第5章:Dクラス真中以上への道 :1998.後期

第五章:Dクラス真中以上への道 :`98.後期

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 夏のある日の夕方、玉川サイクルにたむろしていた会長は思いきった行動に出た。私の想像ではおそらく午後から飲み始めていたビールから既に焼酎に切り替えていたのであろう。某輸入代理店にトツゼン電話をかけ、イタリアの高級車、リアルレーサー、シロートには乗りこなせないと言われる <De Rosa> のフレームを酔いにまかせオーダーしたのだ。そして強引にもタマの分まで注文したと言う。その夜、「へっへっへ。いひひひひ。」とだらしなく笑いながらの電話でその事実を知らされた私はチーム内最高級車から一挙に3位に転落したことに全く動揺せず、けっ、いいもんね、いくら機材が良くなったってな、と彼等に祝杯をあげつつ、うーん、大分太くなってきたな、と自分の腿をさするのであった。

 8月2日、JCRC第9戦。3時起床、ネットで Tour De France の状況をチェック。昨日の T.T.でウルリッヒ1位になるも、パンターニも3位で総合トップは変わらず。よしよし。コーヒーを飲んで3時45分かみさんと出発、玉サイ前で会長の車に乗り換え。会長はデビューする De Rosa をしっかり布団でくるんでいる。去年積み込みの際に俺のMoser にペダルをぶつけて塗装のえぐれる傷をつけた時は「なんだ、どうってことないよ、こんなの。」と言って笑って済ませたくせに。またしても人間性を見ちゃったなあ。4時20分、会長、みどりさんと4人で修善寺へ。タマさんはそうそう日曜日に店を閉めるわけにもいかないので今回はパス。7時の開門の少し前に着。雨と風が出て来たのでバッグ、ローラー台、自転車を持ってメインスタンドの屋根の下に陣取る。コース試走後、まず8時にみどりさんが出走。ローラー台でウォームアップしながら見ていたが2周目、いつまでたっても戻って来ない。どうしちゃったんだろ、と心配しつつコース内側に移動してアップ。
 今回は逆周り(時計周り)ショートカット4kmを周回する。9時にC(6周)、9時1分我がD(5周)、2分にE(4周)がスタート。最前列に並びクリートも珍しく一発ではまり好スタートと思いきや、やっぱりどんどん抜かれる。が、すぐ上りなのでつい前方に出てしまう。心拍を見て、待てよ、まだ先は長いのだとセーブする。下りコーナーは皆速く、ずるずる後退。上りになると抜き返すという毎度の形に早くもなってしまう。初めての逆周りは、いつものチャレンジ・ロードより楽だと聞かされていたのに意外につらい。特にスタート/フィニッシュのホームストレートに向かう最後の上りがこたえる。一周目でもうガタガタで、9月10月のことまで頭に浮かび、もうレースはやめてツーリングにしよう等と弱気になる。しかし3周目半ば、10km過ぎたあたりから気分が変わり、E ならあと1周で終るが俺はあと2周走れるんだ、という気になってきた。いつものように何人か決まった連中と伸び縮みしながらの展開だが5周目には周りが下がっていってしまい、ずっと抜きつ抜かれつだった一人も切れてからは殆ど単独で走る。6周目後半の上りでずっと先に数人見え始め序々に追い付き一人抜き、最後の上りで二人を抜く。前月のミヤタカップのようにゴール前にゴッソリ抜き返される羽目にはなるまいと必死で踏むが後続はもう力尽きていたようで追っては来なかった。フィニッシュ後、カメラマンの妻と先に終わっていた会長とにねぎらわれてスタンドに戻ると落車で満身創痍といった有り様のみどりさんとビアンキがいた。お気の毒さまでした。
結果は70名中40位。当面の目標の「半分以内」には及ばず。                                                                                                                                                                                   

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 De Rosa 事件は無視しようとしてもやはり少々無理があった。信州での怒濤の夏季合宿後、ついに俺も清水の舞台の4分の1あたりから飛び下りた。ツールで有力選手達がこぞって使っていた、フランスのTime のカーボンフォークを装着することに。軽くて衝撃吸収性が高いと言うが値は張るし果たしてノーマルとの違いがいい方向に行くか、そもそも違いが俺に分かるんだろうかと随分悩んだのだが思いきってオーダー。ついでに更なる軽量化の為にPMP のチタン製ハブシャフト、ステム・ボルトも購入。シートポストはモゼールの固定方式が特殊なためカーボン、チタン製品での大幅な軽量化は望めないが唯一入手出来るグレードアップ品の Timec社のKNIFE というエアロ形状のものにする。これで 合計446グラム軽くなった。定価で計算すると100g あたり2万円以上である。普通のヒトから見たらアホだよなあ。そんな事より脚力を付けた方がずっと効果はあるよな。しかしカーボンフォークだけは重量以上に路面からの振動吸収の面で明らかな利点は体感出来た。   

交換パーツノーマル部品との重量差
Time EQUIP PRO760g-467g=293g
PMP ハブシャフト前後168g-70g=98g
PMP ステム引き上げボルト40g-20g=20g
Timec<KNIFE>270g-235g=35g

