの石井洋次君です。ご存じのかたはご存じ、特異な才能・感覚を持つ彼ですがHAYAKAWA脱退後の数年間音楽活動から遠ざかっていました。しかしこのたび満を持しての復帰とあいなりました。ご期待ください。
その141 (’06/ 5/02)
隔週更新の誓いはこの度も果たせず。うかうかしている内にとうに桜も散り暖かくなってまいりました。しかし先週は富山で、一昨日は宮城で満開の桜を味わった。とは言え俺は格別桜好きという訳では無いのだった。そんな4月某日、・・と脈絡なく猫のこと。
22日朝10:45、峠に向かうべく自転車と共に玄関から出てふと我が車に目をやったら助手席でアカトラがあくびをしているではないか!?どっひぇ~、何だ一体!!昨晩帰った11:45、楽器を下ろす時に車に飛び込んだらしい。全く気付かなかった。11時間閉じこめられていたワケで、今日は快晴、車内の温度も急上昇中なので蒸しネコになるところだった。それなのに外に出したらボンネットでこの有様。全然懲りないいい性格だ。こいつはとにかく車好きでドアを開けるとすぐ飛び込む。楽器の積下ろしが多い時は捕獲して首に紐をかけて離れた木に繋いでしまうのだがこれも嫌がらずゴロゴロ喉をならして喜んでいる。断っておくがウチの飼い猫でも近所の飼い猫でもなく野良である。出没し始めた頃のことを書いた記憶があったので探してみたら<その29>2000年5月12日におそらく初めて車に乗られたようだ。暑い日だったので楽器を積み終わってから出かけるまで後部ドアを開け放しておいたところ、アンプとウッドベースで一杯の車内にもぐり込みエレキベースを置いてあった助手席のドア内側にオシッコをかけられていたのだ。車内を軽く点検したところ今回は長時間にも関わらず無事であった。あれから6年もたったのか。幼かった彼も相応の風貌になったが相変わらずどの猫とも友好的な子供っぽい性格だ。
夕方仕事に出るのにエンジンをかけたらワイパーが動きウィンカーは点滅、さすがに少しはパニクって色々やらかしたんだなと可哀相になる。後部座席に置きっぱなしだったジャケットはその上で寝たらしく毛だらけ。
これは24日、金沢のもっきりやでのライブの後飲みに行ったPaperMoonのドア前の看板猫。<その123>にも04年12月の同所の看板猫むっちゃんの写真を載せてあるが代替わりしていた。ワタシはここに到着時既にへろへろだったので名前は忘れてしまった。ごめんな。
そうそう、演奏の方は:鬼怒:g、沼直也:d とのトリオで曲ナシのジャム・ユニット。<137>にちょろっと書いた12月の演奏以来2度目だ。面白い。三日間の北陸ツアー。
帰った翌日はCHABO Band のリハーサル、そして乗り込んだ東北最大のロックフェス<アラバキ>。昨年は麗蘭での出演で場所も仙台港だったが今年はぐっと山寄りの柴田郡川崎町の巨大オートキャンプ場だ。道中桜は満開だしいい天気だしステージ脇は湖だし、自転車持って来たかったなあ、ちぇっ、と思いつつもロック魂を呼び起こしてスピーディに35分のステージを終了。仙台の夜を豪遊する間もなく日帰りであった。残念。
その142 (’06/ 6/01)
5月20日、目出たく<HAYAKAWA>復活ライブにこぎ着けた。約1年のブランク。新メンバーは初代ギタリスト石井改め赤澤洋次、ドラムに昨10月の片山広明のレコーディングで共演して以来数回セッションを重ね確かな手応えを感じた磯部潤。赤澤はHAYAKAWAを抜けて以来約5年間演奏活動から遠ざかっていたのだがやはりあの音が欲しくて復帰を促し合意に至る。そしておなじみ橋本ジュン:g、北澤篤:d。スタジオでの数回のリハを経て迎えた当日。こうなると「よしっ、ドカンとかますぜ、見てろよお前ら(誰?)!!バクハツするぞ!!」という気分と「ああ、またあの苦労が始まったのか」という重い気分、更に「少しはラクに構えて楽しもう」という気分、これが三つどもえでぐるんぐるんなのである、繊細な我輩の脳みその中は。
4時に<アケタの店>に入りセッティング、リハーサル。開演ギリギリまでかかるかと思ったが三日前にスタジオに入っていたのでまずまずすんなり進行して余裕を持って食事を済ませ直前に戻ると既に立錐の余地も・・あったが大入りではありませんか!!解散とか再結成というのは入ります。いやいや、通常のライブでも沢山来て頂ける内容にすべく努力を積まねばならんと胆に命じたのであった。さて、まずは「玄武」でスタートする。このバンドの1枚目(早川名義ではあったが)の1曲目、正にバンド復活・赤澤君復帰に相応しい選曲。どど~んとイントロが始まった途端「これだぜ!」という興奮沸き起こりあとは怒濤の渦にまっしぐら。大分テンポも突っ走り気味だったが。以下曲順。
1. 玄武 2. ‘06.01.(1月の<HAの4号>の際の新曲) 3. Pedal Tones 4. Alu Gara
<休憩>
5. Aspide (この日の為の新曲) 6. 11/20(前・新曲) 7. Geopathic Stress (前・新曲、この度命名) 8. 294
