第12章:2002.前期

 12-1● 

1月の現状
 12月16日のツインリングもてぎ101kmで一段落、昨シーズン終了。その週は脚がこわばったまま歩行もままならなかったが自転車は平気だったのでチョイ乗りはしていた。ほぐそうと9月の骨折以来になるジムにも出掛けた。一週間後の23日、カオスのクラブランで走り納め。の筈だったが、数日前に福生の基地前商店街の沖縄ガラス製品の店で買い物をして福引き券を10枚持っていた妻の命令で、福引き最終日の24日、メッセンジャー・バッグを背にCARRERAで走って行った。そうしたらなんとコシヒカリ10kgと2kgが当たってしまい、たまにこのバッグに猫のトイレ砂10kg袋を入れて走ることもあるので持って帰ろうかと思ったがかなり無理そうだったので預かってもらうことにした。2kgの方はバッグに入れ、おかげで帰路はなかなかのトレーニングにはなったが肩が凝った。というのが走り納め。

 2002年走り初めは3日の恒例カオス初詣ラン。清瀬~浦和所沢バイパス~富士見有料道路を経て川越の喜多院へ。この富士見有料は殆ど平地とはいえ両側風を遮るものがないのでこの日はきつく走り甲斐があった。途中の料金所までのスプリントでは競り勝つ。まあそれまで殆ど前を引かなかったんだけど。ここで脚を使い果たし喜多院まではチギレ、初詣後16号で指扇へ出てイタリアン・レストランで昼食。その後荒川自転車道~浦所バイパス経由で帰宅、66km。
 6日にはもう通常の日曜クラブラン。この日は比較的暖かかったので小沢峠方向に向かうがさすがに小沢は凍結しているので手前で迂回して70km。
 8日、ジム。筋トレ後スピニングマシンで大汗をかく。アップ10分~ダンシング1分~回復4分後、高負荷30秒(スプリントとダンシング交互)~回復1分半の2分セットを7本やってダウン10分。このマシンはホントにきく。
 11日、固定ローラー40分。距離は19kmだが通常負荷を7段階の3番目にしているので平地よりはきつい。
 13日、カオス・クラブラン。清瀬~多摩湖~塩船観音(青梅)~多摩湖を走ってから松が丘のチョーきついルートを島さんに引き回され後半ちぎれるが島さんは待ち伏せしていたパインヒルズとスプリント合戦。そのまま東久留米・カオス長老の橋本邸にて新年会。酔いの速さはスプリンターなのだが。90km。
 16日、固定ローラー50分20.9km。アップ15分~105回転15分~120回転5分~ダウン15分。メインは39×17T。
 18日、ジム。筋トレ45分後久しぶりに泳ぐ。250×2+200×3で1100m。
 20日、ローラー45分19km。
 22日、ローラー70分30km。アップ15分~105回転20分~120回転5分~105:10~120:5~ダウン15分。とまあ日々こんな調子だ。クロカン・ランニングも始めようとそれ用のシューズも購入したものの、狭山湖の林道を走るつもりなのだが、そこまで自転車で行ったらバイクシューズや着替えを背負って走るんだろうか?それともMTBごと茂みの中に隠しておくのか、等と色々考えてしまうと面倒くさくなってくる。

ジロ・デ・イタリアの山岳TTを見ながら(実際はメーターの心拍数とクランク回転数を睨んでいる方が長いかも)ローラーをこいでいる図。リモコン扇風機は冬でも必需品。

ミノウラ・ハイパーマグローラー
負荷は7段階の3番目を基準にしている。やや上り勾配という設定か。39×23Tから15分かけて17Tまでギアを重くしていき通常はこのまま。心拍を上げずに回転重視のときは19T。たまにアウター52×13まで重くしてもがく。ヒルクライムを想定して負荷を最大にすることもあるがこれはあまり効果なし。

