● 14-5●
6/29・美ヶ原~7/13・JCRC
6月29日、15% の勾配がウリのツール・ド・美ヶ原。昨年のタイム、1時間31分24秒を上回るのを目標に臨む。しかしエンペラー・カップのあとドイツに行っていたり帰国後も仕事が詰まっていたりでローラー台+多摩湖数回といったところで全然長い上りのトレーニングが出来ていない。前の週には休みが結構あったのだがこの期に及んで高負荷の練習をしても疲れが残りそうという弱気な姿勢でやってきた当日。
雨の予報だったが明け方にはかろうじて上がる。我がクラス(41~50歳)は342名のエントリー。4つのグループに分かれて8:01から2分置きにスタートだ。年令順ゼッケンなのでもはや俺は最後の第4グループ、8:07出走。スタート地点の松本市野球場から浅間温泉旅館街を抜けるまでは例年通り2、3番手でこの先の15% 激坂でも例年通り順位をひたすら下げる。例年通り押し歩きの列が連なる中をギアを38T+27Tに入れマイペースで上る。ここは500m位の直線で終わるがこの先一旦緩くはなるものの幾つもきつい勾配が現れる。「ここが一番の難所」という激励の看板があるのだが「ああ、ここを越えれば何とかなる」と錯覚させる迷惑な代物で確か3ケ所くらいにあったな。まあ毎年だから分かってはいるんだが苦しいと信じたくもなる。ということでリポートも毎年同じようなモンだからいいか、もう。しかし俺のクラスでも昨年より100人ほど多く、全体的に参加者が増大して押し歩きや蛇行する選手が増えていていささか走りにくい。必然的に力のバラつきが多いせいか、うまいことペース・メーカーになる選手が見つけられずタイムは大分落ちてしまった。これは言い訳、実際27Tを踏みながら「現行デュラエースじゃあこれ以上軽いギアはないぞ。来年はどうすりゃいいんだ?」という思いばかり。去年はなるべく27を使わないよう意識して行けたのに。中盤小雨と湿気、汗で曇ってどうにもならないサングラスを外してしまったので裸眼0.1未満では去年62km/hをマークした武石峠の下りも57.7km/h どまり。
結局タイムは1時間33分45秒で昨年より2分21秒落ち。一昨年よりは37秒速かったのがせめてもの慰めだ。昨年10秒勝った30代クラス・カオス保谷君には何と6分も負けてしまった。草津だって俺が勝ったのに(僅か24秒でしたけど)!!チャンピオン・クラス3位の浅倉君なんざあ俺より29分も速いでやんの。しかもローギアが21Tだってんだから。で、順位はゼツボーのクラス88位(342名)、総合593位(2089名)であった。
一向に練習量が増えない。むしろ減少傾向のなか、全く出る気のなかった7月13日のJCRC第5戦に締切り当日エントリー。せっかく登録料を払っているのに全然出なくては勿体無いというセコイ動機もある。群馬CSCの6kmコースを4周。前日12日にはタマさんがZ-1クラスで出て60kmを1時間44分の18位(48名)、13日の通常クラス・レースに出るいぬふぐりメンバーは俺だけだ。
そして雨。止んでいたのにしょっぱな9時スタートの我がDクラスの時には本降りである。ここでは度々落車に遭遇しているから嫌なカンジ。エントリーは79名。指や腕に怪我をするワケには行かないからスタート直後の大集団では無理をしないが少し車間を空けるとすぐ割り込まれる(まあ晴れてりゃあ俺もやるだろうけど)。1周目はその先頭大集団で走り終えるが2周目に入った途端まさかの集団最後尾ではないか。げげげっ。追い上げようとするが先頭のペースアップがあって既に遅し。前から落ちて来た数人と走るがここでも走りが噛み合わず遅れたり先行したりでバラつき消耗してどうにもならず、カメラを構えつつの妻の声援も虚しく響く。これでは彼女のニコンF3+モータードライブが勿体ない。少なくともモードラが必要な速度ではないな。