encole. Triple Spirals
新曲Aspide はメロディを排する方向で作り込み面白く出来た。今後の手の加え方でどうなって行くか。旧曲も細部を所々手直しした。
某所書き込みに臨場感溢れる描写があったので許可を頂き転載。「 駅から歩いてきて、 あの右に曲がる角のあたりから 地響きと轟音がしてました。 街ごと、ボディソニック、いやグラウンドソニック状態でした。 気分爽快!」。まああのスペースなので聴く場所によっては特定の音が馬鹿デカくお客さんは大変でしょうが。音楽そのものの事もこういう事も進歩させて行かねば・・・。それはともかく、店のMDデッキで録音していたのだが1ステージ目の4曲目と2ステージ目の3曲目が入っていなかった。誰も手を触れていないのに謎である。あまりの振動に勝手に停止してしまったのか、暴音に保護回路が作動してしまったのか。
ここ数日間ヒマを見てはLPレコードやカセットテープの音をパソコンに取り込んだりMDにコピーしたりしている。今やその上部半分は猫が出窓に飛び乗るための踏み切り台と化し残りの半分は譜面やマニュアル本やその他ワケの分からぬものの置き場と化してているレコードプレーヤーを久しぶりに動かしてレコードをかける。ホコリやきっとカビのせいでブチブチとノイズを発しながら聴こえて来る音はやはりCDには無い深みがあるような。昨夜は夜中に思い立ってCharlie Haden の76年録音の<Closeness>と< The Golden Number>という2枚をスポンジで洗って干し、今朝Macに取り込んだ。こんなにキレイにしたつもりでも再生1回目では針にゴミが溜ってしまい2、3回ずつかけて録音するから時間がかかる。猫が飛び乗らぬよう警戒も怠れない。これはなかなか大変な作業だ。洗っても静電気除去のスプレーをかけてクリーナーで拭いても相変わらずブチブチいうしな。やっぱCDって便利だ、と思わずタワレコのサイトでミンガスの「Mingus,Mingus,Mingus」「Great Concert」を注文してしまった。
その143 (’06/ 7/05)
6月18日(日)、新生<HAYAKAWA>ライブ第2弾、横浜 Stormy Monday。不覚にもサッカーW杯日本クロアチア戦当日ではないか。サッカーマニアの渡辺隆雄なんて試合日程を早々と調べて、そりゃ日本戦がいつかなんてとこまではライブブッキング時点では分かってないわけだから国に関わらずだろうけど、ちゃんとそれらを避けて仕事を取ったそうだ。まさかの敗北を喫したオーストラリア戦の後だけに見逃せないわなあ、だから客足も・・・と立派な言い訳の入り具合であったがそんなことにめげる我々ではない。特に我輩は長年に渡り真摯な姿勢で音楽に取り組んできたからそういうことには慣れておるので破竹の勢いで演奏を繰り広げた。今回はインプロすなわち決め事ナシの即興を二種取り混ぜた。
1. 玄武 2. ‘06.01. 3. インプロ#1(ジュン、北澤、早川) 4. Geopathic Stress
<休憩>
5. インプロ#2(赤澤、磯部、早川) 6. 11/20 7. Aspide 8.Alu Gara
encole. 294
二回目ということで前回のようにテンポ的な慌ただしさも消え、更にインプロを入れたことも新メンバー同士のインタープレイを一段上げることになり今後の新曲を練るに当たり役立つ筈。そうである、新曲を作らねば。
さて、またしてもiBookが十日ほど前から不調である(前回<その138>)。画面の角度をちょこっと変えると真っ暗になってしまい、初めのうちは開閉すると直ったがその後はなかなかそうは行かなくなった。ビデオ出力ポートに接続アダプタ(画面をテレビに出すヤツ)をつっこむと回復するがその際アイコンのごちゃごちゃしている本来のデスクトップと何もないデスクトップが交互に数回切り替わりながら戻る。やがてそれもできなくなり二日目には暗黒の画面。もう愛想が尽きて手っ取り早くウィンドウズマシンからアップルストアにMac Book をネット注文。しかし「24時間以内に発送」と書いてあるのに5日目の本日も届かず。今は同じくアップルストアに一昨日注文して本日届いたビデオ出力のアダプタで、邪魔なので処分しようと思っていた古いIBMのモニターに暗黒iBookを繋げて書いている。オーダーしておいてけなすのもナンだが、やっぱりApple はおかしい。電話がかかってきて「1年保証を3年に延長してはどうか」というのだがそれがアンタ、¥31,500である!!13、4万円のものにそんな金額!?約4分の1ではないか。世の中にそんな製品があるだろうか。仮に今回だったら3年2ヶ月だからこの延長保証はきかない。なんだか壊れると分かっているものを買わされたようで非常に気分が悪い。そんな中たまたま昨日目にしたDELの広告では4年間引き取り修理を追加すると¥9,970だったかな。勿論本体ももっと安いし、怒り倍増。次に壊れるまでには音楽関係などWindowsに乗り換えられるようにするぞ!!
