第8章:Pinarelloと共に:2000.前期-3

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 話は戻るが2月の末に片倉シルクのピストをタマさんの仲介で格安で手に入れた。引退した競輪元A級のM選手が現役時代にオーダーしたものの直後に片倉自転車が倒産してしまった為に規格外扱いで実戦使用出来なくなり(その辺の規則はよく知らない)油紙に包まれたままタマさんの師匠の店の奥深くに保管されていたというものだ。一体いつ頃のものなのか、つまりいつ片倉がつぶれてしまったのか良く知らないのだが、20年前には結構元気に宣伝をしていた記憶がある。10年くらい前までは町の自転車店のメーカー看板にも「丸石自転車」「ブリヂストン・サイクル」などと並んで名前があったような気がする。ビンテージの雰囲気を漂わせる、細いクロモリ・フレームは美しいグリーン・メタ。フォークとリアのチェーンステイ、シートステイは落車やぶつかり合いの傷を防ぐためメッキ仕上げで闘う道具といった趣き。塗装部との境はボカシになっている。フレーム、ハンドル、前後チューブラー・ホイール(タイヤ無し)という状態だったが、ホイールはとりあえず形にするために付けてあったようなものでリアは変形も見られ使えなかったのでハブをバラしグリスアップしてWOリムで組み直し。ついでにフロントもブレーキの装着を考え、事故ったモゼールに最初に付いていたメッキ・フォークに交換。大幅にコラムを短くカット、ネジ切りにはタマさん、タダシと3人で交替しながら汗だくで完了。シートステイはサイズが分からずMongooseのMTBに付いている26.2mm を入れてみたらゆるかったので26.4mm を取り寄せたが太くて入らない。そもそも現在の競輪の規格では26.8、27.0、27.2 しか無いはずなのだが。しかたなくディスク・グラインダーで荒削りしてからサンドペーパーで少しずつ慎重に仕上げてピッタリはまるようにした。そこにサンマルコのサドルを装着。ここまで出来た夜、恐る恐る家の前で乗ってみるがやはりブレーキが無いのはコワイ。競輪やトラック競技に代表される固定ギアの自転車を、よくコースター・ブレーキと勘違いして「あれって後に踏むとブレーキがかかるんでしょ?」と言う人がいる。また知ってはいてもただ脚を止めればいいと漠然とイメージしているようだ。実際は、急に脚の動きを止めるとガツンと身体が持ち上げられてしまうし自転車が慣性で動いている間は脚の方が回されてしまう。かなり低速になってからでないと脚を後に踏んで止まるというのは無理なのだ。という具合で取って返し、まずはローラー台で試乗。全く空回りしないというのは不思議な感覚でローラーでさえ別物のトレーニングになるようだ。
 数日後ブレーキを付ける作業をする。まず、余りにも前下がりの競輪用ステムとハンドルをロード用に換装。ステムは以前モゼールで短くしてみようと思って買ったつもりが同サイズだった新品のITM。ハンドルは3月20日のフリーマーケットで買った200円の日東。それに500円で買ったサンツアーの新品ブレーキと1000円の古いレバーというラインナップ。フロントはロードのフォークだからそのままO.K.だがリアは苦労した。アルミ板を3枚使ってなんとか付けた。いよいよ外を走る。う~ん、面白い。知らなかった世界だ。滑らかな、滑空するような感じ、無音なのも実に新鮮だ。部品が少なくシンプルなのも美しい(いい加減な台形の自作ブレーキプレートが問題だが)。モノの本によれば歴史にのこるチャンピオン達の中にもピスト車でのトレーニングを取り入れていた人は多かったという。アワーレコード(1時間にどれだけの距離を走れるかという記録競技)だって固定ギアで行われるから運動理論上はムダがないわけだ。とは言えやっぱり非常時に脚が止まらないというのが恐くてスピードはまだ上げられず、外ではトレーニングというレベルには到っていない。ジムに行ったり図書館に行ったりと、なんでも無いことに使っているだけだが緊張してそれが面白い。

