第9章:2000.後期-2

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 11月11日札幌、13日新潟というCHABO Band ツアーの最後パート、12日他メンバーは一旦帰京したが俺は居残った。前回7月に札幌に行った際計画した牛の獣医・木野本君と自転車ツーリングをする魂胆だったのだ。しかし先週の電話で数日前からぐっと気温が下がり乗るのは無理そうだということであった。とはいえ前夜中落ち合って酔った勢いでやっぱり少しでも走ろうという事になった(むしろ関東で1,2月に走っている身からすると別に大した寒さには思えなかったのだ)。朝起きると曇天で早朝は小雪も舞っていたが昼ころはやや晴間も見え、キノの四角いボルボ・セダンで豊平川を真駒内の方へ遡る。余談ながらボルボのトランクは広くて、後輪をつけたままのレーサーがすっぽり入り2台重ねても余裕。適当なところに車を止めキノの自慢の愛車、ミネルバ(札幌のビルダー)クロモリにデッドストックのE.メルクス仕様カンパ・レコード6速を組み込んだクラシカル・レーサーにまたがる。本人は街乗り用というビアンキのサンレモに乗り、川沿いの自転車道(ちゃんと自転車用と歩行・ラン用とが分かれて2本通っている)まず3kmばかり上流に向かい丸山公園の3km周回コースを1周。ツール・ド・北海道の最終ステージで使われるお馴染みのコースだが、走ってみるとタイトコーナーもあるし軽い起伏も周回を重ねたらつらくなりそう(ツールは20周)。ここから再び自転車道に戻り下流に向かい、札幌中心部を左に見て菊水、苗穂の先まで気持ちよく走った。始めはギアが上手く入らなかったオールド・カンパにも次第に慣れ、そうなるとこれは軽くて反応はダイレクト、ピストのような無駄のない回転をする気がする。今のカンパはシマノに比べ音がかなり大きいがこのレコードは実に静かだ。手稲山をバックに記念撮影をしてUターン、車に戻る。30km余りの走行で、サイクルウェアでなくトレーナーに木野本君のフリースジャケットで走ったので汗だくである。上はすぐ着替えたがズボンの尻には汗のシミがくっきりデカ丸で現れて相当みっともない。しかしこれも練習不足を補う為の努力だ。ケツを隠しながらイタリアン・レストランに入りエスプレッソであたたまる。その後宿泊先の、高校の同級生・切替君の真駒内の家まで送ってもらった。切替もミネルバ(旧デュラエース7速仕様)で札幌の大学まで通勤しているのでしばしバイク談義。

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 11月19日、今年初開催の「ツール・ド・奥利根」に出場。札幌のサイクリング以来この週は金曜にローラーを1時間っただけという史上最低の練習量で前日会場の新治村・群馬サイクルスポーツセンターに行く。レースは水上から数km西に上った「こぶしの里」からスタート、そのまま5km上って4km下り、また2km上り2km下り、国道17号を800m南下してから左折してサイクルスポーツセンターまで6.2km上る20kmのコース。上級クラスは更にセンターの6kmコースを数周する。最後の6.2kmだけでも相当きついのでせめてそこだけでも試走しておこうとやって来たのだが開会式に抽選会があるというのでイヤシクも走るのを後回しに。しかし地元お偉方のスピーチが次から次ぎへと続く上、薄陽が差していた天気も時折小雪混じりの霧雨になり風も出て寒いのなんの。やっと始まった抽選会でもサッパリ当たらず敗者復活でようやく川場村のヨーグルト15本詰めが当たった頃にはとても走る気温ではなくなったが根性で出発、国道まで下ってすっかり冷え切り、上れば暑くはなるが手足は寒い。結局4km程でやめて妻の運転する伴走車にガクガク震えながらバイクを積み込み旅館へ入った。この某温泉はかなりのハズレで更に湯冷めまでするハメになった。