 12-2

2月の現状
 前記の翌日の1月24日、やっと懸案のトレイル・ランを決行。やはり林道に走りに行くのに排気ガスを出して出掛けるというのは抵抗があって、デイパックにランニング・シューズを突っ込みMTBで狭山湖に向かう。早稲田キャンパスの裏手から林道に入り手頃な距離にスペースを見つけ停めた。バイクシューズとヘルメットはバイクにくくりつけ、あまり役に立ちそうもないがワイヤーロックを通しておく。脱いだものを詰めたデイパックを背負って出発。とにかく初心者、まずは林道に入り込んだ所までの2.4kmを往復することにした。走り出して5分で心拍は117、10分経ってもまだ130に達しないので、慣れない脚にはきついのに心拍トレにはならないのかと思っていたら坂を上下しているうちに気が付くと170、きつい。入り口まで12分15秒。水を飲んでターン。デイパック内でボトルやポンプ、パンク修理セットがゴソゴソ跳ねるのが気になる。こんなものを背負って走っているのは我ながら滑稽である。2,3人ランナーに出会ったが荷物を持っているのはオレだけだぞ。以前からここをMTBで走っていても気になっていたのだが、みんなどうしてるんだ?車なのか家からずっと走って来られる範囲の住人なのか。そのうち訊いてみよう。戻りは12分40秒、右ヒザに痛みが出てきたので脇の山道を歩きクールダウンして終了。
 25日、午前中ジム。筋トレ30分にスピニング・マシン40分。アップ、ダウン10分ずつ、中身はスプリント30秒~回復1分半~ダンシング30秒~回復1分半のセットを5回。
 27日、午前中ローラー40分やって慌ただしく車で木更津へ。仕事。
 29日、再び林道ランニング。24日より3km強延ばして8km。その後MTBで多摩湖へ抜ける。
 30日、ジム。筋トレ40分とプール。マシンの疲れか脚が重く、250m4本の1000mでやめた。

 2月1日、ローラー50分。
 3日、ローラー1時間10分。
 4日、Moser で多摩湖を走る。42.5km。心拍アベレージは140台前半に抑える。
 7日、ローラー45分。
 9日、林道ランニング。今回は10分で右ヒザに痛みが出始め、4.8kmでやめ。そのかわりMTBで林道を走り込み。と言っても家からの舗装路往復10kmを含め22km。午後ピストを引っぱり出して久しぶりに3本ローラーを30分。
 11日、ローラー40分。
 12日、Carrera で多摩湖、52km。先週よりレベルを上げ145~150で22km、135~145で22km。
 14日、ローラー55分。
 15日、林道ランニング、8km。今回は調子良く、ひょっとしたらヒザ痛が出ないかと思ったがラスト1kmで来た。この痛みは数日消えず。やっぱり向いていないのか。
 18日、風と寒さに萎えたが翌日からスタジオに引きこもるので意を決して多摩湖へMoserで出掛ける。アベレージHR 154 で22km。しかし後半強風になってきて速度上がらず。いやになってきたが距離をかせごうともう11km走るがすっかり風に負けアベレージ133のタラタラ・ペース。計41.3km。
 22日、ジムで筋トレ40分+スピニング40分。スタジオで睡魔に襲われる。
 24日、久々にカオスのクラブラン。強風だったので川越~荒川コースはダメだろうということで小沢峠へ。殆ど保谷パンターニと二人。成木から小沢への6kmの上りでは中盤の一旦平坦になるところで大抵保谷君に引き離されてしまう。前後の峠で勝っていても小沢ではどういうワケかこうなる。しかしこの日は違った。なんとか耐えていつもの所でもピッタリ後ろにつき、最後の500mの急勾配で吐きそうになりつつアタック、結構なリードで頂上ゲット。本日全上り制覇。テキは高級ビアンキのカンパ・レコード仕様、こちらは廉価モゼールにシマノ105、おまけに重いクリンチャーのディープ・リムだ。へっへっへ。しかし帰り、平坦になってからはヨロヨロで全然ついて行けませんでした。84km。
 26日、ジム。筋トレとプール。混んでいたので1000m(250+500+250)でやめた。
 さて今日28日。雨で内心ほっとしている。どうしようかなあ。