とりあえずノーマル状態に組んだところ。
これでもステムは上限マークまで上げて
あるのでハンドル下部を握ると相当な前傾。

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 4月16日、ツール・ド・草津。雨の中、前日からカオスの面々(浅倉、飯塚、武重、斉藤女史、保谷夫妻、谷中&彼の同僚:小川、吉田)と現地に乗り込み、その名も<草津ホテル>で温泉と豪華絢爛宴会の一夜が空けた。雨も上がり時折陽も差すがホテルの外で用意をしていると曇ったり雪が舞ったりと安定しない。スタート会場でも寒くて寒くてもう殆どの出場者が並んでいるがなかなか建物から出られない。開会式が始まったので覚悟を決め外に出る。そこでショッキングなニュース。ゴール地点がマイナス5度&強風、雪という悪天候の為距離が公称6km(実際のところ5kmだった)に短縮されてしまったのだ。
 さて、レースはまず草津の温泉街を5kmのパレード走行。800人あまりが5分間隔の3グループに分かれて走りだすがアップダウンや狭まる所も多くかなり混雑。落車も何件かあったようだ。沿道の人々に日の丸の小旗を振られたりしてちょっといい気分。最後にきつめの上りの後で正式スタート地点に到る。一人ずつチップ計測なのでセンサーの手前でウィンドブレーカーを脱ぐ選手が多いようだったが速度がのっていたのでそのまま通過。短いからペース配分も大して考えずひたすら踏む。本当の順位というか位置は分からないわけだが快調に抜いて行く。勿論つらいが更に寒さがきつい。指はかじかんでいるし上るに従って風も出て、枝々に積もった雪がバサッと飛んで来て顔に痛い。終盤で一人に初めて抜かれしばらく後につくがすぐ切れた。ゴールが見えてからはとにかくスパート(といってもコーナーの向こうだったから大した長さではない)。そのあたりはもう雪の中である。殺生河原レストハウスによたよた入り無料の豚汁で暖まった。

 結果は41歳以上クラス142名中14位。クラス1位は山岳王・村山氏で総合でもトップの13分20秒。我がタイムは17分53秒であった。随分違うものだわ。浅倉君は30歳未満クラス120名中堂々3位で14分19秒。それでも「上りはキライ」というニクッたらしい言葉。他のカオスからの参加者は俺のテキではなかった、はっはっは(前夜の日本酒作戦が良かったか?)。しかし後が恐いよ、ね、飯塚君。斉藤さんが女子ロードクラスで5位でした。

 反省点:心拍から見るともっと攻められた筈。アベレージ161、マックス164までしか上がらなかった。あとでグラフにダウンロードしたらほとんど平らだった。無意識にパワー切れを恐れてしまっていたのだなあ。


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 大型連休のなかの5月3日、昨年は9月だった「シマノ・ロードもてぎ」第2回が開催。前回はオープン・クラスに出たのだが、40、50代の実力者達の多くが距離の短めな年齢別クラスに出ていたので今年は我々もそうしてみることにした。同じ金額を払うなら距離が長い方がトクだと単純に去年は考えたのだが。しかし2周 9.6km であんなに遠くまで行くのは勿体ない。ということで、面白そうな<チーム・ロード>にダブル・エントリー。4人一組で走り3番目の選手のタイムで計測する。前走者から20m以上離れると失格。3人目で決まるので一人は脱落しても良い。5周24kmだ。ツトムが仕事を休めないということでカオスから飯塚君と斉藤さんを助っ人に頼み、A:タマ、タダシ、カオス飯塚、早川 B:会長、Dr.飯塚、みどりさん、斉藤女史 という2チームを結成、と言っても何もしていない。さて、まずは個人レースだ。