 今回はJCRCの変則クラス分けで行われ、練習不足は見込んでいたのでDEクラスに申し込んだ。<いぬふぐり>からはさいぞう君がCD、会長と山田氏がEF。この、いわば下位3クラスは上位のSA、AB、BCが時間差でスタートしたあと同時に9時3分に出走。いきなりの上りだが序盤はまだゆるいのでぎっしり密集した集団。2km程で後方にいたパインヒルズのK氏が上がってきたので(8-11、5/26に登場)とにかく離れないよう付いて行く。集団も前後にバラけて減り始めた。しかしつらい。パンクでもしてリタイアできたら、と思ってしまう。ようやく4.5kmの岩仏トンネルの入り口が見えてくるころには4人になっていた。トンネルを出ると4kmの長い下り。濡れた路面と落ち葉にコーナー、暗黙の了解でベテランK氏のリードで押さえ気味に行くところ、後ろから上りの遅れを挽回しようという何人かがゴーっと飛ばして我々を抜いて行く。もう一度アップダウンがあって一旦国道に出るがこの左折からの立ち上がりで3人に置いて行かれてしまった。こんなところで千切れたくない。上り前に温存したいところだが懸命に踏んで追いつき最後の上り6.2kmに入ると、もうペースが上がらないのかいきなり十数人が視界にはいる。勿論こっちもがくんと遅くなるが必死でK氏をマーク、悪いので何度か前に出るが引けるほど保たない。残り2kmで再び前に出てペースを上げるが持続の自信無し。ところがK氏やその後ろは付いて来ないようだ。そのままセンター手前の短い下りを飛ばして同クラスのワカモノに追いつき2人でセンター内のラスト1kmの上りに突入。すると前方右寄りを苦しそうに上っているヤツ・・・さいぞうではないか!?8月20日と同じ状況だ。へへへ、ワカモノの陰に入って二人で抜くがチラリと横目で見られやっぱり気付かれてしまった。俺の黄色のホイール、目立つからなあ。前回同様またしても蘇ったさいぞうが俄然前を引き始め俺がケツで三人連なって行く。最後の200mでワカモノがスパート、これにくっついてさいぞうをかわす。あと120m、きつい、苦しい。ギアを一,二枚重くして踏み込みたいところだがもう脚が残っていない。離されたワカモノとの距離をやや詰めるがさいぞうも再び迫ってくる。グワー、ギョエーという感じでゴール、かわされてしまった。
 ワカモノ:51分26秒01、さいぞう:26秒43、オレ:26秒72という接戦?だった。クラス15位に終わる。結果はともかく、なかなか他に無いダイナミックなアップダウン・コースで、短いながらも(勿論オレには充分だが)公道レースならではの本場のニオイのするものだった。次回はもっと暖かい時期に開催して欲しいものだ。

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 翌週の26日、次週の12月3日と三週続けてレースになった。26日は<第25回チャレンジ・サイクル・ロードレース>、毎年四月頭なのが紆余曲折の末この時期になった。昨年<B5-B>で17位だったので20位以内昇級ということでB5-Aで走らなければならない。と思っていたら規模縮小でA/Bの区分が無くなった。喜んでいいのか悲しむべきか。昨年のタイムではAで出ていたとしても15,6位の順位だったが二つ合わさるとなれば単純に考えると30位以下ということになる。イヤだなあ。前レースのときの「史上最低練習量」はそのまま持続しているし、でもまあ好きな修善寺のコースだからなんとかなるか、と出走。5kmを3周だが始めの2kmあたりまで10人程の先頭集団にいたものの切れてしまった。いつになく乳酸がたまる感じであとはポツポツと抜かれる一方。2周目中盤の上り、始めの内に抜いていたパインヒルズのS選手(44)が我々の1分後にスタートしている50代クラスの大塚先生にくっついて追い越して行った。上りのレースでは俺の方が強い筈だったのに、暫く懸命に追尾するが保たなかった。この時に最高心拍が出たがわずか172。3周目に入りこの期に及んで2人に抜かれるがその内の一人と他の一人を中盤抜き返し、最後の坂でもう一人抜く。これに下りとその後のゴール前平坦で抜き返されそうだったので心臓バクバクで踏み続け7,8m差を保ちゴール。このあたりがせめてもの救いという散々な結果だった。順位はいまだ(12/11)送られてこずまだ分からない。