 12-3

3月の現状
 いよいよ今季の緒戦・JCRC第1戦3/23まで1週間。トレーニングの負荷を段階的に上げて行くのが本筋だがシロウトは毎日走れるワケじゃないし、走りに出れば出たで、不測の事態で次がずっと先になってしまうかもなんて思ってしまうと走りながら突然低負荷トレーニングの予定を変更してバクバク追い込んだり、思い直して或いは弱気になったりしてL.S.D.(自転車趣味のない方のために敢えて説明しますがLongSlowDistance=低負荷中長距離トレーニングのことです)にしたりと、まとまりがない。
 そんな中、9,10,11と伊豆で某バンドの合宿の話が持ち上がった。東伊豆の大川温泉から内側に上る山の中、自転車じゃ絶対上れないという急坂の上にその無償提供される別荘があるという。当然私の血は騒ぎ、「午前中は自転車に乗っていていいのなら参加してあげようじゃないの」という条件で同行。9日は快晴の土曜日、高速も伊豆の国道もとてつもない大渋滞。このままでは現場に着く頃には暗くなってしまうと、ようやく4時過ぎ昼食に入った伊豆高原の蕎麦屋で Pinarello を組み上げ着替えて車と別れ先行。大川からの上りで車が追い付いて同行。なるほど、どんどん勾配はきつくなる。これはシロウトさんは「自転車じゃ無理」と思うよな、とゼイゼイほくそ笑みながら踏み込む。分岐点などで車が待っていて「大丈夫?もうやめた方がいいよ。」と声を掛けられながら、まあ見てろよ、と余裕だったが益々きつくなり路面も荒れたコンクリの簡易舗装になる。これはオオゴトである。そしてついにやってきた別荘への最後の道を曲がった途端、ええ?というような急勾配が出現した。このままでは失速~外れにくいタイムのペダル~足が付けず転倒、というゼツボウの光景が脳裏どころか脳表に。ああ無念、とうとう降りてしまった。押し上がるオレに別荘前で車から降りた連中が手を振る。くそ~。上に着いたオレはすぐスプロケットを25Tから念のため持参した27Tに組み替え、「え~、バッカじゃないの?」と言われつつもう一度下って再挑戦だ。勿論制覇。しかしきゃつらに押しているところを見られてしまったのは汚点である。「きついったって車で上れるんだろ?じゃあオレが上れないワケねえよ。」と豪語していたのだ。ホントにすごいワ。
 翌日午前中は稲取まで南下してから天城山の西側を上る。なかなか手応えある勾配で車はいないし路面もきれいだ。しかし帰りにあの上りがあると思うとどうもセーブしてしまう。35kmで帰還、夕方裏山を少し走る。急勾配続出。うーん、ここに住んだらそうとう強くなれるな。
 最終日、上り探求に南下してすぐの熱川から山に入った。分かれ道のたびにきつそうな方へ。そして箒木山という矢印看板に遭遇、これは気になるってんで曲がる。期待にたがわずきつくなって行くぞ。ムフフ、と思っていられたのも最初のうちだけ。あの別荘前のような勾配が数十メートルではあるが出現し始める。二日酔いであることを痛切に自覚したところにその急勾配が延々と続き始めた。通常こんな斜度の箇所は道路設計上いたしかた無く申し訳ない、見逃してくれと言いたげに10~20mしか続かないものである。ところが150m上ってもまだずっと続きそうだ。先の見えないコーナーを越えても次のコーナーまでこれが続いているのが見える。とうとう気持ち悪くなってきた。こんなにダンシングを連続したのは初めてだ。もうアカン。止まってしまった。こんな経験はない。初の上り断念である。しばらく休んでから下り始めたが未練が残り止まってしまう。悔しい。実はインナーはTAの38Tである。これにリア27Tだからこの坂を制覇するにはフロント3枚仕様にするしかないのか。敗北。ガックリ。こうして傷心のうちオンガク的おつとめをすませて夜帰路についたのだ。