 我々のしょっぱなはカオス飯塚君の<マスターズ30+>、8時25分スタートで4周。100名程の出走、30人近い先頭グループの中、好位置で展開しトップに4秒22遅れの23位でゴール。パチパチパチ。次いでずっと時間が空いて、タマさんと俺の<マスターズ40+>。リストの112名の中にはオープンM-3(6周)やエリート・クラスで走るべき選手の名前がいくつもある。思わず「なんでえ、これっ!こんな連中と一緒かよ!!」とパドックで大声を出してしまい妻にたしなめられる。時間はたっぷりあるのでブースで小物を買ったり、ローラーでアップ後タマさんと外を走ったりでスタート時間を迎える。真ん中あたりで始まり順位を上げようとするが、ここ<ツインリングもてぎ>は特に左周りだと集団がバラけない。ひしめく中をなんとか前に出てもコーナーですぐ前が詰まり無謀な追い越しを掛けてくるヤツに譲ってしまう。唯一の上りらしい上りで折角周りのスピードが落ちてもラインが塞がっていて前に行けない。とは言っても距離が短いせいで最初からハイペースである。先頭集団にはいるものの後ろにどれぐらいいるのか全くわからない。JCRC・Sクラスの選手が飛び出し後ろに一人付けてリードを広げるがすぐに吸収、その後も何度かペースアップがあって集団が長くなりかかり必死に切れるまいと心臓バクバクで食い下がるがタイトコーナーなどで後続に追い付かれ再びダンゴになるという繰返し。終盤になってそれまでダンゴの左右の端寄りに分かれていたタマさんと並ぶ。前のヤツがしきりにその前に「しっかり走れ、ふらつくな!」と怒鳴っている。この固まりで力尽きて蛇行されたら危険だ。後ろのほうから叫び声とクラッシュ音が聞こえたのはさっきだったか序盤だったか朦朧。やがて最終コーナーで一旦速度が落ちてラストスパートである。一瞬タマさんの為に前を引こうかと思ったが全然ラインに余裕がなく(勿論アシにも)そのままフィニッシュ。トップに3秒64遅れの28位、27位のタマさんには0秒76遅れ。結局トップから5秒に40人もいるというラッシュだった。タマさんは俺が草津で走った日のJCRC第2戦・Bクラスでなかなかの成績だったからDの当方としては彼に迫れたのでかなり充実感アリ。

往路は結構な降りだったが到着後上がっていた雨がまた降り出す。やがて土砂降りと雷。車の中で仮眠するが、その間、いぬふぐり新規加入のさいぞう君が1時間レースに出て20位、御立派。3時45分のチームロードをひかえ、上がりかかってきた雨の中、初の4人練習。俺が本で仕入れてきた「基本は左回り、間隔は3、4秒」という先頭交替の方法は気を使ってかえって遅くなってしまいそうで2、30秒間隔にしようということになる。今気付いたのだが、この基本ってのは普通のロードレースのローテーション方法でした。皆さんご免なさい。この他にも上りが苦手なタダシのために坂では残る3人で交替するとか、いや上りは動かずに行こうとか、下りはタダシが思い切り先頭を引くとか作戦を相談したが結論は先頭が余り長く引かずに交替、上りでタダシを置いて行って失格にならぬよう気を付けるってことぐらいで時間になる。チームロードA(実業団未登録)は25チーム、10秒間隔でスタートのタイムトライアルだ。よたよたと発進し、え~とどうするんだ?と慣れないローテーションをする我々の横を「左行きます!」等と声をかけてシャーッとあっという間に抜いていく組もあればそんな我々に抜かれるチームもあり、次第に慣れてきていい感じになって来る。2周目半ばタマさんが「タダシがもう限界だから(タダシの名誉の為に言っておくが、JCRC第2戦Fクラス優勝者)次の上りから3人で行こう」と言った矢先、飯塚君のリアがパンクしてしまった。こうなったらタダシに死ぬ気で頑張ってもらうしかない。3周目に入ってすぐの下りのシケイン、なんと今度はタマさんのフロントがパンク!こうして我々いぬふぐりメインチームのレースは終了。こんなサーキットでは滅多にないパンクが二人も出るなんて。審判員も気の毒がってくれた。セカンドチームは全員無事完走、しかもビリではなかった。

 帰路、温泉に寄り打ち上げ。