第13章:2002.後期

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八月のありさま
 7月14日の他力本願優勝以来仕事が詰まっていたうえ22~29日までアジア・ツアー、帰国後もスタジオ作業や長野と上野のジャズ・フェスだのと忙しく、自転車に跨ったのはようやく5日のローラー台1時間という体たらく。実に3週間のブランクだ。鎖骨を折った時よりも1日長いではないか、情けない。まあ今年は猛暑だしねえ。
 8日久々に外を走る。Carreraで多摩湖へ。リハビリ&熱中症注意ということで周回時は心拍アベレージ150に抑え距離も31km。
 10日ローラー55分。内容を変えてみた。通常ウオームアップとクールダウン15分ずつ、中身は心拍126~140を20分+120回転5分(心拍158~165)を1セット(大抵1セット、もしくは2セット目の前半を10分に短縮)だったものを、その120回転パートをヒルクライムを想定してアウター+13Tにして重いギアをダンシングを交えつつギシギシと踏むことにした。台の負荷は+1(7段階の2番目)に落とす。
 11日多摩湖。1周後武蔵大和でカオスと合流、珍しく島さん、飯塚君がいる。最初の上りを飯塚君と争って先頭通過後しばらくして島さんにブチ抜かれ必死になったので心拍177、低心拍を誇る俺としてはレースでも滅多に出ない数値だ。やがてバテバテで飯塚君にも置いて行かれるが最後は再び追いつきスプリントをかけ抜き去った。「まったく早川さん大人げ無いんだから」、そうなのだ、今日は青梅の塩船観音で引き返して清瀬でビール大会のため走行が短いからと、飯塚君は20inchロードで来ていたのでした。島さんには「どうしたの?切れちゃったのか。俺は朝練やったあとだから軽く走るつもりだったんだけど心拍190行ってんのに脚がまだまだ回るんだよなあ。」と言われる。ククク、クソッ。俺は午後から仕事なのでここで別れる。ああ、俺もビール飲みてえ!!
 16日ローラー55分。
 18日ローラー60分。
 20日ローラー50分。
 21日多摩湖など35km。
 22日、7月のレース以来のPinarelloで山王峠脇の5kmの行き止まりの上りを2本やる。ここはキツイ。2本目をやる前に腿がつってしまったが折角来たのだからと無理矢理回していたら1.5kmほどで回復。63km。
 25日、カオスのクラブランに清瀬駅に行ったら、もと山男の志村さんしかいなかった。地図読みが得意でルート開拓に余念がない彼にコースを任せ、越生の自転車乗りの名所であるシロクマパンを目指す。「クライマーの早川さんにいいルートを考えて来ました」「のぼりはどんどん先行っちゃってください」なんていう甘言に乗せられた純情なワタシは、それなりにセーブしていたつもりが次第に峠をつなぐ平坦区間では置いていかれるようになる。上りの途中で追い越しはするのだが、幾つ目かの峠で「まだ上りあるの?」「あと一つです。一番長くてきついですけど。」といわれ抜くのを中止。その最後というやつでは上り口からアッサリおいてきぼり。あ~あ、ホントにきついワ。それにドピーカン。汗が目にしみる。脳味噌がふつふつと沸き始める。だんだん勾配はきびしくなる。行けども行けども上りである。もうグレちゃおうかという頃、二股の分岐点で志村さんが休んでいた。助かった。左は下りだ。ここで待っていたということは左折だな、とぜいぜいしながら訊くと彼もあえぎながら、「右です。ちょっと上ったらあとは下りですから。」という返事。あ、あ、あつい!!ボトルも空になってしまった。こんな傾斜のとこからこぎ出せるのかよ~、と再乗車。トホホ。志村さんはしっかり27Tを付けている。先のカーブで一段と急勾配になっていて、ついに降りて押し始めた彼の脇を抜くが20mほどで行き止まり。登山道になってしまった。無駄になった上り(ささやかな勝ちを味わったので完全な無駄じゃないけど)をさっきの分岐まで引き返して下る。予想通り「後は下り」とはウソでアップダウンありつつ平地に降り、メーターを見るともう70kmだ。帰りを考えるとお先真っ暗。ようやくたどりついたシロクマパンはサイクリストで賑わっていて、既にメシになるようなパンは殆ど残っていないではないか。こんな状態でクリームパンだのチョコパンだのとても食えん。サンドイッチの最後の1個は志村さんが取ってしまった。で、食えそうなカレーナン1個とアイスコーヒーのみ。30分ほど過ごして帰路に着く。つりはじめた脚をだましだまし小一時間で知っている道に出たので「もう分かるから先に行ってくれ」と別れなるべく平坦路を選んでだらだらと帰った。あまりの暑さに頭痛、呼吸も浅い。疲れた~~~。110km。
 27日ローラー45分。
 29日ローラー45分。
 30日ジムで筋トレ後スピニング35分。
 31日山王峠脇1本、53km。
 9月1日カオス小沢峠コース。久しぶりに元カオス現ゼルコバの浅倉君が前日鈴鹿のレースを走ったというのに参加。おかげで本日もしばし激ツリ。70km。

