第10章 2001.前期-2

 10-6● 

<4月9日>
 先週は最近にしては良く乗った。月曜の午前中に気分転換にマルイシで狭山湖近辺を12km程軽く流して午後はモゼールで35km。

 火曜は3月5日の小沢峠~名栗~山伏峠・脚ツリコースの復讐。前回ほどではないもののやはり向かい風、帰りも風向きが変わってしまい下りなのに進まず。山王峠は人目をはばかるスローペースで越えたがついに最後の上り笹仁田峠(最近まで名前さえ知らなかった、たいしたことない坂)のピーク手前で両腿がつってしまった。70km地点、この前よりは大分保った。止まったらもっと酷いことになるから無理矢理ギシギシこいで、兎に角停車しないよう信号を調節しつつ帰還して85km。

 木曜、タマさんと車で秩父・吉田町に出掛け「龍勢ヒルクライム」コースを上る。火曜の疲れを考え奮発してピナレロ+スポックス・ホイールのよそ行きセットを選択。しかし駐車場(道の駅)から上り口までの4kmのウォームアップで尻の筋肉痛に参る。ふくらはぎもこわばったまま。だがレースのスタート地点からはそれどころではなく忘れてしまった。タマさんは今年に入ってからもう5回目くらいらしい。最初の激坂で置いていかれた。その後何回か近づいた(といっても15mくらい)ものの全く追えなかった。俺が後ろにいないことを殊更強調するように前方で派手に手鼻をかんでみせる後ろ姿がニクニクしい。14kmのゴール地点まで48分。本番では一昨年44分59秒、昨年(大雨)47分21秒だったので不満は残るものの一人で走ると50分を切ることはあまり無いので練習としてはまずまずか。タマさんから1分遅れくらいだったが何とテキは全部アウターで走りきったというではないか。恐るべし、時流逆行のアンチ高回転走法。ゴール前の3kmくらいは路肩に雪が残り、下りの寒いこと。激坂地点まで下ってから激坂1号&2号を2回上って帰った。42km。

 日曜、9時半に多摩湖で飯塚君と待ち合わせ、山王峠~小沢峠コース。本日もピナレロにした。途中青梅街道でマウンテン+スリックの若者を抜いたらピッタリ付いてくる。おまけに鹿児島訛りでやたら話しかけてくる。「ずっと乗っていなかったからそろそろリハビリで今日は100km走ろうと思って」「一人より一緒の人がいたほうが楽しい」云々。ペースをあげても「いやあ、平地なのにガンガン踏みますねえ、オレだめだあ」といいながら一向に離れない。飯塚君が更に上げたら俺の方が千切れかかってしまった。東京バーディの上りでは意地で先頭通過したが山王峠では2車身差。下って名栗川沿いを遡上しつつ話をしたら元実業団選手、座骨神経痛で1年で一応やめたという24歳。こりゃあ参った、とんでもねえヤツを抜いてしまったものだ。後ろから来た、ラバネロの若手選手らしい2人と小沢を上り始めるが3人はどんどん行ってしまった。下ったところで別れ飯塚君と二人で帰路につきバーディを越え笹仁田を越えて平地になったところでコンビニ休憩中のカオスの面々に出会う。飯塚君は帰り、俺は迷ったが彼らと共にまたしつこく小沢峠を上ることにした。まあまあのペースで行けたもののいつ脚がつるか不安でダンシング出来ず。瑞穂で昼食後、多摩湖で花見をしようという皆と別れ所沢方面へ。直後のゆるい上りでとうとうつってしまったが廻し続けてなんとか解消、無事帰宅した。95km。
 シャワーを浴びていたらギターの鬼怒無月から電話。自転車(普通のタウンサイクル)を買ったので調布からウチまで走って来るという。もう3時過ぎ、大丈夫だろうか。当分着かないだろうとごろ寝していたら意外に早く多摩湖のあたりから電話があり慌ててモゼールで出掛け、山口城趾というところで4時半過ぎに合流。ウチにきても帰りが遅くなってしまうから結局多摩湖の自転車道を案内することにした。普通のヒトは押している多摩湖までのきつい600mの坂を鬼怒は根性+内装3段でゼイゼイと登り切った。ななかなかエライ。11kmの周回道はそこそこアップダウンがあるのできびしそうだったがこちらは昼間のいいクールダウンになった。6時過ぎに小平~三鷹方面までの自転車道を教えて別れ帰宅。なんだかんだとこの日は120km走ったことになる。

