● 8-10●
近頃機嫌が悪い。年間を通して自分としての重要なレースにことごとく出られなくなってしまったからだ。まず毎年のオープニングにしていた4月あたまのチャレンジ・ロードが中止、5月は一大イベントの高尾~糸魚川300kmが今年から出場が抽選になってしまい落選、6月のエンペラー・カップの日には阿蘇で仕事、7月のミヤタ・カップもツアー中。8月最終日曜の乗鞍ヒルクライムはエントリー料を払い込んだ翌日に同日の本牧ジャズ・フェスに出演が決定してしまい、9月川場村ヒルクライムも仙台で仕事、10月のツール・ド・嬬恋も、数少ない一桁順位を狙えるレースである龍勢、武尊の両ヒルクライムもツアーとぶつかっている。仕事がなきゃあ文句、あっても文句。
とは言えトレーニングをさぼってはいられない。小沢峠~正丸峠往復(100km)をやったり、定番の狭山近辺周回コースでラップタイムのデータを細かく取ったり、日曜日のカオス・レーシングの多摩湖~小沢峠~青梅~多摩湖(90km)に参加したりしている。最近気に入っているのはスポーツジムでのバイク・レッスン。普通のバイク・マシンとは別物の、「ずれずれ草」その17に書いたスポーツバイク・ショウで体験試乗したものがウチのジムにもあったのだ。4年以上も通っているのに知らなかった別室で週3回インストラクターの指導のもと40分のトレーニングが行われており、昼間は水曜のみなので(夜はアルコールを摂取しているから駄目)時々しか行けないがこれはキツい。負荷装置には目盛りがなく自分なりにインストラクターの「重く」「更に重く」「軽く」などの指示に従い調整するので楽をしようとすれば出来るのだがどうしても意地が出て来て重めに設定。ダイエット目的のオバサン達の間でただ一人ぐあー、ハッハッハッと床に水たまりが出来るほど汗を垂れ流しておる。心拍の上の方の滞留時間などは峠の単独トレーニングより長かったりする。先週初めての30過ぎ位の男性が来たが始まって10分もせずに脚がつって倒れ込んで帰ってしまった。
それに引き替えオバサン達は強い。
● 8-11●
5月26日、21~28日まで開催される Tour of JAPAN の<茂木ステージ>に併催される「第2回もてぎ国際市民ロードレース」に出場。プロは9時半スタートで153kmだが、その終了後2時から12kmと36kmの2クラスで行われる。以前の私なら当然「同じエントリー料なら長く走れる方がお得」と考えるのだが、今回はちょっとクレバーに、たぶん強いやつは36kmに出るだろうと踏んで短い方で上位を狙ってみることにした。
10時過ぎに到着すると本番の方では6人が大集団から逃げつつあるようだ。目の前をザーッと音を立てて高速で通り過ぎる集団は迫力満点。暫く見てからこちらも準備に入る。今日は外周道路も使ったコース設定なのでレース開始後はパドック裏に車を入れられず、停めた一般駐車場には日差しを遮る物はない。快晴・真夏日の今日はとてもローラーなど出来ないのでゲート~駐車場間の坂等でアップをする。ここいらも一部片側通行にしてコースになっている。サーキットから出てきて直角にこの道にぶつかり右折して行くのだがこのコーナーで目にした、集団通過後にひしめき合ってやって来る各チームの約20台のサポートカーのドライビングがまた凄かった。狭い所に強引にハナを突っ込んでタイヤを激しく鳴らして行く。どっちがレースやってるんだか。車はレガシイ・ワゴンに統一されているのだが、四駆でたぶん前後適正トルク配分装置などついているからあれだけタイヤが鳴るというのは相当な運転だろう。おそらく17チーム中一番派手だったのはイタリアの2チームの内のどちらかだと思う。
1時過ぎのゴールに備えて地下通路でパドックに移動、あたりをぐるぐる回って脚を動かしつつ付近を選手達が通過するときは見物。6人の逃げはそのまま決まりゴールスプリントになった。こちらとは殆どコンクリート・バリアのみの間隔で眼前を怒濤の如く駆け抜ける迫力。真ん中あたりの全日本チャンプ・藤野選手に思わず「フジノー!!」と絶叫する。先のフィニッシュラインで左に抜け出してゴールするのが見えたが3位だったらしい。1分少々後には大集団がこれまた大迫力でゴール、接触でもあったらこちらにぶっ飛んで来そうで結構怖い。1位はニュージーランドのミラー。