 そして迫る7,8日の川場ヒルクライム大会。ダメかなあ、今年も。

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 9月7、8日JCRC第6戦川場大会。

一人目を抜きこのままぐいぐい行く筈が・・・

 初日は7kmの個人タイムトライアル、20秒間隔で総勢二百余名が午後1時から順次スタートする。俺は2時24分。スタート地点から勾配があるのでペダルがうまくはまらない選手も結構いたが一発で入り程なく先に出ている選手H(31)を抜く。そして更に・・・と言いたいところだがその後はさっぱり。
 スタート2人前は密かにライバルの一人に設定している小平のチームのA選手なのだが背中は視界にあるものの一向に縮まらない。3分ばかりしたら160~163を示していた心拍計の表示がゼロになってしまった。俺は死んでいるのか?ヒルクライムで自分の基準にしているのは142名中14位だった一昨年のツール・ド・草津だが、この時の心拍グラフは161~2で殆ど水平だったのでこれを理想としている。しかし死んでしまってはペースの加減が分からず心もとない。まあどっちみち調整する余裕なんてなく、ひたすら苦しむだけなのだから関係ないか。

 そして後発にぼちぼち抜かれ出した中盤、ようやくもう一人抜く。これは2分位前の選手だ。Aはもう見えなくなってしまった。今年は初めて一緒になったが、俺が勝ったのはどことどこだっけ?並んでいた時さりげなくチェックしたら走り込んでいそうな脚をしていたなあ、くそっ、苦しい。なんて色々頭をよぎる。ゴール300m手前で一人に追い付き200m手前で抜いた。ところがその先にコイツの応援の女の子のグループがいてワーワーキャーキャー騒ぐものだから俄然がんばりやがってそいつらの前で抜き返されてしまった。オンナどもは飛び上がって喜んでいる。私は大人だから、バカタレ、俺のほうが勝ってるんじゃい、と怒鳴りたいのを抑えゴール。後でリザルトを見たら俺より2分40秒も前にスタートしている29歳ではないか。やい、オンナども、ざまあみろ。なんてレベルの低い争いをしている間に、優勝は浅倉君で俺(32’17″04)より9分半も速い22分45秒でした。
 そしてこのタイム、前回出場の99年より6秒8、98年よりは1分8秒(ただしこの時は翌日の集団レースで31分42秒)速かったので、最近の練習不足からすればまあまあ。心拍センサーの電池を街で購入してから武尊温泉に投宿。

 翌日はクラス別レースだ。去年(骨折)、一昨年(ツアー)と出ていなかった間に二日目はスタート地点が1km上になり6kmに短縮ということになっていたようだ。スタートして数十メートルは先頭だったがその先は触れたくないような有様。44名出走の27位。今年はこれで終わってしまうのか。Sクラスの浅倉君はまた優勝。

ゴール前500m。背後に迫るのは後発の下位クラスの集団。あ~~。ずっと後ろ(右端)に同クラスの2名がいるが。