第7章:地道な道:1999.後期

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 というワケで気を取り直し、9月2日からトレーニングを再開。数日後のローラー台の数値ではなんとか戻って来ているようだ。早稲田所沢キャンパス周辺の激坂付きトレーニングコースで5月に出していたベストタイムに近い数字がでてすこし安心した。
 9月11、12日、JCRC 川場村ヒルクライム大会。例年通り初日個人T.T.、2日目クラス・レース。いぬふぐりはロード初レースになる期待の新人・悠輝、会長、部長(みどりさん)、事務局長(タマさん)と俺の5人出走だ。悠輝にはマルイシ・スリッパ号にミシュランの新品スリック・タイヤ(と言っても型遅れ処分品)を装着し貸与するという気前の良さ。「礼儀ってもんがあるだろ?俺に勝つなよ。」と言い聞かせておいた。結果は昨年のT.T.より1分速いがレースより30秒遅いという32分23秒82。昨年同様2日目の方が速くなればまずまずだ。と思ったのだが、あれ程言ったのに悠輝が30分34秒51である。スリッパ号はオーソドックスなクロモリ・フレームでパーツのグレードも低いから俺や会長、タマに比べ 1.5 kg 近く重いし、まだ背の伸びている最中の彼にはすこし大きい。これでジャスト・サイズのアルミ・フレームだったらどこまで速いのだろうか。あ~あ。
 チーム内順位:1;タマ(30’04″12)、2;悠輝(30’34″51)、3;早川(32’23″82)、
        4;会長(39’40″53)、5;みどりさん(44’06″61)

 そして2日目はと言うと、昨年通り初日より速くなる筈が遅くなってしまったのだ。Dクラス50名、スタート地点で会長とみどりさんに「よしっ、行け行けえ~!!」と大声であおられた俺はつい飛び出してガンガン踏んでしまいペースオーバー、3分ももたずに先頭集団から脱落、その後もどんどん順位を落とした。このクラスに4、5人がエントリーしている某チームを密かにライバル視していたのだが、昨日は俺より遅かったその中の3人(A(24):32秒遅れ、B(36):36秒遅れ、C(35):3分28秒遅れ)にもC選手を除いて抜かれてしまった。ゴール1km手前、前方に見えてきた先行選手(23)をなんとか至近距離にとらえ、気付かれずにこのまま行きゴール前で抜き去る算段をしていたらゴール地点の駐車場から下って来ていたかみさんが「ほらほら、抜け、抜けー、頑張れー!!」と大騒ぎしたのでテキに悟られてしまった。向こうも必死で踏みだして、一旦は並んだものの結局20秒も離されてフィニッシュ。惨敗の41位だった。
 悠輝はというと、Fクラスだったのだが、E、F、O(50歳以上)、W(女性)の53名で8位入賞、クラス1位。会長は自分がもはや俺の敵では無くなったので息子に全てを託したのであろうか。