 で、1週間で300km弱か。土曜のローラーを入れればもうチョイ数字が上がるがまあいいや。

 10-7● 

FunRide 森ビチ倶楽部、ツール・ド・草津
 かねてから気になっていた、ファンライド誌上で元プロの森幸春氏の指導を読者が受けるコーナー「森ビチ倶楽部」に応募をした。心の広い俺は自分だけ向上しよう等とは考えず、いぬふぐりの皆に呼びかけ、タマさん、ミドリさん、カオス飯塚、山田君とオレの5名でレッスンを受けることと相成った。森氏と言えば「師匠」と広く呼ばれる名指導者。現在49歳だがほんの2,3年前に現役引退するまでは世界最年長のプロ・ロードマンであり、何度も出場している世界選手権の最後の参戦は94年、即ち43歳だったという凄いひと。20年余り国内トップクラスにいて、全日本選手権、全日本実業団、国体など優勝は数知れず、ヨーロッパでの経験も豊富な人物である。4月19日朝9時に東村山で遠路横浜からの師匠とライターの山口氏(ツールの取材記事でお馴染み)と待ち合わせ、メンバーの待つ狭山へ向かう。あいにくの雨、上がるという予報だったのでまず師匠の車に同乗してトレーニング・ルートを案内、更にコンビニに買い出しに行ったりしているうちに遅れていた編集部の勝又嬢、カメラマンでタマと同じJCRC・Bクラスの綾野氏も合流。雨も上がり10時過ぎから走行開始。全員できつい上りとほぼ平坦な直線、緩い上りで構成された周回ルートを走りつつ、師匠が前になり後ろになりしてチェックが入る。10km程走って休憩、それぞれの寸評と関連したレクチャーを受けた。俺はいいフォームだと度々言われ「ほんとにカッコいいですね。これは大事なことなんです。」とのお言葉に思わずライター氏に「メモしとかないでいいんですか?」と詰め寄りました。この時は皆ダンシングを殆どしなかったのだが、特に俺のように体重の無い選手は通常それを多用するものなのでそのあたりの運動メカニズムの講義も受ける。
 さて場所を狭山湖・多摩湖の中間に移し、長めの坂と緩い下り、平坦路で成る2.5kmの周回で1周ずつ個別指導。途中ポジション矯正のためサドル高、ハンドル高の調整なども行いながら後ろにみんな連なって走る。全員自転車の調整、ポジション変更を施されたのに俺だけなんもナシのマル。つまんない。平地は言うこと無し、上りではやや尻を後ろに引いてみたらどうか、というくらい。ダンシングに関しても、シッティングでの上り方が非常にいいので却って使わない方が良いと言われた。(・・・実はフロント・ブレーキの右のシューを上下逆に付けてしまっていたのを発見して頂いたが。ああ見っともない。)
 全員終わって駐車場に戻る上りの道々、しつこく併走してケツ位置とダンシングを見てもらうがそのまま駐車場から裏山に入ってまでご教授いただいた。またしても「カッコいいね」と言われてしまうが、しなくてもいいというダンシング、自分としては本やレースビデオで研究してきたものの脇を締めるという指導に変に力が入って上手く出来ない。また、自分のダンシング時の重心が理想より前寄りであることも分かった。さて駐車場で総括。俺はフォームに無駄が無いので逆に力を使い切ってしまう傾向があるということだった。使い切ってあの成績なのかと思うと誉められても問題山積だ。当初無茶な高負荷を指摘されたタマさんは「あなたの場合はこれで行っていい。すごい筋力、ヨーロッパ選手並。20年前に本気で自転車始めてたら大敵になったろう、やってなくて助かった。」と絶賛されていた。まあ今後太ももとケツの筋肉に関しては認めなければならんな。
 綾野カメラマンは凄い。ロードマシンを一眼レフをかかえて駆り、俺達を追い越しながらパシャパシャ撮って行くわ、前方からのカットのために上りでドカンとスパートして行くわ。三日後のJCRCで九位に終わったタマを差し置いて入賞、A 昇級。