 不本意なままシーズン閉幕と思いきや、平坦コースなので出る気のなかった12月3日の下総フレンドリー・パークでのJCRC最終戦に平地得意の会長にそそのかされ、とっくに締め切っていた開催数日前にミドリさんのオバサン・パワーで追加エントリーした。しかしCD混合30kmクラスにエントリーしたつもりがD以下混合45kmクラスになっていた。あ~あ、1.5kmという短いコースを30周、これじゃ周回遅れ失格~クラス降格になちゃうかも。かなり重い気分で臨んだが9:50からのEOG30kmでの会長の活躍(一時は2番手を守る)を目の当たりにして回復するも、その後の15kmクラスでミドリさんが失格になる。これはパインヒルズK氏などがガンガン飛ばしていたので無理もない。で、ずっと時間があいて12時半スタート。エントリー44名。召集に気付くのが遅れ最後尾からのスタートだったが徐々に前に出て3周目からは5~10番手くらい。とはいえ集団のままなのでコーナーのラインの加減でどっと後続が10人くらい前に行ってしまう。緩い上りが2カ所あるが大体そこで前に戻るというパターンだ。会長が馬鹿でかい声(どんなに混んで騒々しい居酒屋でも注文が響き渡る)で「いいぞ早川、その位置でいけー!」とか「もう少し前に出とけ!」と叫んでくれる。はからずも16,7周目までに2,3回先頭になってしまうと「早川ダメだー、前引くんじゃない!」、おかげでその周囲では「早川って誰だ?」「リストでチェックしよう」と有名になってしまったという。
残り5周の上りでまたまたトップに出て踏んだらふくらはぎが軽くつってしまった。ごまかしつつ回すがペースが上がり順位を大分落としたが残り3周で再度10番手くらいに上がる。しかし最終周では更にペースが上がり下方へ。結局最後の上りで少し順位を上げたものの21位に終わった。1位に6秒遅れの1時間13分31秒。結果はだめだったが苦手な平地でまずまず面白い展開であった。

 9-9 

 今シーズン最後のレース、12月17日の<ツインリングもてぎ>での「第二回99kmサイクルマラソン」はシーズンオフ突入の時期でもあるので遊び心を出してカオス飯塚と<小径車クラス>にエントリーした。全クラスが88kmに短縮になってしまったが、兎も角ノンストップでこの距離を走っておこうと9日(土)に飯塚君と荒川自転車道でトレーニング。当方Amanda、飯塚RoyalNorton、共に20インチ・ロードタイプだ。なんとかアベレージ30km/hにはなったが70km前に左膝が痛み出し、家からスタート地点までの18km も含めることに変更、90kmの時点で自主終了。飯塚君は完走。後は軽く流す。羽根倉橋(荒川と浦和所沢バイパスの交点)で昼食をすませ別れたが、そこからは痛みで左脚に体重をかけられずただママチャリのごとく歩道を走って帰ってきた。2、3日は立ち上がる時や階段の上り下りに苦労した。従って練習も出来ず、水・木とリハビリ程度にローラー台。金曜にようやく乗る気がでてモゼールで多摩湖周辺など40km走る。まずまずの感触だ。 

 そして二日後の日曜、いよいよ今年最後のレースに臨む。玉川サイクルに5時集合、タマ、みどりさん、ツトム、タダシ、山田、飯塚と俺の7人だが、タダシの車のルーフキャリアを見て唖然とした。ツトムのBMXが2台のロードに挟まれて乗っているではないか。BMXったら、なんつうか曲乗りする為のスケボー自転車版。確かに20インチだが変速機も無いしこれで延
々サーキットを走るとは。エライというか何というか。で、2台の車で7時半到着。9時レース開始。五百数十人が一斉にスタート。固まっていたいぬふぐりもタマさんがさっさと行ってしまいそれを飯塚君と俺が追いゴチャゴチャ状態で良く分からないがあっさりバラバラになった模様。チームプレイは今回も望めなかった。1.5kmのショートコースを終え4.8kmの本コース
(18周)に入り全体いよいよペースアップ、始めこそ3番目あたりの集団にいたと思うのだが全体が良く見えないので分からない。所詮本気のフルサイズ・マシンにはかなわないから後退。しかしまだ集団も絞り切れていないから色んなレベルがごった返しているのでコルナゴやらデローザやらの高級マシンをこのチビバイクでどんどん抜けるのが楽しい。と調子に乗って
いたら4周目に早くも右ふくらはぎに軽いツリ。至近距離だったクラストップの飯塚君の背中が遠ざかっていく。やはり本番だと知らない内に高負荷になっているのか。平均心拍は156,7と大したことはないのだが。症状が本格化しないことを祈りつつややペースダウン。そして悪夢は7周目に起こった。1時間1分・33.5kmあたり、筋肉をほぐそうと平坦路で立ちこぎ体勢になった途端両脚が真っ直ぐ突っ張って激ツリ。どうにも動かない。つまり脚を前後に開いてペダル上にすっくと立ち上がった状態のまま惰性で進行、そのままコースアウトして芝生で脚も出せずにバッタリ転倒。さっき内心「ケッケッケ」と思って抜き去ったロード5,6人の集団が傍らを通り過ぎて行く。ああみっともない。しかしペダルから足をはずすのがやっと、地面で激痛に悶えるのみ。3分経過ようやく立ち上がりかけた時十数人の集団に食らいついている飯塚君が「大丈夫ですか」と怒鳴ってくれ「激ツリだあ」と叫び返す。転倒で外れたチェーンを直し再スタート、8周目はなんとかアベレージ31km/hに戻しここまでロスを含めて30.5km/hの平均だ。これを守れれば良いのだが。

