第8章:Pinarelloと共に:2000.前期-2

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 2月11~14日、CHAOS の静岡・藤枝の合宿に参加。車移動組と自走組に分かれ、もちろん車便乗。長距離の達成感は魅力的だが、国道をトラックにあおられながら排ガスで真っ黒になって走るよりは景色のいいところまでさっさと行って気持
ち良く走りたい。とは言え連休初日の大渋滞で朝7時に清瀬を出たのに藤枝到着は1時頃。早速小さい峠を入れた20km程の周回路をJCRC Aクラスの浅倉君(TREKカーボン)の背中を必死に追いながら走る。原会長、橋本氏、古寺女史という他のメンバーはツーリング・ペース。峠であっさり置いていかれ、一人下っていると向こうから上ってくる自転車が見え、やはりいいコースだから他にも走っているやつがいるな、と思っていたら浅倉君だった。物足りなくてもう一度上っているのだ。これで追い付かれたら悔しいとばかり必死に走るがよく考えたら道を知らないのだった。まあさほど心配の必要もなく下の平地で追い付かれてしまった。なんとかくっついて1周目を終えたが2周目は向い風に勝てずすぐ置いてきぼり。周回を終え、宿への上りをとぼとぼ上っているとまたしても浅倉君が下って来るのであった。あ~あ。やがて宿に名古屋から輪行してきた梶田氏も現れ、風呂に入り、みんなでビールを飲んでいると自走組の島さん(50代強豪レーサー)と若手の横倉君が到着。去年は自走組は5人ぐらいいたそうで、減ってしまった今年、島さんは少々御立腹のよう。夜は大宴会。

 12日は大井川沿いから国道150号で御前崎まで走る。往路前半は島・浅・横グループで走るが無謀にも一時前を引いて頑張ってしまいおまけに道を間違えて後ろも見ずに一人1km くらい突っ走り、心優しい横ちゃんが追ってきて「なんか違うみたい」と言われて引き返すが川沿いの向かい風でどっと疲れる。三人に合流したものの国道で次第に遅れやがて一人旅。御前崎で速・遅両グループは合流、昼食後はツーリング・グループで宿に戻った。しかし走行距離が88kmほどだったので折角だから100kmを越しておこうと一人前日のコースを走る。途中別の峠から帰ってくる速グループとすれ違った。夜はまた大宴会。俺はカメラ、しかも小型がウリだった古いオリンパスとは言え一眼レフをウエスト・パックに入れて走っていたので島さんに「あんな重いものブラ下げて俺達と一緒に走ろうってのは無理だよ。あれが無きゃあ所々で待っててあげたのに。」とお叱り。そう言えばいつもカオスでは速いひともゆっくりな人も誰もウエスト・パックなど付けていない。いぬふぐり会長なん
てレースでもたまに平気でデカいやつを着けて走っているが。実は出掛けるとき持って行くかどうか迷ったんだが、きっと自走組も少しは疲れを見せるんじゃないかと密かに思い携行した。大々甘だったな。ということでこの日以来私はトレーニングでもウエストパックは着けないことにしました。