 と、と、と、ところが、五日後の本日、来週のレースに備えてリア・スプロケットを戻そうとしたところ、アレ?このギア小さいじゃん、と歯数を数えると25T。最初に別荘前を上り切れなかったのが27T、軽いのに付け替えたつもりでその後何度も上っていたのが25Tだったのだ。いやあ、思い込みというのはすごいものですな。これで箒木山を今度こそ27Tで攻めてやる。でも最初から27Tが付いているのが分かっていて別荘前を上れなかったとしたらショックは大きく飲んだくれていたろうな。まあ飲んだくれてたんだけど。

 12-4

3月23日JCRC
 とうとうやってきました緒戦・JCRC第1戦。前の日曜に峠を攻めて以来あまり乗る時間がなく3,40分のローラーを隔日程度。おまけにレース前夜、ライブ終了後新作アルバムのジャケット用に雨風吹き荒れる深夜の六本木でガクガク震えながら野外撮影。帰宅後機材を降ろし自転車関係を積み込んで1時間半の睡眠で日本CSCへ5時半出発。だいぶ前から平身低頭五体投地して運転をお願いしていた奥方に任せ寝て行こうというもののそうそう爆睡できない。小田原先からは運転交代、9時に現地着。眠い。車外に出るとよろけるような強風だ。手続きしてリストを見るとDクラスは53名。相変わらず多い。

 10時51分Dスタート。5km5周の15km。3列目にいたのにクリートが上手くはまらずオタオタしてる間にみんなドーっといってしまい後ろを見ると誰もいないじゃないの。くそー、焦らなくてもすぐ先の上りで追い付くさ、と思ったがいきなりハイペース、先頭が上り始めたころはるか後方でようやくケツに紛れ込み坂で前に行き始めるが、こんな序盤から消耗してもイカン、既に余分な力を使ってしまった、と弱気になってほどほどに。上りと下りしかないこのコース、先頭グループから離れてしまったレベルのこのあたりだと序盤は位置の入れ替わりが激しい。毎度ながら上りで抜いた選手に下りで抜き返されたり前方から脱落してきたやつがこっちが抜くとムキになって復活したり。2周目に入ってかなり周囲も落ち着くが同行に手頃なペースの選手がいない。時折グラリとくる強風のなか、単独走行が増えてしまいこたえる。2周目最後の上り、暫く前から背後に付かれていたのだが振り返るとこんな後方にいるはずの無いパインヒルズのジャージが目に入る。え?と思ったら1分遅れスタートのOクラスのKさん、4番手らしい。並ばれてしまった。こ、これはマズイ。なんとか前に出て3周目に入る。1つ目の上りまでは前を行ったがその後はうしろに回りひたすら離されないように行くだけ。特に下りが体重差はそれ程ないだろうに速い。こっちは踏んでいるのに脚をとめている彼に離されそうになる。ペースの落ちないKさんに引っぱられ二人でDの選手を抜いて行くが刺激されて付いてくる者もいるので困る。抜く時にKさんの陰に入って同クラスだと気付かれないようにしてみたが効果ないね。ようやくたどり着いた最後の上り口でDを二人とらえそのまま前に出てダンシングで離しにかかるがタイミングが早すぎて坂終盤で力尽きKさんとDの一人に抜き返されて最後は後ろとの距離を確認しつつヘロヘロとゴール。29位に終わる。あー、やっぱり最近トレーニングも軟弱になってたからなあ。