 記事は5/19発売号に載るそうだ。自転車趣味のないひとは立ち読みしてくれ。

下山途中の風景。
もっと凄い雪の所もあったのだがアタマ回らず

 4/22、ツール・ド・草津。昨年は悪天候のため殺生河原までの5kmに短縮されたが、前日の雨は止み快晴。しかし暖かくはないのでアームウオーマー、レッグウオーマーで出走。昨年のゴール17分53秒地点を18分22秒で通過。ここまでの平均心拍は160、先を考えまあまあのペース。しかしこの先はすぐ樹木がなくなりその途端凄い風。スタート時、上は現在風速20mとアナウンスされていたが凄まじい。進まない。苦しい。横から来るときは冗談みたいに風の来る方向に車体を傾けないと倒される。時々山陰で風が遮られまともになるが続かない。気が付くと猛烈に寒い。死にそう。森師匠の、ケツを引く教えどころではない。もうムチャクチャや。それでも最後は迫って来た後ろをスパートして振り切ってゴール。個人TTだから関係無いんだけど。「ウオッ、ウオッ」という呼吸がとまらない。預けてある下り用の衣類を入れた荷物のありかを係員に訊こうとしてもロレツがまわらない。「あ、あ、あ、あろ~、い、いもつは、ほ、ほこれすか、か、か」、脚もがたがた震えてこけそう。レストハウスで配られる豚汁をガタガタこぼさないようにかきこんでもますます身体が寒さに気付いてくるようでダメだ。落ち着くまでかなりの時間を要した。

〇12.6km /52分47秒/Cクラス(41歳以上):14位(144名エントリー)・・・去年と同じ
〇計測スタート地点~殺生河原:4.9km/18’22″/平均速度 16km/h /平均心拍 160 最高心拍 166
〇殺生河原~白根山ゴール:  7.7km/34’25″/平均速度 13.2km/h /平均心拍 156 最高心拍 161