表彰式、インタビュー等が済んでいよいよ出番だ。エントリーは36kmクラス70名、私の12kmクラス28名(少ない!平日だもんねえ)。2時に36kmがスタート、その3分後に我々。ベテランのKさんに、マークすべき何人かを教わっていたのでそれに従い、と言うかまずKさんをマークして4番手で始める。2km位の所で後ろの連中がどっと前に来て飲み込まれ、ああ好位置もここまでか、と思ったがすぐに現れた上りで挽回、また4,5番手になった。Kさんは下がってしまい代わりに始め俺の後ろにいた、「強い」と教わっていたCさんが前にいる。上りきってからの下りでは先頭になってしまいそうになるが、今回の趣旨<クレバー>に徹し3~5番手をキープ。先頭はいつの間にか落ちて行き後ろにいた選手がトップに上がってきたようだ。中程パドック前を通過、5番手だったがカミさんが見えたのでついハンドルを低く持ち替え加速、3番手に上がってしまった。いかん、クレバーなのだった。このあたりまでは後続も連なっていたが 6.5km地点からの上りで先頭がペースアップ、メンツも入れ替わって5人での逃げ。千切れては終わりだとなんとか付いて行く。
気が付くと後ろはコーナーの向こうで全く見えない。あと4km、逃げ切れるか。苦しくて、ともすれば4番手と間隔が開きそうになるがこらえて詰める。ようやく見えてきたフィニッシュ・ラインめがけ僅かな牽制とアタックが始まり、きつさの余り、もうこのまま緩めても5位確定だからいいか、と一瞬諦めがよぎるが奮い立たせてスパート。一人抜くもののその前のCさんには1秒届かず4位でゴールした。いやあ、ホントに苦しかった。こっちのクラスにしておいて良かったよ。
● 8-12●
6月某日、前夜の電話で急に匿名希望 Tと峠を走ることとなった。ALANでやってきたTと9時半出発、こちらはMOSER。「なんだかふくらはぎが去年までと全然違う」と羨望の眼差しで見られちゃって「え、そう?そんなに練習してないけど。」とウソをついておく。青梅所沢線から岩蔵街道~小曽木~成木街道を走り小沢峠を越え名栗川に出て、酒屋の自販機でお茶を飲み一休み。ここまでの坂は全部オレが取ったぞ、と密かににんまりしつつ「いやあ、ほんとにキツイねえ」と牽制。俺は缶茶だったのだが隣のペットボトルの自販機でスポーツドリンクを買ったTが声をひそめて「千円札入れたらお釣りがこんなに出てきた」と20個ぐらい100円玉を示した。もし真実ならば故障を店の人に教えてあげなくてはと思い、確認のため俺も買って見た。ところが正確に850円出てきたばかりかその内の350円が50円玉であった。更に気の毒がったTが「おごる」と言って150円くれたので小銭入れがズッシリと重くなり、オマケに飲むあてのないボトルを背中のポケットに突っ込んで走る羽目になったのでこれからの峠で圧倒的に不利になってしまった。ハメられたのだろう
か?まあいい、重い方がトレーニングになる。
下名栗~上名栗とだらだら上ってから山伏峠の上りに入ると「今日はダメだ、先に行ってくれ」とTが言うので先行することにした。ひと月前に一人で走ったがやはり相手がいると心拍レベルが上がる。ダメだと言っておきながら時々間隔を詰めて来るのも油断ならぬ。苦しかったが逃げ切りしばらく下ってから正丸峠を上る。峠の茶屋でざるそばとTの誘惑に乗せられビール。そのまま下って刈場坂峠~顔振峠の奥武蔵グリーンラインを走るプランもあったが4月に行ったら途中道路が崩れていて(去年から)通れなかったのと(しかしこの間浅倉君が担いで通ったと言っていたが)顔振から吾野に下った後の国道299がダンプやトラックの量が非常に多いので協議の上、ほぼ同じルートを戻ることにした。小沢峠に代えて山王峠を上ったが先行、小曽木の東京バーディクラブの上りではとうとう右ふくらはぎと左ももがつってしまったが止まったら動けなくなってしまうので回し続けた結果また先行。もうこれでキツイ上りはない、ほっ。と思ったら脚が回らなくなり最後の坂らしい坂である岩蔵街道の木野下あたりでは大分置いて行かれてしまった。その後ウチまでは全く前に出られず赤信号でしか追い付けなかった。これは結局負けたということか?我が家でタマ、いやTの買った500ml の缶ビールを4本空けてから再びALANに跨って14km先の自宅を目指して走り出した彼の背中は偉大であった。私は彼の後ろ姿が見えなくなるまで合掌して見送ったのである。
● 8-13●
6月11日、白馬・栂池高原での第10回つがいけヒルクライム大会に初参加した。乗鞍、鳥海山と並ぶ三大ヒルクライム大会の一つである。JR白馬大池駅上から栂池温泉、栂池高原スキー場を経てロープウェイ終点の自然園駅までの17.1km、平均勾配7%、最大10%のコースだ。乗鞍が平均6.3%で23km、川場が9%で7kmだから辛いにしてもイケそうだ。コースレコードが50分位だからだいたい1時間15分見当、目標は10分にしておこう。