最後尾から集団に追い付いたところ。ゼッケン代わりの番号付き
ヘルメットカバー、特にDクラスの白はオムツみたいでカッコ悪い。
最後の上りでアタックするも・・・

 しかし走っている時は当然きつかったが終わると疲れをそれほど感じていない事に気が付いた。全然力を出し切っていない。妻にも「なんか変」と言われる。いつもならレース翌日走るなんてとんでもないのにカオス・クラブランで65km走行、翌々日も津久井での用事に車にモゼールを積んで早めに行き山を上った。レース中の苦しさは何だったのか。気力がなかったということなんだろうか。寝不足+スタート失敗で弱気だったかも知れない。どうしたモンかねえ、これから先。

 12-5

4月7日~第27回チャレンジサイクル・ロードレース
 先々週に続き修善寺・日本CSC、夜半からの雨も現地に着いた9時頃にはなんとか上がった。出走は12時。年齢別のこの大会ではチームメイト、タマさんと一緒だ。リストでは40代91名だが実際召集場所には雨のせいか70名程だ。JCRCの時と同じ3周15kmだが逆の左回り、ホームストレートでスタートしてから下り右カーブ後の最初の上りまでは先導バイクが入ってペースを抑えるので前回の、クリートがはまらずドンケツという心配はない。上り始めで集団の前方に出て行くが、ここから本当のスタートだ、とばかり気合いの入った連中がどんどん後ろから来る。あららと後退、しかしまだ先頭はすぐそこ。みちみち同乗した俺の車を酒臭くした上に後ろの座席でいびきをかいて爆睡していたタマさんはしっかり4,5番手あたりにいる。その後のアップダウンで付いていけず、心臓破りの坂では前方はどんどん行ってしまい俺のあたりはもうばらばらになってしまった。
 2周目から昨年ツール・ド・嬬恋で俺より5,6番上だった赤ジャージと付かず離れず。そこに時折強豪ゼルコバの某選手も顔を見せる。先にスタートして力尽きつつある30代クラスの選手をパスする際「オラ、真っ直ぐ走んないと危ないぞ」と叱ったりしている。余裕あるな、くそ。なんとかこいつらには離されまいゾ。
 3周目の心臓破り、後方にいたゼルコバがまた並んできた。一旦下って最後の上り、ここでゼルコバがアタック、すぐ後ろに付く。ここまでの印象だと赤が1番強そうに思え、こりゃ利用されてゴールはおいてきぼりかも。しかし兎に角後は下り高速コーナーとゴールまでの平坦だ。踏み倒すしかねえ。必死でケツに付いていく。下り切って後ろの赤の位置が気になるが昨日見たツール・ド・ランカウイ(CS)でのゴールスプリントで、トップが後ろを見た瞬間にさされたシーンが記憶に生々しく余計なことはしない。フィニッシュまで100mあたり、右に外れてスプリントをかけるがテキもすかさず抜き返してくる。グウオー!!踏むんだ、ジョー!!?ここで62.3km/h、ケイデンス133回転をマーク(それでも心拍は165。本日の最高はゴール後止まったときの172)。並んでゴールへ、そして意地の一押し、いわゆるハンドル投げ。負けたと思ったが千分の12秒差で勝っていた。赤ジャージ氏は1秒遅れ。
 迫真のレースリポートでしたが後日のリザルト発表でなんと我々は30位争いだったのですねえ。あ~あ。しかしその後の調査によればゼルコバ氏(45)はJCRC・Aクラス、俺と同じDだった赤ジャージ氏(41)は昨秋Cに昇級していたことが分かった。ふっふっふ。二日酔いのはずのタマさんは14位でした。1周目は3,4位だったらしい。

<1>
<2>
<3>
<4>
<5>

<1>:1周目の最後の上りをヨロヨロ終えたところ
<2>:2周目、同行の赤選手と
<3>:3周目最後の下りからホームストレートへ
<4>:右から前にでようというところ。左端は30代クラスの選手。
<5>:本人にしかわからないだろうが先頭で並んでもがいている図