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 その翌々日、試しに悠輝に貸した方でいつものコースを走ってみたらいいタイムだ。しかも下りでは最速記録が。合宿最終日で30秒タマさんに勝った時もマルイシだったしなあ。モゼールよりやや小振りだからか、取り回しも楽で気のせいか走行中の両手離しでジャージのファスナーの上下やら背ポケットからの携帯食の取り出しまでも簡単みたいだ。ううむ。
 次のレース、9月23日のシマノ・もてぎロードも迫った20日、仕事先の広島から羽田に着いた俺は迷いに迷った末そのアシで北千住のショップまで行き、広島のギャラをぶっ込んで(ホントは後日振込みだけど気分的に)SPINAGYのSPOXというホイールを入手。スポークが金属ではなくベクトロンという、宇宙飛行士の命綱に使われる繊維でハブもカーボン製という軽量新兵器だ。果たしてこの私に雑誌等での評価通りの効果がワカルのだろうか。
 レース当日、3時過ぎに出発、5時40分<ツインリング・もてぎ>着。なにしろ参加者が多くてクラスも多いから開始が早い。会長と俺のエントリーした<オープン・メン2>クラスはしょっぱなの7時45分スタート。4.8km を4周だ。年令別クラスだとたった2周なので同じカネを払うならと年令オープンクラスにしたのだ。リストでは180名もいる。ゼッケン順の整列なのに92番の会長はズリズリ前へ。俺は98番。
 スタート後、とにかく大人数なのでコワイ。押しの強い会長は第一集団の前方、俺はすぐ続く第二集団の中程まで落ちてしまう。双方とも40人づつ位か。ゆるい上りしかないので団子状態が続き、接触、怒鳴ることもしばしば。2周目の上りでようやく会長をパス。3周目半ばまではバラけず、しかもこのコースではいくら上りで飛び出しても平坦路でごっそり抜かれるのでイヤになる。で、走り方を変更、後ろにつく相手を乗り換えつつ小判鮫走法。ゴールでは4、5人でのスプリントとなるが、0.03秒差でドンケツ。トップから5分遅れると失格ということで完走は116名、わしは1分45秒遅れの30分31秒71で76位に終わった。ま、半数以上が20代、俺より上位で同い年以上は5人しかいなかったから不得手なフラット・コースとしてはこんなもんか。

スタート直後の大集団の中の早川選手
左:中盤 
右:終盤の第?集団の2番手走行中の早川

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 またしても翌々日だが、レースで使ったSPOXホイールが今までとどれ位違うものなのか走りに行くが前項のマルイシの時よりも遅いでやんの。
 その翌日にはCHAOS のクラブ・ランに参加、一日おいてしつこく同じコースを一人で走る。
麗蘭レコーディングの合間を縫って10月1日、久し振りに多摩湖を走ったら昨年8月と今年4月に出していたベストタイムを大幅更新。
 10月7日、秩父・吉田町で龍勢ヒルクライムの試走。ふもとで着替え終わったらシューズを忘れていた。同行したかみさんは秩父市内に戻って買えとムチャを言うがいくらすると思ってんの?タイムの参考データにするのは諦め、スニーカーで上る。今年は昨年より3.3km 下からスタートだ。昨年のスタート地点からのタイムも計ったが41分08秒で前回レース時より43秒遅れ。本番でのタイムアップと靴の事情を考慮すればまあまあだ。
 10月24日、第2回龍勢ヒルクライム。ブリヂストン・アンカーのそうそうたるメンバーが来ている。トイレに並んだら、昨年までベルギーのプロチームで活躍していた橋川健、大御所・大塚先生、俺、の順だった。これは幸先がいい。10時26分、D(40代)、E(50以上)同時スタート。パインヒルズ4名(D2人、E2人)を含む先頭グループの7、8番手でなんとか大塚氏について走るが 4.6km の最初の激坂でおいてきぼり。更に2人ぐらいに抜かれる。その後も2人ぐらいにやられたかも知れない。苦しいので記憶も曖昧。やがて、去年2km手前で抜いた秩父のチームのT選手(’98年 5-3 参照)が追い付いてきてしばらく並走。太田部峠を越えての下りでスパート、3分前スタートのCクラス30代選手を2人抜きつつぶっ飛ばしたらT選手は見えなくなってほっとする。最後の4kmの上りではもう同クラスの人間に追い付く可能性も無く、遅れたCクラスを抜いて行くだけだ。2km手前で C 4人の集団に追い付き合流、抜け出した先頭の一人と共に先行してゴール。44分59秒の9位。初のひと桁順位だが今回は参加者がDクラス30人と少なかったので差程嬉しくなかった。タマさんが来ていたら10位になるワケだし。それはともかく、下見のおかげで昨年より延長された部分や最後の上りの区間距離を把握できていたのは精神的に楽だった。全体にいいペースで走れて満足。