前日入りして、一番きついと言われるスタートからの2.4kmをふくめ5kmほど試走。火曜に奥多摩周遊道を上り水曜にジムのスペシャル・バイクマシン、木曜に狭山湖付近の坂を10本という軽めの週間トレーニングだったのだが木曜の午前中~午後みっちり草取りをして普段使わない筋肉で労働してから坂だけ走ったせいか、翌日から腿裏側の経験のない筋肉痛がひどい。皆かなり走り込む様子だが、早々にバイクをしまい宿泊先「やまじゅう山荘」に入る。大会本部のある体育館からやや離れているせいか客はカミさんと俺だけだ。風呂にビール、夕食には山菜が豊富に出た。こごみ、うとぶきのおひたし、タラの芽、ふきのとうの天ぷらなど美味であった。地ワインを一本空けて9時過ぎに寝込んでしまったので夜中目が覚めてしまいあまり眠れなかった。しかし乗鞍の時はいつも睡眠3時間くらいだし高尾~糸魚川294kmのときは30分しか眠っていなかったのだからまあいいのだ。
さて朝、小雨が降っている。8時40分集合で9時からクラスごとに2~5分おきにスタートで、殆ど最後の我が40代クラスの出走は9時28分。この天気でこれではアップをしてもすっかり身体は冷えてしまう。という事にしてローラー台は出さずスタート地点までは5,6分なのでギリギリまで宿にいた。召集場所近辺で軽くアップ、雨は一応止んでいる。あとは雑然と並んでただ待つのみでようやくスタート時間だ。ここは序盤で頑張り過ぎると後半もたないと雑誌に書いてあったので20番手あたりで心拍も160以下に押さえて様子を見る。その最もきついという2.4km後に短いながらもゆるい下りと平坦路があるのだが、ここも「序盤の遅れを取り戻そうとするのは禁物。絶対後が続かない。」と書いてあるのでクールに水分補給しながら適度に行くがやはり抜かれると抜き返したくなってしまうわなア。800mほどで上り始め旅館街を抜け再び勾配がきつくなって来て5,6km地点までがなかなかきつい。このあたりから序盤セーブしていた連中が前に行き始め、反対にオーバーペースだった者が落ちはじめた。元ヨーロッパ・プロ市川雅敏氏が沿道にいて、俺の後方に2人いる彼のクラブの選手に「頑張ってね、先頭すぐそこだよ!」と声をかけるがその「すぐそこ」が徐々に離れて行く。5分前スタートの30代クラスの遅れた連中も混ざってしまって順位はもう分からん。大会パンフレットには旅館街から先はずっと7%でほぼ一定、
と書いてあったが走る立場にとっては真っ赤なウソ。タイトコーナーも多く短い急勾配はかなりある。地元長野の某チームが2人でいたので、彼らはこのコースは良く知っているだろうと判断してマーク。うち1人はかなりいいペースでいくので隙間に入り込みひたすら付いていくことにした。もう1人はやがて切れてしまった、悪かったなあ。彼のペースでどんどん(大げさ)抜いていくものの、まあ大方は前のクラスの選手達だろうから順位は上がっているのかどうなのか。彼のチームの先行していた選手を含む4人の集団も抜く。しかし10kmあたりだったか、勾配のきつくなった所でついに千切れてしまった。気が付くと162~165あたりだった心拍がペースメーカーがいなくなった途端155近辺まで落ちてしまっている。イカン、と思っても脚が重い。尻の筋肉がえらく痛む。先ほど抜いた長野県人にも抜き返されてしまった。おまけに3月のJCRCで最後の上りで抜き去った某選手にも、前半に抜いていたのに抜き返された。ペースの合いそうな固まりを見つけては追いつき、更に前の手頃なグループを目指すというのが理想なのだが、後半にもなると前に見えて来るのは大抵は力尽きつつある遅れ気味の選手だからそうそう上手く運ばない。やがていい選手を見つけた。ここに来てなかなかメリハリのある走りでダンシングを多用、ラインも良いので徹底マーク。ゼッケンからすると多分同クラスだ(しかし後でリストで確認したら36だっ
た)。二人でそこそこ抜いていく。やがて残り5kmの表示が出てここからは1kmごとに看板があるので自分のメーターより励みになる。というより、この苦行から解放されたい一心なのだ。残り3kmすぎからは4、5人で抜きつ抜かれつで兎に角苦しい。残り1kmを過ぎしばらく待ってから先頭に出るが皆しっかり付いているようだ。やがてコーナーに陣取る応援の集団の中の、ゴンドラ&ロープウェイで先回りしていた妻に檄を飛ばされスパート、後続に12.4秒差でゴールした。しかしホントに苦しかった(レースのたびに同じことを言っている)。ケツの下部の筋肉の激痛はゴール後しばし動けないほどだった。
結果は96名中24位、1時間12分08秒6。目標の1時間10分に及ばず。実は、草津で142名中14位だった比率でいくと10~15位くらい行くかも、と密かに思っていたのだが全く甘かった。10位は俺より5分も早かった。1位についてはもう言いたくない大差。しかし20代、30代クラスでも27,8位相当のタイムではありました。。