 ひっくり返って1分後位にクラス3番手のリカンベントが行ってしまったので追いつき2位に返り咲きたいと走るが姿は一向に捕らえられない。11周目まではまあまあだったが以後次第に落ち始めた。気合いや根性を持ってしても下手に力んだら再ツリ間違いナシ。15周目前後からはもう早い連中は終わっているので上りなんぞは遅い人たちがひたすら耐えて黙々と連
なっている。相当ヘロヘロなのに一応坂だとつい抜いてしまう。残り3周で2時間28分20秒、1周10分で行かなければと朦朧としたアタマで計算したがその周は10分50秒、次が11分18秒、そして最終周突入時のタイムは2時間50分28秒、3時間まで9分半しかない。1周目7分台だった自分が遠い夢のようだ。なんとか、なんとかと回そうとするがどうに
もイカン。とうとう残り2kmというところでまたつってしまったがギシギシと回し続けやや回復、しかし300m手前で再発した。もう3時間は超えてしまったが少しでも前にゴールしたいとよろよろの連中をヒイヒイ言いながら何人か抜いてゴール、3時間2分。ここで止まると昨年もまたがったままこむら返りで動けなくなってしまったからひどい方の左足をペダルか
ら外して右でソロソロこぎながら車の所まで戻った。皆と合流しても暫くは降りられず(足が上げられない)幾分ほぐれるのを待ってやっと下車できた。
 ホントはマッサージかストレッチでもしなければいけないのだが下手に動かすとまた激ツリだからビールにする。ついでにもう1本飲んでいるとリザルトの掲示を見に行って来たメンバーが戻ってきて、俺が3位でタイムも記載してあったという。何だかわからないが失格だと思ったのが入賞らしい。着替えてビール片手に行ってみると、どうやら最終周回に入る時点での
タイムで完走させるかどうか決定するシステムだったようだ。なんか色々メガホンで説明があったけど良く聞いていなかったし開会式も駐車位置が離れていたのでのぞかなかったからな。結局規定距離に達していなかった選手も皆終了時の周回数とタイムを元に全員順位が付けられていた。つまり耐久レース方式に変更になっていたワケだ。ということでなんとか表彰台に立
てました。総合では完走552名中285位。

 それにしてもBMXで70km余りをノンストップで走ったツトムの記録はギネスもの。あまりの無謀さに観客の声援を集めウィリー走行でサービスしていたらしい。こんなのに抜かれたロード乗りはさぞ落ち込んだことだろう。
 しかしとうとう今年もツリ対策は果たせなかった。俺に明日はあるのか!?

真ん中:飯塚選手。「初めてレースで早川さんに勝った(練習じゃいつも勝っているのに)」と喜びを隠さない。もっと目標を高くしなさい。
 賞品は全員賞状、盾、シクラメンと施設内の<ホテル・ツインリング>での\3000の食事券。この2枚でみんなの食事をまかない帰路につきました。坦坦麺はかなり旨かったです。