それにしてもサッカー、世界の技は見事だね。どちらを応援というのでなくても両方の攻守の素晴らしさに熱狂できる。あと5時間後の午前4時からは準決勝2戦目のポルトガル・フランスだ。今はツール・ド・フランスのライブ放送を見ながら書いている。今日はまだ5日目なので平坦基調だから展開も落ち着いていてる。今日のコースの207kmの現在127km地点。ゴール10~5km前くらいからは目が離せなくなるが今は余裕がある。ウィンブルドンも気になるなあ。当分眠い日々。
その144 (’06/ 7/11)
<遅れた写真>
6/3、ララバイブラザーズのレコ発ライブ(昼間)後の打ち上げ場所、吉祥寺ハモニカ横町の某「おふくろ屋台ナントカ(忘れた)」の特設屋上ビアガーデン(4畳半くらい)からの風景。真ん中にクロ、空調パイプに寄り添ってアカトラと黒白3匹。駅のすぐそばにこんな風景。
これは浅野君というベーシストにしてコレクターが最近入手したというMC924。元々背後にある我が924と同色の、90年代に出た復刻版。前の持ち主がその塗装を剥がし丁寧にナチュラルに仕上げたもの。
当分借りっ放し予定。
その145 (’06/ 7/28)
「24時間以内に発送」の筈のアップルサイトで6月30日に注文した Mac Book、7月8日にようやく到着。初起動の際に「Fire Wire ケーブルがあれば古いMac から設定を移せます」とか何とか表示が出たのでそのままにして電器店に直行、ケーブルを買って来てiBook と接続し、データ移行に1時間15分ほどかかった。改めてネットの設定をしなくていいのは有り難い。しかし雑然とした、と言うか、とっちらかったiBook のデスクトップまでそのまま移ってしまったのでちっとも新鮮味がない。その後大分整理して現在はそこそこ人並みになった。さすが速くて快適ではあるがOS10.4で使えていたソフトがこのインテルMac では使えないというものが多く結構不便。クラシック環境も使えないので未だに古い「クラリス・ホームページ」でこのページを作っている私は困っておる。いい加減新しいソフトを入手するか或いは管理も製作も簡単そうで体裁のよい「.mac」に移住するか。
年に一度の東京ナミイ里帰り(サンフランシスコ在住)Band、今年は北海道ツアー&東京ということになった。ツアースタート前々日、これも年1~2度のコクシネル(こちらはリーダー達が金沢在住)のライブで午前中からスタジオでリハ、その後会場のマンダラ2に移動してリハ~本番というなかなか怒濤の日を過ごし、翌日がナミイバンドのリハ、そして明けて21日に函館へ。五稜郭駅の近くの「パブ・ザ・ビーツ」、手配したキーボードやPA機材のトラブルで時間がかかり40分あまり遅れての開演となった。慌ただしくまた入りは今一つだったものの本番は気分よく盛り上がった。
二日目の福島町は千代の山・千代の富士を輩出した所で立派な「相撲会館」と神社の土俵がある。この土俵上で毎年行われついに11回目になる「かがり火コンサート」、3年前には梅津KIKI Bandでも来ている。本番はあいにくの雨となってしまい息も白くなる寒さだったが大勢の観客の熱気に後押しされ大熱演となった。前回同様こちらの宮司さんをリーダーとする神楽がオープニングに40分ほど演奏、音と立派な装束、獅子舞に神聖さと長い時を感じ入る。アンコールでは宮司さんが笙・笛でナミイの歌う宮崎民謡「しゃんしゃん馬道中」を主題に我々と即興セッション、これも雨+かがり火で摩訶不思議な雰囲気であった。
三日目23日は海沿いを北上、江差に車移動。松前城をぶらぶらしたりとのんびり夕方江差のホテルに入る。ワイン等を買い込み部屋でのんびり、夜は一人でゆっくり中華屋で紹興酒、海老餃子などを食す。翌日午前中は港や展示してある幕末の軍艦・開陽丸のあたりを散策。午後会場の「あすなろ学園」に入りセッティング~リハ、そして本番。園生のアフリカン・パーカッションの演奏のあとにステージへ。こちらの最後の曲には立ち上がって踊る人も大勢出てきて大成功。
五日目25日、札幌に向かうため江差から1時間少々の八雲駅に学園の車で送ってもらう。11:57の電車まで25分ほどあったので駅前の喫茶店でソフトクリームを買った。で、お金を払おうとすると財布が無い!ガガーン!!バッグの中を引っ掻き回すがよく考えたら車の中で電車の切符を受け取り財布に入れポケットに入れたのである。車に落としたのだ、と大慌てで学園経由で運転の人に連絡を取り引き返して来てもらった。電車の時間の5分前に無事受領。駅に向かいかけてソフトクリームのお金を払っていないことに気付きちゃんと戻りました。さて札幌は琴似パトス。最終日ともなればヴォルテージも上がり皆さん絶好調。高校の同級生の切替教授や、かつて集団疎開(バンド名だす)のアルバムを製作したり俺が片山と初めて出会った彼のバンドのレコーディング(まだ日の目を見ていない)をやった現獣医の木野本君も来て打ち上げはまあ良く飲んだワ、せっかくの魚も食わずに。ホテルに帰り着いてロビーで渡された空港までのチケットのことなんざぁ覚えてるワケねえだろ、コラッ、時と場所をわきまえろ、N!!...この場合Nというのは二人当てはまるが若い方のNだ。財布の件ではお世話になったのでN様であるが。