 こうして臨むのは、ずっと出てみたいと思っていた乗鞍のヒルクライムである。毎年8月の最終日曜に行われるこの大会は3、000人以上が集まる一大イベントで、標高1400m の観光センター駐車場から岐阜県境の2800m まで22km ひたすら上り続ける。実は夏季合宿で試走したし、その後上記の軽量化を施したので気持ちはラク。とは言え、前日検車を受けいぬふぐり蓼科支部の山荘に宿泊したのだが早々と酔って9時に寝てしまったら零時に目が醒めてしまい、またビールを飲んでうつらうつらして4時出発だったので万全ではない。霧雨の中、7:30スタートのチャンピオン・クラスを皮切りに3分おきに各クラスがスタート。40代クラスは7:46。350人もいるが先は長いので後ろの方でスタート、セーブしつつ前に出て行くがハイペースで抜いて行く奴もいる。10分程で殆ど抜かれることは無くなり、前にスタートしている若いモンを次々と抜く。むふふ。いつものようにスタートで強引に前に陣取っていた会長を抜くのに意外にかかった。なにしろ人数が多く、途切れることなく続いていて規則通り右から抜こうにも手こずること多し。中盤の一番勾配のきついと思われるところはさすが
に苦しい。しかし時おり後ろからスタートしているMTBクラスのトップ選手(年齢区分なし)がダンシングでえらい速さで追い越して行く。終盤の、樹木の無くなったところは合宿の時は霧と強風でヨロヨロだったが今回は弱風。ラスト2kmは少し斜度がきつくなるが「ゴールで力を残さないように」という、Funride誌の<乗鞍攻略ガイド>を思い浮かべ限界走行でフィニッシュ。1時間23分42秒、クラス52位(351名中)、総合460位(多分3100名位)。10日前より11分ほど速かったのには軽量化に散財したことが大きかったと思いたい。
 前年のデータでは各クラスの平均は、16~25歳/1時間34分16秒、26~30歳/1時間42分50秒なのでまずまずか。しかしチャンピオン・クラスは1時間13分48秒、コース・レコードは三章で触れた<サラリーマン山岳王>村山利男氏 の55分30秒だからなあ。わしらのクラスのトップは 1時間05分台 だったし。蓼科に戻る途中、諏訪の焼肉屋「南大門」で打ち上げ、泥酔。帰路、買出し等をしたのも知らぬまま、風呂が沸いたぞと起こされる。入浴後タラチリでまた打ち上がる。

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 9月12、13日、JCRC第8戦<川場ヒルクライム>。昨年D認定を受けた所であるし通称「コテパン」と呼ばれているからには山岳王パンターニの今年のダブル・ツール(同じ年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスを制覇すること)に泥を塗らない成績をおさめなくてはならない。しかし初日の個人T.T.で昨年を47秒短縮するも順位は大して上がらず。二日目のクラス別レースでも更に1分45秒も短縮したのに上から3分の2ぐらいのところだったのでガックリ。しばらくやる気を無くしてしまった。
 ま、何ごとも都合良く忘れっぽい性格なので暫くしてトレーニング再開。10月12日には顔振峠~刈場坂峠と走ったあと、ええいとばかり秩父に下りて更に北上、11月の<龍勢ヒルクライム>のコース試走に吉田町まで足を延ばす。

 10月25日、第五回ツール・ド・嬬恋。JCRCの第12戦になる。上りで抜いて下りで抜かれる毎度の展開。47分11秒、昨年を3分近く短縮。121名中62位、『半分以内』には届かなかったがなんとかDクラスまん中になれた。実は前日にも宇都宮で第11戦があったのだが俺はかみさんと嬬恋村の鹿沢温泉に前ノリしていたのだ。ダブルエントリーの選手が多ければ体力的に有利では、と踏んだのだが風呂と大量の料理と酒ではどちらに転んだのだろうか?

 11月15日、この年のJCRC最後の参加大会になる第13戦は千葉のフレンドリー・パーク下総。1.5kmのほぼフラットなコースを10周という、目まぐるしいもの。集団は長く延び、ずっと先頭の見える第一集団の後方にいたが最終周回で大失敗。あまりに短いコースなのでもう1周あるような気がしてしまいゴール前のスパートに見事に取り残されて38位。14名が周回遅れで失格しているものの俺の後ろはいなかったようだ。とほほ。

 シーズン最後のレースと決めた秩父・吉田町の城峰山での<第1回龍勢ヒルクライム>、11月23日。11km 、650m の標高差だが2ケ所ぐらい結構な激坂があるのと最後の2km ダラダラのぼりが続くのがポイントか。年令分けなので40代に突入したタマさん、会長、俺とが同じクラスで走るというロードでは初めてのこと。しかし勿論チームプレイは無い。スタートからハイペース、タマを含む4、5人が先頭、次の5、6人の第2集団で走るが最初の激坂でこちらの集団はバラけ俺も順位を下げる。その後は抜いて行った選手を大分経ってから抜き返したり、早くスタートしていた20代、30代のチギレてきた選手を抜いたりと淡々とゼイゼイ進行。最後のダラダラ坂で乗鞍で俺より4分近く速かった選手をスパートをかけて抜いたら左ふくらはぎがつってしまったがそのまま引き離してゴールできた。39分34秒の10位。タマさんは37分11秒で位、会長は25位。参加者のやや少ない新規大会だが、まあ兎に角10位というのはいままでの最高順位だ。シーズン最後としても「万歳!!」ということにしておこう。