3周目にはこのコースの小刻みなアップダウンが響いて来て通称「心臓箭破り」の坂は言うに及ばず、アウターで行けていた上りまで応えて来て、おまけに曇って見えないグラスを外してしまったら今度は前車のしぶきが余りに凄いので後ろに付けない、ま、どっちみち付けねえ。4周目でそれまで前後していた3、4名から取り残されゴール500m手前でつりかかってしまった右ふくらはぎをかばいつつ寂しく単独でモガいてフィニッシュ。上がらない脚を無理矢理上げて自転車からやっと降りて1分程開いて入って来始めた後続のゴール人数を数えて「これでビリから何番」と自分の順位の見当を付ける。ああムナシイ。翌日ネットで確認、44分35秒の61位でした。
しかし前回ここを走った99年、やはり雨だったJCRC・Dクラス、46分02秒だったのに34位だったぞ、しかもスタートラインでサドルが緩んでひどく前に傾いてしまったまま走ったのに。日本のアマチュア・レースのレベルが上がったという喜ばしいことなのだろうか?けっ、チクショー。おめえら若いんだからもっと上のクラスで走れ!!まあカオスの島さん等僕より年長で上位の方も3名いらっしゃいましたが。
● 14- 6●
乗鞍前夜
本日はビッグイベントである乗鞍ヒルクライム出発前日である。散々だった7月13日以来心を入れ替えて練習に励んだ、ということはなくバタバタと日々過ごす。それにしても雨か熱中症日和かどちらかの夏だった。全国的に皆さん練習不足であったことを祈る。
そんな中の7月27日、<サイクルフェスタin 川口>に昨年に続き出場。前回は毎年優勝の<蟹味噌カオス>飯塚・島・浅倉組の島さんの代役だったが今年は4人で走ることになった。川口オートレース場の真っ平らな800mオーバルコースを3~5人交替でひたすらグルグル廻る2時間耐久。浅倉9周~島6周~早川6周~飯塚6周で回して行くことにする。ピーカンで日射しを遮るもののない灼熱のなか10時過ぎスタート。浅倉君はさっさとぶっちぎりの56~59秒台でラップを重ね2番手島さんが1分05~09秒(6周で6’45”)、3番手早川1分05~11秒(6’52”)、4番手飯塚君1分04~12秒(6’53”)で1回目のローテーションが終わり2順目に入る。「2回目からは身体が慣れて楽になる」と皆が言う通り、ペースが落ちてしまったかと感じるのに実際のタイムは変わらず、心拍160~164をターゲットに周回。2巡目は6’53″、3巡目6’52″と数値を見ると一定だが意外に風の影響を受けて上り坂があるような錯覚さえある。それに一瞬たりとも脚の回転を止めないのでかなりきつい。チームメイトが見ていたりすると手を抜けないからもっと辛い。最終4回目は浅倉君以外は1周増やして7周ずつ走り終了した。勿論ダントツの 110.9周で優勝。3人だった昨年は108周だった。ラップタイムも一人当りの周回数が多かった昨年ではあるが1分10~15秒だったのが今回5~10秒だったのでまずまず。それに飯塚君より幾分上回ったし平坦得意の島さんにも大きい差はつけられなかったし、賞品のシャツはとても着られないデザインだったが楽しく終えた。それにしても去年もそうだったんだが、優勝より下位の方の賞品がいいんだよなあ。なんで?暑いなか計測係のみどりさん、御苦労様でした。
その後日程の合うレースもなく過ごしていたが8月16日の小樽での日本最大規模のロック・フェス<ライジング・サン>に出演ついでに札幌の牛馬の獣医師、木野本君に自転車を用意してもらい17日に豊平川~石狩川を50km弱ツーリング。木野本センセイは長距離専門で乗鞍と同日開催の<十勝160km>を年間のメインイベントにしている。当てがわれたのは勿体なくも預かりもののTREK5500、D/A仕様である。センセイ謙遜していたくせにいきなりアベレージ40km/h超のペースで走り出され、平坦に弱い俺はややアセるが程なく脚も回り出し適度に先頭交代しつつ快適に、真駒内近辺からイサムノグチ設計の巨大な<モエレ沼公園>を往復。平坦とは言え風がありなかなか走り応えがあった。