 さてこれで早くも一段落。4~5月は北米ツアーとドイツ、フランス行きがあるので当分自転車に乗れず。そうとう落ちてしまうであろうレベルを回復させて6月末の美ヶ原ヒルクライムを目指します。

 12-6

回復なるか?
 4月19日~5月8日のアメリカ・ツアー中はランニングなどで維持するはずが4/27に左足首大捻挫(<ずれずれ草参照>)、おまけに16時間の時差ボケは一向に直らず毎日午前2時に目が覚めてしまう。階段もろくに歩けないのにペダルはこげそうなので様子見に12日の日曜多摩湖でカオスの面々を待ち伏せするが、別コースにしたのか誰も現れず。周辺を30kmばかり流して帰る。1ヶ月振りのバイク。回すのはまあまあだがペダルから外すときが激痛。アホやなあ。
 17日に再び多摩湖。持久力は落ちたようだが最初の11kmの計測ポイントまでのタイムは悪くなかったので安心。そして19日からパリ~ケルン。勿論ランニングなど出来る足首ではない。25日朝帰国、そのまま横浜での昼間の公演に直行して夜まで寝なかったせいか、時差ボケの感覚なく目覚めた翌26日、また多摩湖でカオス待ち伏せ。しかし忘れていたがこの日はツアー・オブ・ジャパンの最終日・東京ステージ。皆前座の市民レース出場や観戦に出かけていたのだ。「どこ行ってんだ、だらしがないヤツラめ。」と一人山王峠に出かけて68km。
 その後はなんだかんだ忙しく、東海方面ツアーもあったりしてなかなか連続して乗れない。おまけにCS放送のジロやクラシックの録画を見ていると、200kmも走ったあとに23%の激峠が出てくるなんて有様で、なんだか自分のやっていることはママゴトのママゴトのさらにお遊びという感じで馬鹿馬鹿しくなってきてどうも練習熱が出ない。

 そんな中の6月9日、カオスのこの時期の恒例行事のヒルクライムに出かけた。赤城山の旧道である。新道しか走ったことがなかったが、こいつはキツかった。今回テキになりそうなのは保谷パンターニだけだったのでマークしていたが、上り始めこそ先行したものの3kmくらいで置いていかれその後は一人旅。急勾配がちょくちょく現れるし強風である。九十九折りのきつい勾配を曲がった途端突風にあおられよろけて脚をついてしまった。クツジョク。しかもそのあとよろよろ上がっていたら上から保谷君が下ってきて励ましの併走、「あと1,2kmですから。」。く、く、くそう。上り口からここのピークまで13km、しかしこの先一旦下ってまた上る4kmが予想以上に傾斜がありズタボロ。大沼の売店で皆を待つ20分程の間に何度も外の椅子でコックリしてしまう。そうだ、寝不足だったんっだ。2時間半しか寝てないんだった、そのせいだな。下りは新道。走行48km。

 20日はかの森幸春師匠とともに丹沢の山中をひたすら上り下りし上り標高差を記録するという師匠の「標高チャレンジ」に同行させていただくべく、タマさんとサポートカー担当みどりさんとで朝6時集合。しかし師匠から「丹沢は確実に午前中から本降りになるから中止しましょう」と電話がある。がっくりしたが前回同行のSクラス綾野真カメライターは3時(それだって六時間くらいだ、すごい)に脱落したということだったのでホっとしたのも事実。どっちみち午前中なんとか頑張ってあとはサポートカーのお世話になる予想だったのだ。折角だから3人で天候の崩れの遅れそうな秩父・龍勢ヒルクライムのコースに出かけゼコゼコ上る。走り終わるまで天気はなんとか保った。

