第6章:Cクラスへの道は遠い:1999.前期

第六章:Cクラスへの道は遠い :`99.前期

6-1

 昨年と同じようにシーズン・オフはマフェトン・トレーニングと時々ジムに行くぐらい。でも随分昨年よりは怠けてしまった。1月14日、タマさんと走る。小沢峠~名栗渓谷~正丸峠~グリーンラインで刈場坂峠~顔振峠~吾野~299号で飯能~所沢の約100km。タマさんも一応準マフェトンでゆっくり目の低心拍走行を目指すが、地道に築きあげてきた俺の敵ではない(但し心拍に限る)。最初のきつい上りの東京バーディクラブのところで俺が136、7で並走のタマさんは既に160オーバー。しかし心拍無視なら太刀打ちできないんだからホントのところどうなんだろう。
 秋にオーダーして年末にでき上がったアマンダ・スポーツの20インチ・フレームを自分で組み上げていたのが一部パーツの入手に時間がかかり、ようやく1月17日朝完成。<ずれずれ草>「その2」のイラスト参照。これで多摩湖周辺、小沢峠、入間川自転車道などを走る。
 2月28日、強豪アマチュアチーム<パインヒルズ>のトレーニングに参加。リーダーの50歳にして今なおトップレベルの生きた伝説(バケモンともいう)、大塚和平氏に「ウチの練習は最初はつらいだろうが来ていれば必ず強くなれる。Sクラスまでいけるよ。」と言われるが、「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、俺は、あの、そこまではとても。第一年齢的にも云々……。」「え、あんたいくつ?」「来月45。」「ええ?あ
んた若いねえ。」と、ウエアとサングラスのせいか大分年下に見られたようだ。この日のコースは入間市に近い所沢の某所。3.2kmの周回で600m程の激坂を含むなかなかきつい設定でトップは20周するが自由に止めたり再スタートしていいという。参加者は中学生からの男性10名くらいと女性1名プラスみどりさん。一周目の上りはなんとか集団の5、6m後を走れたがどんどん離され、女性よりは前を走れたものの2周目にはもう吐きそう。6周目、9周目、12周目にトップにブチ抜かれる。その頃には4、5人を残して止めていたので俺も13周終えたところでギブアップ。 初めて来てこれだけ走ったやつはいない、と褒められたが考えようによっては諦めの悪い身の程知らずということである。帰路同方向の人に聞いたら、この日の男は全員Sクラスだったそうだ。パインヒルズでもたまにレースで俺より後ろの選手もいるからと不安を乗り越え参加したのに、疲れ倍増。

6-2

 今年も第一戦にした<第24回チャレンジ・サイクルR.R.>、4月4日。タマさんが40になったのと会長がギリギリ40代なので10年後までない、初めての3人同クラスのB5-B。本来タマさんは上級のB5-Aなのだが昨年例の骨折で欠場のためBになる。さて、一周目の<心臓破りの坂>までは先頭集団の見える位置にいたがそこまで。最後の上りでは20番手ぐらいか。二周目からはずっと同じ選手と抜きつ抜かれつ。後続は離したものの二人とも前に追い付くアシはない。彼は前に出るとすぐこちらに寄る癖があり俺の前輪と3回ばかり接触したのでなんとか離したかったが抜いてもいつの間にか
並んできて抜き返される。二周目最後の上りでは18番手、三周目の同じ所で前に出て(この時は応援のおっさんに15番手ぐらいだと励まされる)クソッ、どうせ下りで抜かれるなと思いつつもアタック、下りも必死に回し、行けるかも知れんと思ったがゴール前の平坦路で並ばれこちらのモガキも通じず2台分ぐらいの差でフィニッシュ、17位。後で走り方に文句もあったので色々話したが某有名アマ・チームのピストの登録選手でロードはあまりやったことがないという40歳だった。最後の平坦でいくら俺がもがいても通じない筈だ。タマは10位で表彰、会長に関しては彼のページを参照。とこ
ろで今のままのルールだと、20位以内は来年はB5-Aで走らなければならない。いやだなあ。

 4月25日、JCRC第2戦、群馬サイクルスポーツ・センター。大雨の中、4周で46分02秒、『半分以内』の78名中34位だった。

 そして<ずれずれ草>に書いたので省略するが、5月22日地獄の<高尾~糸魚川ファストラン>が290kmを13時間24分24秒の194位(318名完走中)。リタイア者数を勘定に入れればまん中近くではあるが、、、。来年はチューブは当然だがスペアタイアも携行するかサポートカーを正式にチームで用意して俺も緊急用にケイタイを持つかしなきゃならん。

 一週間後の5月29日、コンジョーのないいぬふぐりの連中を置いて一人で修善寺へ。JCRC第3戦。いつも中盤まで負けていて後半こちらが勝っている何人かには同じ様な結果だったので、糸魚川の疲れは意外に残っていないのかと思ったが後日のリザルト表で58名中36位というので落胆。ところでこの日スワコ・レーシングの田口氏という60代の有名レーサーと駐車場で車が隣になり必然的に並んでローラー台を回すことになった。ウォームアップしながら、チームの他の連中は今日は日程が当たってしまった実業団のレースに行ってるんで一人なんだ、などという話から「ウチも先週<高尾~糸魚川>に出たんでバテバテで俺しか来てないんです。」という流れになり、「あれは距離はどれぐらい?」「290kmです。」「へーえ、そりゃあすごいねえ。俺もずっと出たいとは思っているんだがこのトシだからな。」「いやあ、田口さんがそんなコト言っちゃって」等と会話は進み、内心いささか得意だった俺は次の言葉に自転車から落ちたくなってしまった。
「ふ~ん、300kmっていうといつもの俺の練習の倍だもんなあ。」!!!ガ~ン。小柄
な田口氏は真っ黒に焼けたぶっといふくらはぎでガンガンとペダルを回しながら呟いたのであった。

 6月6日、エンペラー・カップ。これは年令分けなので今年からタマと一緒。会長は先日50になったので別クラスだ。序盤は第2集団のケツ、2周目の二つ目の上りで先行していたタマの後ろに貼り付く。3周目で前に出たもののキツくて続かず、後に戻ってから次第に離され追い付けなかった。最終5周目の最後の上りで40代の3分後にスタートだった50代クラスの大塚和平氏にすごい速度差でブチ抜かれた。ゴールでスパートし50cm差で一人抜けたが103名中42位と、同じ年令分けとはいえチャレンジC.R.R.とは大分違う結果に終わる。しかしレース自体は色々展開があり面白かった。タマさんは24位。

(左・早川、中・タマさん)

<チームメイトのアシストを受けてアタックのタイミングを計るエース>
と言いたいがタマは俺が前にでるまで背後にいることを知らなかったそうだ。
今度もし後ろにつけたらゴールまで気付かれずにいよう。なんというチームプレイ。