そんな案配で暑い関東に帰ってきたのだが、今までメールでしかやりとりのなかった函館のyeahhhh君、札幌のreishun嬢、bakuon君といった方々ともお会いでき良かった。さてと、明日から韓国である。トランジットで空港で時間を潰したことは23年前から度々あるがちゃんと訪問するのは初めてだ。旨いものに沢山遭遇する空想がふくらんでおる。
その146 韓国ツアー (’06/ 8/31)
8月2日
梅津和時:as,cl、太田恵資:vln、そして僕の三人で韓国サッチョンの<インターナショナル・パーカッションフェスティバル>に呼ばれた。総合プロデューサーのチェ・ジョンシル氏はサムルノリの中心人物だった人で今は国際的な演奏活動の他、大学で教鞭を取っている。何度か演奏しているチェさんと今回も一緒にステージに立つのかと思っていたら韓国のピアニスト、ドラマーと即席バンドを組むということだった。11時発JALだが実際の離陸は11:30、プサン着陸1:00。1:30に迎えの車出発、高速を1時間半走って一般道を更に3、40分走りようやくサッチョン着、リハーサル会場の高台にある大ホールに入る。大勢の出演者でごった返していて(これは韓国中心に参加十数カ国の大合奏集団であることが夜分かった)しばらく休んだあとピアノのジョン・ナム君、こちらの大物ドラマーのキムさんとの5人でリハ。6時ころまでかかりその後チェさんの案内で韓国料理屋で夕食。いろいろな小皿がどっさり出て来てどれも辛く旨い。「韓定食」というものらしい。夜本会場でゲネプロがあるというのでビールが飲めないのが残念。ホテルで2時間ほど休んだあと会場へ向かう。もっと大きいホールを想像していたら港の広場の仮設ステージだった。大パーカッションアンサンブルのリハを見物、終わってさあ一仕事、と思ったら何やら舞台上のセット替えが何だか我々の編成と違うようでもあるし単なる撤収のようでもある。梅津さんが訊きにいったら今日はもう遅いから終わりだと言われた。ガクッ。ホテルに帰って(これが殆どラブホテル)前の路上の屋台で日韓メンバーとナム夫妻でビール、焼酎、マッコリ。マッコリは屋台にはなくジョン君のお母さんが何度も近所の酒屋に買いに行ってくれた。どんどん飲めてしまう。食べ物は当然ながら各種キムチ・各種なんとかジャンにコハダらしきものの刺身(と言っても三枚おろし等ではなく骨ごと細切れ)。これは生臭く、また骨のせいでパクパク食べられないのがやや不満。付け合わせの青唐辛子がメチャクチャ辛くて日本人はヒイヒイだったがもろきゅうの状態で出ていたキュウリを齧るとすっと消えるということを発見した。
8月3日
10時過ぎに3人で朝食を求めて町を歩くが全くそれらしい店に行き当たらない。近所は魚や野菜の市場や飲み屋、まだ開いていない焼き肉屋・海鮮食堂、怪しげなホテルばかりである。大分歩き回った末大通りに出てマクドナルドでもなんでもいいと思ったのだがブランドショップや携帯電話店、おもちゃ屋、旅行代理店などしかなく一向にレストランが見つからない。昼飯に間が無くなってきたのでもうコンビニで済ますかと戻る途中市場の近所で開けたばかりの婆さん一人の小食堂に梅津さんの韓国語をたよりに入店、そうめんにコチュジャン、金子卵、きゅうりの千切り、海苔が乗っただけのシンプルなものを食す。出て来たときは前日の豪華な食事で疲れた胃袋に優しそうに見えたのだがやっぱり辛い。大量で食いきれず。
午後は1時から観光・食事と言われていたのに急遽キャンセル、3時に直接会場に行くことになったので昼寝してから向かう。ステージはというと立派に組まれているのに雨や昼間の事は全く考えていないらしく天幕なしのかんかん照り。まいった。例によって無駄に待たされている間に翌日から出番のレナード衛藤君一行が到着。そしてようやくリハ、そのあとは観光センターのような3階建てのビルの2階の楽屋、と言っても大部屋で各国入り乱れワイワイやっているグループや床で寝てる集団などの雑居状態。ジュース多種とブドウ、スイカ、ミニトマトはふんだんにあったが進行表もないし責任者もいないようだ。出番も、大切なメシもどうなっているのか分からぬまま放置されている状態。