 13日、自走組を見送ってこちらは蔵田、清笹峠などを始めとする上りコースへ。例によって浅倉君と先行するがどうも二日酔いだ。後ろを7、8km走ってから並んで「気にしないで先に行ってよ」と声をかけるが「いや、今日はずっとこれぐらいのペースで流しますから」と言われてしまう。並ぶのも結構必死だったのに。次第に上りになって来て彼の背中が遠のくと同時に後ろの方に気配が。ありゃ、昨日は最後尾の方を走っていた名古屋の梶田氏じゃないの。ズルイぜ、油断させといて。酔って「何で速く走るのか分からん。僕は景色を楽しみながら走るのがいい!!」と言い張っていたくせに。語尾上げコトバを使ったので俺が首を締めたから復讐する気か?並んで来たので呼吸の乱れをさりげなく隠し「何だよ、もっと景色を楽しみなさいよ」などと話しかけておく。「いやあ、さすがにAクラスは速いなあ」と言いながら先に行ってしまった。グヤジイ。ピークが近づくとまたまた浅チャンは上り直しの為に下ってくるのであった。後続グループはここから別ルートを行くのだが、梶田氏はもう疲れたからここで皆を寝て待つというので再び浅倉君と同行、二つ目の清笹峠を目指す。距離は短いがかなりの激坂がありヨロヨロ。そのあと笹間川~川根~身成と快適に走ってショートカット組と合流する筈が大分先の方まで行って迷ってしまい1時間近くロスをして合流。ここまで67km走行。ラーメンをかき込んで再出発。ここから宿まで30km弱だが10kmも行かずに浅倉君は見えなくなり淡々と一人で行く。宿に着いても当然浅チャンの姿は無く、明日は帰るだけだからこのまま自転車を車に積むだろうと脇の芝生でうたた寝。50分くらいで皆さん帰着。浅倉君はこちらが入浴中に帰還、あれからまた一つ目の蔵田の峠を上ってきたという。
 当然また大宴会。という疲労困憊の三日間だった。帰って来て数日は疲れが抜けず。

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 2月は合宿以降冷え込みがきつく、27日にカオスで富士見有料道や荒川沿いなど平地を65kmばかり走った以外ローラー台とジムのみで終わった。3月に入ってすぐカオスで同じコースを走ったり一人で早稲田・所沢キャンパス周辺を走っていたが9日、今年初の<いぬふぐり>合同練習を行うことになった。しかし会長は10時の集合時間に某所から電話してきて昨夜からまだ帰宅していないとキャンセル。みどりさんもダメ、タダシは体調悪しで結局タマさんと二人で大泉中央公園・朝霞樹林公園に行く。約2.5kmの周回コースを1周ずつ先頭交替しながら16周。平地だが風が強くきつかった。タマさんが引いていた最終ラップ、終盤に飛び出しロングスプリントを決めて終えた。タマさんのページから無断転載:3月9日木曜日会長と早川パン吉君と3人で樹林公園周回を走る約束をしていたのに、会長が飲んだくれてキャンセルしパン吉君と2人で走る。こちらの練習不足かパン吉君の仕上がりがいいのか自転車がいいのか、ついていくのが精一杯という感じでゼコゼコ走る。
はっはっは、照れるなあそんなにチームのエースから絶賛されちゃうと。

 しかし翌週は自分のバンドのレコーディングでスタジオにこもっていたためレベルダウン。終えて日曜19日一人で早稲田に行くと丁度パインヒルズが15、6名でスタートしようとしている。しまった。大塚先生に一緒に走ろうと言われ、今さら他のところにも行けないので入れてもらう。激坂を省いた2.4kmの周回。1周目はなんとか先生の後について行くが2周目に脱落、先にスタートしていた表彰台常連の I 女史と若者に追い付き3人で行くが若者は暫くして後退、女史と二人先頭交替しつつ走る。ほぼ対等に交替していたが次第に彼女の方が前を引く割合が多くなった。ツライ。前から落ちてきた中高校生ぐらいの男と3人になり、12周目トップの4人がぶっ飛ばして来たのに3人で必死でくっついて行ったがふくらはぎがつってしまった。0.7周で脱落、そのままほかの2人はペースを落としてしまったのでかろうじて一応は女性に負けずに20周走ったところで離脱。その頃にはトップグループ以外は皆自主終了。23周目、先生は相変わらず凄い形相でブッチギリ・ゴールしていた。I 女史の鍛え上げられた太ももに打ちのめされとぼとぼ帰り周り道をして最近開店した<台湾家庭料理の店>『珍味』にて青島ビールと辛子ソバで寂しく誕生日の昼飯。