 さてこんな有様であと一週間の美ヶ原はどうなるであろう。

 12-7

ツール・ド・美ヶ原2002
 久々のレース、昨年に続き2回目の出場の<ツール・ド・美ヶ原>。近年のヒルクライム人気からこの大会も大幅に参加者増加のようだ。我がDクラス(41~50歳)は昨年の150名から250名に増えている。前日夕方会場入りして手続き後、コース序盤にいきなり現れる難所・15%の激坂のみ上って後はスタート地点周辺の平地を軽く流して旅館に入る。温泉、ビール、夕食、ワイン、サッカーW杯準決勝韓国トルコ戦を観て就寝。

 翌朝は6時過ぎに朝食を済ませ、慌しく準備。7時から通行止めになるのでカミサンはさっさと車でゴール地点へ。スタート地点の市営球場を周回してアップ、カオス保谷君に会う。赤城山での借りを返したいものだが最近の練習不足、自信無し。さて競技は7時半スタートのチャンピオン・クラスを皮切りに3分間隔で女子、ついで男子若いモン順で各クラス出走。Dは100+100+50の3組に分かれ、僕は2組目、8時2分に最前列で踏み出す。4番手で旅館街を抜け、勾配がきつくなり始めたところでどんどん抜かれるがここは目前の15%に備え自分のペースを維持。そしてググっときつくなる傾斜。昨年同様、押し歩きが始まっている。左側歩行がほぼ守られていた昨年に比べ今年はマナーが悪く道の両側にいる。同行の選手がしきりに「通して下さあい」と紳士的に声を掛けているがこちらはゼイゼイ。しかし並んで喋りながら歩いている若造二人がいやがって、さすがにこの時は「広がるなよ、道あけろ!」とかすれ声でわめいた。「ここが一番の難所」の看板をすぎ、すこし楽になると思っていたがさにあらず、また同じ看板が出てくる。ウソツキ。去年は蛇行して切り抜けたあたりも今年は27Tを付けてきたのでなんとかなった。しかし27Tを多用してしまうとタイムが落ちるのは乗鞍で経験済み、意識してこまめにギア・チェンジ、少しでもゆるくなれば21、24を使うよう心がける。4km程からの美鈴湖への下りは回復させつつ適度に踏んで飛ばし、再び上りへ。林の中、きつい九十九折が続く。ここまで来ると2、30代の遅れている選手を多々抜いて行くものの、同組の選手はもう殆ど位置が落ち着いたようで大体同じレベルのものと抜きつ抜かれつ。ようやく現れた中間地点の看板の付近で後発50代以上クラスの有名クライマー、パインヒルズN氏(60)に抜かれた。もう50代に7,8人は抜かれている。とすると、同じく50代パインヒルズK氏も後ろから来るかも知れない。あのヒトだけには抜かれたくねえ、ぐええ、苦しい。いやいや、当面の敵は自分のクラス。トレックに乗った選手がなかなか手ごわい。ゆるい所では先行できるのだがきつくなると抜き返される。振り切りたいがケツ下の筋肉が猛烈に痛い。思わず「痛ててて、あああ」と泣き言が漏れてしまう。ピークの武石峠手前、後ろから軽快なペースの選手が抜いて行ったのでこの後姿を目標にペースアップ、するとテキは遅れ始めたもよう。やがてあと5kmの看板、ここからの平坦と下りでは猛然と飛ばす。最後の上りはそれほど長くないので脚を休める必要は無い。手前2.2km地点で最高速62km/hをマーク後3回ばかりアップダウンを繰り返し、この間5,6人抜いてラスト600mの上りへ突入。いくつかのかたまりになっている選手達を抜くもののゴール手前から計測のためコースが狭められていて遅い選手に引っかかってしまい減速してフィニッシュ。残念。