諸々の予行演習が終了していささか疲れた様子のチェさんが6時半ころやって来て、開会式で全員衣装を来て入場するから食事を済ませて着替えるように指示され3階のレストランに行く。出演者メニューは決められていてほぐした蒸し鶏入りのお粥。味付けはなく一皿出て来たカブのキムチを混ぜて食べた。7時半に何やらスタート、人は大勢集まって埋め尽くされている。8時前に客席の後方に待機させられるが「式が終わったら最初に演奏するから楽器の用意もしろ」と突然の指示。5番目だって聞いていたのに。客席の真ん中を入場行進するのに楽器ケースやエフェクターを入れた袋を持って歩くワケにもいかんし太田君はバイオリン2本にバッグ+キャリーバッグまである。仕方なく人々をかき分け一旦外を回ってステージ脇に荷物を置いてまた戻る。そして入場、まず参加ミュージシャン各国の国旗を掲げた旗手が15人ほど、その後に続いてステージに向かう。ちょっとオリンピックみたい。ステージ上にずらりと並んでからがまた長い。スーツ姿のエライ人たちの挨拶が長々と5人も続いた。オレは殆ど最後の入場だったのでうまいこと端の後列に隠れ楽にしていたのでまだ良かったが。
いよいよ演奏である。フェス全体を前衛的な傾向と想像していたのに大違い、凄い数の観客は全く普通の老若男女、かき氷やアイスや風船を持ったガキどもである。こういうものだと分かっていれば選曲ももっと違ったのに。ここでベースのフリーソロなんてなあ。・・・梅津曲「西陽の当たる部屋」、5拍子の一発モノでスタート。そしてなんと大会テーマ曲の歌伴が2曲目。男女が交互に歌う明るい8ビート曲で途中に何度かサムルノリの4小節のフューチャーが出てくる。賑やかに終わって3つ目がジョンの曲。これは韓流ドラマっぽかった。長くアメリカで勉強して現在もNY在住だから(というのも変だが)コードの展開等はなかなかだったが。最後に梅津曲「サーキュラー・ライン」。80年代初頭に梅津リーダー盤でマル・ウォルドロンを共演したときの3拍子の曲。気分的には場違いなシリアスさにぐっと盛り下がって終わる。すこしでも観客に分かり易く・ノリ易く、と意識すると普段と違ってなかなか緊張するものである。まあ受けたことは受けたのだが。
全部が終了してからほぼ全員での打ち上げは焼き肉屋、但し豚専門。となりのテーブルのバリの人は大丈夫だったんだろうか。もっぱら初日の初韓国食同様シソのようなエゴマの葉(更にサンチュも重ねることも)に肉とキムチなどを乗せ巻いて食べる。旨かった。しかし薄いビールと甘い焼酎は好みではない。店のビールを飲み尽くして解散となった。
8月4日
朝起きてホテルの窓から外を見ると裏通りに昨日は無かった露店がずっと向こうまで続いている。早速歩いてみた。雑多な小物や枕、座布団から始まり食品、バッタものの衣料、靴、漢方の薬草など総計1kmほどはあったろうか。歩き回ったがめぼしいものは無くコンビニで焼肉おにぎり、バナナ、カフェラテを買って帰る。
この日以降はソウルのパク・チェジョン:ds,perc とミ・ニョン:p との共演だ。俺は二人の演奏は昨年11月BUDDYでのニコライ・ドミトリィ追悼イベントの時に見ただけだが梅津・太田は何度も一緒に演奏しているそうだ。前日モンゴルから帰国したばかりのパクさんが500km運転してミ・ニョンさんと1:30にホテルに迎えにきた。荷物を積み込み近所の食堂で昼食。昨日本番前に食べた鶏粥の正式版でこの辺が本場と言われたが名前は覚えられず。出発前日図書館で借りたものの持って行かなかったガイドブックによれば「オリタン」と「サムゲタン」の中間のように思える。当然のようにキムチや青唐辛子は食べ放題、パクさんはこの唐辛子に味噌を付けてぼりぼり食いまくるのでつられて屋台で懲りた我々も警戒しつつ齧る。昨晩も食わなかったわけではなく慣れてきたのか汗は吹き出すが大丈夫。メインの丼も昨夜とは大違い、朝鮮人参も入った薬膳の味で旨かった。ただしこれも屋台の刺身同様鶏が骨ごと細かくなっているので我々の感覚ではムシャムシャ食べられないのが惜しいところ。
そして2時間半くらいのドライブでウルサンに到着。会場のライブハウス「Be Bop」に入りセッティング。我輩が10代のころのドデカイのヤマハのギターベース兼用アンプ(インプット、イコライザーが別々)を使用。壊れかかっていたがなかなかいい音だった。本番前はとなりで食事、野菜多種に魚の入った豪勢キムチ状のものがメイン。ヘルシー・旨い・辛い。演奏は、ええと、どうだったっけ。まず梅+パク、次に太田+ミ、そしてミ+早+パクというインプロ3曲後に日本3人で我輩の「Tango」。2ステージ目は...忘れたが梅+ミ、そして全員でのインプロだったかな。次いで後半2曲は飛び入りしにやって来たサッチョンでのピアニスト、ジョン・ナムを入れて梅津曲サーキュラ・ラインとベトナミィズ・ゴスペル。これは確かです。アンコールはピアノが再びミ・ニョンに戻って5人でインプロ、これは最終的に「アリラン」になった。いやあ、フリーでこの曲って感動的だった。