しかし楽しさに加えて考えさせられるモノあり。レースももう7年目だがぱっとしないし、やっぱガキのころ遠くに行きたいと思ったのが自転車遊びの原点だしなあ、など。木野本君の仲間達の走りっぷりなどを聞くとトレーニング、レースと気ばかり追われている自分(その割りには練習不足!!)には無い気持ちの余裕を感じさせられた。
なんて弱気になっている内に明日は乗鞍に前日入りだ。今年は何とチャンピオンクラスでのエントリー。後ろから抜かれる一方だから走り易いだろうが規定の1時間20分を切れるだろうか。自己ベストは23分なんだよね、実は。さて、支度にかかるか。
● 14- 7●
乗鞍その後
さて、カオスの保谷君、吉川兄、斉藤女史、小藤嬢、いぬふぐりタマさん、みどりさん、パインヒルズの怪物・二階堂翁、ワダレーシングのクライマー御木君、そして優勝争いを担うゼルコバ浅倉とで乗り込んだ乗鞍。受け付け会場の出店で思わずBENIXなる、カナダで開発されたという「耐久力増加、熱量生産増加、疲労軽減、筋反応向上、反射速度向上」リストバンドを\4,500も払って買ってしまった。シモーニが装着してジロを走っている広告写真、もう藁にすがるぞ。
と、と、ところがである。夜中がら土砂降り。明け方起床して様子を見る。皆も安心したいから「あっちの空は明るいぞ、これは上がるだろう」などと言ってはみるが小降りと本降りを行きつ戻りつ。朝食を済ませビニールカッパをはおりアップをかねて宿から2kmほどのスタート地点へ向かう。この上りのほうが競技コースより傾斜がありそう。もう一度下って、遅れて出てきたタマさんに出会いUターン、一緒に上って会場へ。三千人以上がごった返すなか、所定のクラス位置に自転車を横たえ満員電車のような観光センターで雨宿りする。雨足は一向に変わらない。その内場内に設置されたオーロラビジョンに山頂ゴール地点の様子が映し出された。台風リポートの如くマイクを持った人物が吹き飛ばされそうになっている。風速25m、「こりゃあダメそうだな」と周囲から口々に声があがる。やがてついに「大会中止」のアナウンスがされた。落胆のどよめき、出場者たちが散会していく中、タマさん「途中まで行きましょうよ、せっかく来たんだから」と囁き、よっしゃ、と二人で走り出す。序盤は何人も走っているので、皆同じつもりなのかと思ったらすぐ先の国民宿舎に泊まっている連中だった。そこからはタマさんと二人でいいペース。しかし上がりそうになった雨がまた激しくなったり道の向きで強風にあおられたりで、これでは選手層に幅のあるこの大会の中止は仕方ない。やがて後ろから早いペースで二人が抜いて行った。「行けば?」とタマさんをそそのかすが乗らなかった。やがて7km地点の第一チェックポイントに来たがここまで。パイロンと車でコースが塞がれ4、5人の係員に「この先は呼吸できないくらい風が強いよ」と止められた。ここから勾配がきつくなってくるのだが、残念。下って行くとスタート地点にはすでに走行禁止の看板が立てられていた。早く走り出して良かった、せめて7kmでも上れて。
とっとと風呂に入りに行ったタマさんと別れ、ずぶ濡れのまま抽選会に残るが大分進行してもちっとも当たらないので業を煮やして旅館に戻った。さぶい、俺も一緒に帰れば良かった。
そんな具合に終わってしまった夏の大イベント、その後さっぱりやる気も出ず次のレースのめども無し、9月はなんと3回120kmしか走らなかった。しかしこのままではこの血と汗と骨折の7年間が無駄になってしまう。築き上げたワタシの脚と心肺機能が、、、てなワケで気候も良くなったし再開しよっと。
● 14- 8●
武尊(ほたか)ヒルクライム