 そして悲劇は終わらなかった。23日(実は昨日)、レースエントリー関係の書類を玉川サイクルに持って行ったついでに会長に電話して大泉でも走ろうと誘ったのがマチガイ。タマさんがどれ位走るつもり?って言うから「ま、会長を2回周回遅れにしたらやめようかな」と高笑いしていたら、やって来た本人に言い付けられてしまった。そのせいか、病み上がりだと言っている癖に速い。後ろにぴったり付いてくる。ここの周回は車の多い一角があるのでタマさんと走ったときはそのあたりは無理せずに流すことにして大人っぽくしていたのに、会長ときたら信号待ちの車の列をここぞとばかり右から大回りで抜いて行くし、車が来るのに強引に赤信号を突っ切っていくのでたびたび置いていかれてしまいその都度追い付くのに労力を使わされた。最後の10周目、絶対来られないだろうとスパートをかけるがしぶとく付かれゴール20m手前で抜き去られた。もう嬉しそうで、帰ってすぐホームページに書くとはしゃいでいる。俺はもう真っ暗で、2日後の今シーズン初レース、マジで当日下のクラスに変更してもらおうかという考えが頭から離れない。まあここは会長得意のコースで昨年秋に皆で走った時もゴールでやられたのだ。明日はどうなることやら。書きたくないなあ。


            ● 8-6

 3月25日。5時半過ぎに家を出発、順調に修善寺・日本C.S.C.には9時前着、駐車場で会長達と合流。風が強く、駐車場の外周でウォームアップするが横風に持って行かれてしまう。レースは9時台にS、A、B、Z(全レースの開始から終了するまでひたすら外側を走り続ける耐久クラス。昨年から新設)が始まり、10時50分からC、D、E、O、Fの順で1分間隔でスタート。我がDクラスの出走リストは88名、5kmコースを3周だ。ここでは昨年の4月のチャレンジ・ロードで32分15秒、5月末のJCRCで32分45秒。しかしチャレンジは今日とは逆周りだしスタート後しばらくはペース・バイクに先導される。5月のJCRCは前の週に<高尾~糸魚川 295km>をやった疲れがあった。だからどちらのタイムも参考にならないのだがシーズン始めとして一応31分台、真ん中以上の順位を目標にしておく。更に、いぬふぐり内での身分も重要である。タマさんは不参加、会長は一昨日大泉で俺をカマしたとは言え、この山岳コースでは敵ではないだろう。問題はタダシとツトムの19歳コンビである。二人はFクラス、3分後スタートの2周なので追い付かれるワケはないが2周のタイムでも上回っておきたい。
 スタート後すぐに上りになるがその割にはバラけずに進行。その後の下り高速コーナーの連続で集団は長くなり順位を落とし中程以降か。1周目は辛い。2周目に入り身体もなじみ3、4人で集団になったり飛び出したりしつつ進行。半ばにデカい外国人が前に入って来たので風よけに利用、しばし楽をしたがフィニッシュ・ライン前の上りで後ろに行ってしまった。3周目は殆ど某強豪チームの選手と並走しつつ落ちてくる選手を抜く。下りでも離されないよう頑張るがどうしても遅れる。最後の上りに入ったところでアタックをかけ抜いたが、しまった、まだ早すぎたか、と一瞬後悔。しかし近付いて
いたもう1人前も抜き、絶対ゴール前の平坦路で抜き返されると思いながらもうヤケクソでダンシング。ところが意外に回せる、延びる。平坦になって必死に漕ぎつつ後ろを見るがいない!いつもの感じだと絶対やられるのに、もう一度振り返るが大丈夫だ。とにかく目一杯回してゴール。
 結果は二人に8秒、26秒差で31分36秒の30位。しかし後で分かったが5秒前に1人いたのでもっと早めに頑張らにゃあイカンかった。ま、一応の目標(低いけど)はクリアした。ツトムは2位、タダシは8位。ツトムは20分54秒で俺が2周目を終えた時のタイムが21分ジャストだから、う~ん、負けた。しかし俺だって2周で止めるつもりで走ったらもっと速いぞ!?しかしPinarello は良いようだ。先日パインヒルズ、会長・大泉と立て続けに打ちのめされた時はMoser だったのだ。

2番目が早川選手。