終わるとCD(KIKIなど)にサイン攻め、すごくいい反応だった。店でそのまま飲み始めたらピアノ兼フルートとアコースティック・ギターのハコバン演奏が始まり思わず楽器を取り出して加わってしまった。始めがジャズのスタンダードナンバー「Here’s That Rainey Day」だったので当然ジャズをやるのだと思ったのだがあとはポップスばかりで韓国のヒット曲らしきものもあり最後はチャック・マンジョーネのなんだっけあれ、一番売れたヤツ。結局ギタリストの譜面から目を離せず気の抜けない演奏になってしまって酒が覚めた。それからホテルにチェックイン後近所の食堂で豚鍋とまたまた豊富な極辛つけ合わせ、そして外で買ってくるマッコリ。ペットボトル入りで百数十円くらいのようだ。どこでも持ち込み可というのが面白い。食い放題のキムチも、ミニョン女史が「日本のキムチはまずいのに信じられないほど高い!」と憤慨するだけあってどこでも旨いなあ。
8月5日
本日はプサン。まずはウルサン中心部で昼飯。パク、梅、太田は牛のスープ御飯でさっぱりしていたが俺とミニョンの食べたビビン麺はこの世のものとは思えない赤さ。ミニョンは嬉しそうに丁寧にかき回して「これ三日食べないともうダメ」と言っているが俺はなるべく赤いものが広がらないようあまりかき混さず除外しつつ食べた。しかし汗がとまらない。あーヒイヒイ。
プサン~ウルサンは150kmくらいか、短時間のドライブで午後街に着いた。時間に余裕があるのでリゾート海岸のカフェテラスで時間つぶし。そのあと会場のクラブ<MONK>近くの焼肉屋で食事。演奏前からこんなに満腹になってしまっていいんだろうか。旨い。辛い。
クラブは以前のオーナーが事業に失敗して自死したあと医者や実業家、美術家など有志が資金を出し合って運営しているという。機材も充実している。年配の医師がラッパーみたいな格好でDJブースにいて選曲がなかなかカッコいい。ライブの方は前日のような組み合わせ。前日分までを書いたあと間があいてしまって今日はもう29日、忘れてしまった。ここでも観客はいい反応。こんなにインプロベースの音楽が受けるとは意外だった。終わってから店でそのまま経営陣らと飲む。「これは身体にいい。医者の私が言うのだから確かだ。」とマッコリとドイツだったかの40度の薬草種を交互に飲む。パクさん、ミニョンさんはそれから500kmのドライブでソウルへ向った。日本のお盆みたいなバカンスシーズンなので日中はとてつもなく渋滞するという。さすがに我々も疲れてホテルに送られバッタリ。翌朝8時に昨夜一緒だった造形美術家のキム・ハクジェ:金學濟氏が迎えに来てくれて彼の車で空港へ向い10時半機上のヒトとなり暑くて辛くて旨いツアー無事終了。
その147 8月後半~9月前半 (’06/ 9/18)
19日はHAYAKAWA at アケタの店、新生バンド3回目のライブだった。韓国から帰って作った出来立ての新曲<D.R.C.>、「骨」の収録曲<ウミサソリ>、解散したCOILの3人の頃の<Jumina>が今回の新メニュー。D.R.C.=deep red chilli、韓国の辛さをエネルギーに変換したとも言えるヘヴィロック。実は初めてmac book内蔵ソフト<Garage Band>を使って作ってみた。なんと言っても子供のころから設計図を見ずにプラモデルをつくってはパーツを余らせていた、年期入りのマニュアル不読人間である。楽器をmacのライン入力端子か手持ちのUSBオーディオインターフェイスか何かで繋げられるらしいが面倒臭いので譜面かグラフで入力している。まあその前の段階で楽器とMTRで断片的なイメージは作ってから始めたので二度手間と言えなくもない。誰か教えて。楽器を触らずに作るとKIKI Bandの<Dowser>のように自分の曲なのにベースパターンが上手く弾けないなんてことになる可能性がある。
古くはVision JからWindows用CakeWalkと移行した私の作曲(シークエンス)ソフト、最近は譜面ソフトのFinaleで代用して簡単に済ませていたのだがそれらのものが2ドラムのサウンドを思うように作れなかったのにこのGarage Band は簡単に全く音色の違う二つのドラムを組み合わせられるのでなかなか我がバンドには良い。
で、ライブのことであった。5、6月とやってやや間があいたがその間皆精進したのであろうか、一段と良くなった。お客も大入り・立ち見アリで目出たかった。しかしセッティングの制限や音のバランスのことでは問題も色々あるのでもう少し広いところでもやらねばならんとブッキング中。追ってお知らせします。