10月トレーニング再開宣言したものの総走行距離525km。多摩湖に5回(1回35km程度)と小沢峠往復または小沢~山王峠(57~60km)を4回、あとはローラー(45~60分、負荷+2)7回。全然あかん。まあそれでも山王峠脇の5kmの行き止まり激坂ではタイム更新が出来たしローラーの内容も短時間ながら充実感がほのかにただよい、距離や頻度が少ない割には復活の兆しがおぼろげに見える。そして11月1~2日の第7回武尊ヒルクライムに臨んだ。99年には見事3位入賞した由緒正しいレースであるがそれ以来だ。1日が年代クラス別レース、2日がタイムトライアルで特にこのTTのゴール前の斜度21%というのがレースコースとしては国内最高勾配であることを売り物にしている。
まずまずの天気の中、午後1時からスタート。全体でも70人程度なのでのんびりしている。40代は16名しかいないぞ。と思いきや、なんと日本一のクライマー、村山利夫選手が同じクラスでねえの。なんでこんな人がこの草レースに出てくるだ?ひょっとして俺が不在の3年間でこの大会のステータスがぐっと上がったのか?これで貴重な順位が1コ失われたわけだ。コースマップでは8.1km、標高差470mとなっているが実際はスタート地点が例年より1km近く下になっていて距離は9km強。13:05スタート。いきなり一人飛び出して行くがさほど離れず集団が行く。毎度ながら始めだけ前にいる俺は集団の2番手。しばらくするとズドーンという感じで村山選手が右を抜いて行った。これが上りかよ。そのうちどんどん抜き去られあとは時々同じような数人と抜いたり抜かれたり。半ばからは道も狭く傾斜もきつくなってトップクラス以外はてんでバラバラに喘ぎつつ単独行である。心拍計だけがお友達。160以上をキープするようにした。低心拍王としてはキツ目の値であるが前述の山王峠脇道でもアベレージ160を心掛けていたのがいい練習になった。33分29秒でフィニッシュ。結局アベレージは162、マックスは170。上りとしてはいいペースだったが草津では平均165だったからもっと行ける筈だったのだろうか。しかしゴールしてからゴホゴホ咳き込みは止まらないししばし動けないし、まあこんなもんだろう。・・・でも例年のスタート地点からの測定では99年より2分半遅かった。大ショック。結果はクラス11位、総合40位と悲惨なものであった。
翌日は個人TT。距離7.5km、標高差600mとあるがこれもスタート地点が昨日と同じなので実際は8.6km、標高差不明。しかし旧データで昨日が470m今日が600mなのだから相当きつい。21%に備えてスプロケットを25Tから27Tに交換。ゼッケン順に30秒間隔でスタート、俺は40番目。走り出して暫くして前の選手を抜く。後ろの選手も見えなくなっている。昨日の結果に滅入っていたがちょっと気が晴れてきたぞ。3.8kmくらいで左折、武尊のスキー場へ入る。スキー場なんだからぐっときつくなるわけ。ここでもう一人抜く。途中なだらかなところも出てくるが終盤に16,7%と言われている上りがあってどっと脚に来てそのあと平坦が少しある。そして道が右に曲がった途端目の前に21%がそびえるのである。このあたりにいたカミさんの話ではここで「なんだこりゃあ」と呻く選手多数。99年には周りに「降りて押したほうが速い」「よろけてコケる」「前年乗って上れたのは5、6人」と散々脅かされたので押してしまったが今回はそんなことは出来ん。今年の南伊豆ではもっときつい勾配にも遭遇しているのだが一人で自分のペースで行くのならともかく少しでも早くという意識のせいで死にそうに苦しい。蛇行して上がる道幅もない。ギシギシと膝、腿、ふくらはぎが悲鳴を上げ腕もパンパンだ。ここまで来て今さら押せるか、という気持ちだけでなんとか上り終えラインまでの僅かな平坦をヘナヘナダッシュしてフィニッシュ。36分33秒。クラス8位。これによって2日間の総合が40位から29位にアップし、これでなんとか初日の情けない気分を挽回することが出来た。心拍は平均161、最高175。二日目なのに落ちずに走れた。今年はこれでレース終了か。