 ゴール地点で地元から振舞われる冷えたトマトがうまい。先にゴールしていたチャンピオン・クラスの浅倉君や30代クラスの保谷パンターニと合流。浅倉君は1時間9分台で10位。保谷君と僕は共に1時間31分台で秒差が気になるところ。ともあれ昨年より約3分短縮できた。ケツの筋肉痛にうめきながら、そこそこ満足感を抱いて帰路につく。翌日ネットで調べたら保谷パンに10秒勝っていた!!詰まってなきゃあもう15秒はイケたな。クラス56位、昨年の37位に比べると見劣りするが100人増えてしまったのだから仕方ないか。比率で言えば24%から22%へアップ、些少ですが。
 次レースは再来週の浅倉・カオス飯塚と組む2時間耐久。浅倉君さえいれば入賞確実でしょう。

 12-8

第10回サイクルフェスタ・イン・川口
 7月14日(日)、JCRCの群馬CSCでのレースに行くつもりだったのだが、カオス飯塚君の依頼を受けこちらに出ることになった。川口オートレース場の800mオーバルコースを3~5人交替でひたすらグルグル廻る2時間耐久。ゼルコバ浅倉、カオス島&飯塚の3人で3年連続優勝しているのだが今年は島さんが泊まりがけでJCRCの方に出るというのでその代役である。前の週に多摩湖で出会った島さんにも「優勝頼むよ!」と圧力をかけられているが、浅倉君がいるので気楽である。
 当日は雨の予報だったが快晴、これはこれできつそう。参加は16チームで例年よりかなり少ないらしい。浅倉、飯塚、早川の順で適宜交替ということで10時スタート。目まぐるしい計測係はいぬふぐり・みどりさんが担当。まずはTTハンドルにカーボン・バトンホイールで完全武装の浅倉があっという間に先頭に立ち快走、ほぼジャスト1分、時に58秒なんていう周回タイムで15周走って飯塚へ。飯塚は1分5~15秒で8周、そして吾輩がスタート。風が出てきていて「あの辺でいきなり来るのでコケそうになる」という浅倉君の忠告もあったが、なるほど、真っ平らなのになかなかこたえる。それにやはりレースとなるとおのずと高負荷、トレーニングでは痛くならないケツの筋肉がすぐに痛み出す。1分10~15秒で7周。後半、かなり立派な恰幅の選手に抜かれ「あれれ?ホントかよ」と頑張るが、向こうが交替したてで元気なのか或いはここの風には俺の軽量が不利なのか単なる力不足なのか、このすね毛も伸び放題の輩にどんどん離されてしまった。浅倉に交替、相変わらずのペースで15周、見物からは「あれ大丈夫か?どうかしちゃったんじゃないの?」などと驚嘆の声が上がっている。飯塚はやや落ちて10~15秒ペースでやはり8周。早川も10~15秒で7周。また先刻の恰幅君と一緒になったが今回は抜き去った。しかし風は強くなり場所によっては斜めになって走らなければならない。
3回目のローテーションに入り鉄人浅倉は飯塚のウッカリもあり17周、しかしペースは変わらず。飯塚やはり8周、早川は7周目にタイムがいきなり落ちたがもう4回目は無い時間なので気合いを入れて9周走り浅倉君が最終スタート。さすがにラップは2秒くらい落ちてきたが相変わらずの独走、14周で2時間終了。結果は勿論ダントツ優勝の107.9周。とは言うものの自力じゃないのでどうも後ろめたい。表彰状、ウィンドブレーカー、Tシャツをもらってビール。

*このコースは全く脚を休ませずこぎ続けるのでローラー的きつさがある。
*アップダウンなどの「あそこさえ越えればちょっと楽になれる」というような頑張るポイントがなくヘタに頑張っちゃうとそのまま力尽きてしまうようで加減が分からない。

 さあ、もう当分レースはない。8月末の乗鞍は締切が6月末だったのになんと5月14日に定員一杯で受け付け終了されてしまいエントリー出来ず。次回は9月上旬のJCRC川場大会だ。ひとまず明後日からのKIKI Band シンガポール・マレーシアツアーで美酒美食の日々を過ごしてこよう。