<メニュー>
1.ウミサソリ 2. D.R.C. 3. 2006/01 4. 11/20
<休憩>
5. Jumina 6. Aspide 7. Geopathic Stress 8. 294
en. Halrellja(bass solo) en.2.Triple Spirals
27日は久しぶりのChabo Bandで長崎のロックフェス「スカイジャンボリー2006」。その前日は某ホールでウッドベースを抱えクラシック~ジャズ混在コンサート、弦の人たちに混じってモーツァルト「アイネクライネ・ナハトムジーク」をぎこぎこ弾くはめになった。先日のリハーサルでは俺がクラシック曲に参加するなんて話はまるで無かったのにステージでセッティングしていたら譜面台にその譜面が。げげげっ、と付け焼き刃の猛練習。高1の時オーケストラ部でやった記憶が甦り本番は何とかなった(つもり)。いや~、弓で八分音符連続のリズムキープは難しい。たまには練習せんとな。途中で抜け出したその仕事の打ち上げの続きを夢で見るという、しかも朝10時に羽田に行かねばならんのに5時まで飲まされるという悪夢から5時に目覚め、それから慌ただしく荷造りをして羽田~長崎。野外フェスだっつうのに全国的に晴れと言っていた天気予報は大嘘、空港に着いたらぽつぽつ降り出し会場の稲佐山に向かう途中では土砂降りになった。しかし6時の出番にはすっかり上がり、ラストの「雨上がりの夜空に」は感動的爆裂。打ち上げでも爆裂してしまいました。
先月のギコギコに続きウッドでのライブが2本。9月1日は Missing Link、いつもはキーボード、ギターの中山氏が生ピアノ、俺がウッド、管楽器はマイク無しという趣向。我輩のウッドベースの評判は良いのだが人数の多いサウンドだと力が入って手が疲れる。と言ってもデュオでもトリオでも力任せなのは同じか?7日にはin F で小森慶子氏とのデュオ。それぞれのオリジナル曲の他に彼女が持って来た70年代のデイブ・ホランドやアンソニー・ブラックソトンの曲、それにインプロ。やはり音量が小さいほうが楽器の色々な音色・ニュアンスが出せて面白い。小森さんのバスクラ、クラを中心にした楽器選択も良かった。
その翌日は横浜Stormy Monday 、佐藤研二の発案でナスノミツル、俺との3ベース。夕方からの軽いリハと打ち合わせで望んだのだが、お互い他のベーシストの演奏と間近に触れる機会はそうそう無いわけだし3人ともタイプ・音色が全く違うしで刺激し合って面白く出来た。
9日はアケタで渡辺隆雄セッション/片山、磯部、早川でのカルテット。ナベの持って来た曲が60~70年代のジャズナンバー、これを我々流に荒っぽく料理したのだがこういうのは大得意、焼酎も少々入り絶好調。
その後はレッスン、リハなどをして日々を過ごしてから先月もやった蓼科での自転車合宿~富士山ヒルクライム。そして本日から心を入れ替え25日の HAYAKAWA at Stormy Monday に望むべく精神集中。おっとその前に「千住ミュージックライン」というイベントの一環で北千住Cosmic Soul で片山君とデュオ、またまた我輩のウッドを皆様に堪能して頂きます。
そうそう、先日マレーシアのピート・テオからようやく完成したCDが届いた。昨年三月クアラルンプールでのリズム録りの模様は<その126~128>に詳しく書いた。その後色々なミュージシャンのプレイを加え、推敲に推敲を重ねた作品である。前作も気に入っているが今回のものはより発展している。対訳があればいいのだが残念ながらまだ日本発売は決定していない。わざわざ別便で送ったNS アップライトベースも活躍している。ピートのサイトで試聴・購入できるほか日本での窓口として『ピート・テオ情報ページ』にも入手方法の案内がある。よろしく。
その148 9月後半~10月中旬 (’06/ 10/26)
9月23日の千住ミュージックライン<片山・早川デュオ>at北千住CosmicSoul、いやあ実に面白そうな街でした。写真はC.S.並びにあったレストラン「ニューあわや」。店頭はただのパン屋か菓子屋、真ん中のドアをくぐると昔ながらの喫茶&食事。芸能人のサイン色紙が沢山貼ってあってその筋では評判なのかも。本番直前に3人で入って2品・酎ハイと<ステーキセット(ホテル風)>しか頼まなかったのに別に何も言われなかった。味も良かったぞ、ホテル風(?)。
25日はHAYAKAWA 横浜 Stormy Monday。連休明けの月曜日、御来場ありがたく存じます。メニューは;
1.ウミサソリ 2. Aspide 3. 渤海(bokkai)~2006/01改め 4. D.R.C.
<休憩>
5. Jumina 6. 11/20 7. Geopathic Stress 8. Alu Gara 9. 294
en. Triple Spirals
前回とはあえて曲目を変えず(Alu Gara を加えたのみ)掘り下げることにした。結果現行メンバーになってから最高のライブとなったと各方面から大好評をいただいたのだ。よおし、見ておれ、もっともっとイテコマシたるからな!!!
27日の緑化計画・アケタは朝から数年ぶりにSeenのアップライトベースを弾きたくなって節くれだった1、2弦をヘリコア・オーケストラという高級弦に張り替えて(大分前にウッドに張ったのだがテンションが柔らかく音が上品なのですぐ外してあったもの。なんと1セット5万円弱するのですぞ)持っていった。店のアンプではやや音が細くなってしまったがメンバーには好評、全く使っていなかったので一時は手放そうかと思っていたのだがドラムの石塚氏にまで「売らないでね、くれぐれも」と念を押された。やっぱりいい楽器だな、弾きにくいが。
その後は早くも本年最後のレースになってしまうであろう栃木は塩原での「第2回スポニチ塩原温泉ヒルクライム」に出て、いいレースだったもののクラス半分以下の順位で今シーズンしょぼく終了。終了と言ってもトレーニングはジミ~に続ける。そしてそして11日に某ホテルで開かれた某業界の某会合に出向き試乗観察したスペインの某メーカーの最高グレードフレームに参ってしまい契約締結。これはあくまで業界人対象のイベントであったので事は秘密裏に進行中。そしてその祝勝会? 引率者のタマさんと共に翠川会長と日比谷の「ひつじや」で合流。我々業界人の二人は初訪店であったが会長の言うがままにアッという間にヒツジやらケバブやらでワインを三本空けてしまった。すでにその前にタマさんと俺はそのイベントでそこそこワインをふるまわれていた、っうか勝手に注いでいたんだけど。旨い、安い!!ポヨポヨの俺は「お前は安上がりでいいなあ、もう帰れ」と、更に新宿に飲みに行く会長・タマさんと別れ帰宅。後日きいたらゴールデン街、更にひばりが丘で飲んだと言う。御立派。
会長~酒と来れば触れねばならぬのは14日の仙台・緑化計画ライブat ギャラリー蒼。フンパツしてウッドも積んで行きエレベと両方使った。確か本編8曲中6曲も弾いてしまったかな。良く飲みました。このスペースはかつてアヴァンというジャズ喫茶でライブもやっていて御存じの方も多い塚本実氏が経営していたのだがその先代親分のMさんがズブロッカと旨い刺身を持ってリハの終わり頃現われ更に主催の方もワインや生ハム、オリーブ、チーズなどをふんだんに楽屋に用意しておりワタシの顔は紅顔の美少年に。しかし演奏は凄く良かった。ホントです。写真は打ち上げのときのサンマとムール貝。サンマは肝タレで食す。これ絶品。里芋の煮物に緑色の、ケッパーのような「みずのコブ」というものが入っていて恐らく初めての体験だと思うが旨かったな、これも。
ついで触れるべきなのは KIKI Band のツアーであるが何せ私は明日の朝5時に家を出て成田~どこかで乗り継いでボスニアのベルグラードへ向かいその後イタリア~スロベニア~クロアチア~ポーランドを経て更に帰国前日までドイツで12ケ所連続公演というチョー過酷なツアーに出るのである。向こうのプロモーターは移動の効率なんか考えないから明日やるところを通り越して500km行って翌日また戻るなんて平気。朝5時半の列車に乗って3回乗り換え12時間以上かけて着いて演奏、というような行程が3回もありあまりの事にバンマスがこちらで格安エアーを手配、ちょっと怖い。そして荷造りは勿論まだ。現在午後9時。ということで突然失礼。
続きはこちらへ<日記的雑文Gwoh-In>