同行した30代のカオス・レーシングの面々には勝ちました。浅倉君が来ていないからね。つまり今年も保谷パン対コテパンの偽パンターニ対決は俺の勝ちじゃ。

 10-8

シマノもてぎロード、カオス・ツーリング
 4月30日、第3回シマノもてぎロードレース。昨年同様40代クラス<M40+>とチームロードにエントリーした。前夜雨の予報にSPOXホイールのタイヤをミシュランAXUAL Pro 20cから他のホイールに付けていたパナレーサーStradiusPro23cに換装、そして予報通りの雨。<M40+>9.6kmの展開は約100名の内の1位から48位までが14分台という、昨年同様の集団ゴールで30位に終わる。裸眼で泳いでいるみたいに雨が目に入り前走車の水しぶきも浴びシューズカバーも役に立たずのずぶ濡れ+グチュグチュ足。先に終了していた、タマとカオス飯塚の出ていた<オ-プンメン-3>28.8kmでは4回くらい落車事故があったが我々の方はスタート時に1件のみ。この天候と大人数はコワイ。
 どーっと時間が空いて午後3時45分からチームロードのスタート。いぬふぐりは昨年の4人×2チームから3人×3チームへとなった。タマ、飯塚、俺の3人がエース・チームである。雨は上がったがどっと休んだため俺の脚も上がってしまった。4.8km5周の24km、たどたどしく先頭交代をしつつTT仕様でばっちり固めた本気チームにザーッと抜かれ、よれたチームをザーッというよりヌルヌルと抜き去りつつ調子を上げてきたと思いきや俺がきつくなり始め、4周目では3分の2くらいを先頭交代に参加せず最後尾で回復待ち。「よし、お待たせ、復帰するぞ!!」と5周目に入ったがあまり戦力にはならず、それでもゴール前は3人でスパートして終了した。結果は昨年に続いて優勝したゼルコバ(浅倉君たち)からは6分30秒も遅い39分55秒11、33チーム中19位。浅倉君なんて他の種目に出ないでこれにかけて来ているんだから困るよ。いぬふぐり第2(会長、山田、タダシ)は28位、第3(みどり、カオス斉藤、接骨飯塚)は32位。
 帰りに水戸の手前で看板をたよりに山の中の小さい旅館に立ち寄り入浴、ビールとカレイの塩焼き(食べ物はこれしか出来なかった)で打ち上げ。帰路はタダシの運転で熟睡させてもらった。

 5月5日、立川駅にてモゼールを袋に詰め、武蔵小金井から輪行のカオスの面々と6:37立川発甲府行きの車中で合流、握り飯を食しつつ大月へ。下車、自転車組立後コンビニで携帯食を買って出発、小菅・奥多摩への峠越え、総勢10名。強豪・島さん、ひさびさの横倉君も手ごわい。草津で負かした保谷パンターニもペース配分が上手いから侮れない。最近レースに出ていない吉川(弟)もBクラスの地力だ。という具合で松姫峠までの27kmの上りが始まった。暫くして島さんが先頭、2番手に俺、後ろに吉川君、横ちゃんという構成が固定する。時々先頭に出るが、交代のつもりなのだがどうも島さんは俄然抜き返してくるような気がする。やがて島、早、横の3人になり、15kmあたりの勾配がきつくなったところで先行したらそのままリードが広がってしまい内心ヨロコビつつ一人旅にはいる。大分上ってから対向してきた車の女性が「あのー、すいません」と声をかけてくるがこんなにゼイゼイいって上っているのに止まれるかよ!!向こうも「あ、、、」と絶句し結局こちらは止まらずに後ろを振り返って「この先に人がいるから」(本当に2台車が止まっていて景色を眺めていたのだ)と怒鳴るが、もう一度振り返るとなんと横ちゃんがつかまってしまっている。このまま行くのはフェアじゃないので俺も待つ。島さんも来た。後できいたら「富士急ハイランドへ行く道」を尋ねられたそうだ。こんな山の中で、ガチョ~ン。再スタート後も更にリードを広げ全然後ろに見えないのでウハウハ、なんて調子に乗っていたら脚に嫌な気配がしてきた。頼む、つらないでくれ、となるべく他のことを考えるようにする。そんなことに意味があるかどうか分からないけど。やがて下のつづら折りが見下ろせるところにさしかかると、なんといままで影も形もなかった保谷パンが軽快に上ってくるのが小さく見えるではないか。かなり距離はありそうだがつってしまったら一巻の終わり。ペースを抑えつつもギシギシと上る。やがてようやく峠の頂上に到着、1時間28分。ウィンドブレーカーを背中のポケットから取り出して着込んでいると保谷君が「あ~、追い付けなかったあ」とやってきた。1分差。数分後に横ちゃん、次いで島さんが到着、「23Tじゃ足りなかった」とボヤキ。その後に吉川ブラザーズ、そして単独でなんとド根性オンナ・みどりさん(カオス初参加)が現れた。バッグ無しの俺は彼女のフロントバッグにおにぎりを預けてあったので喜ばしい。そして谷中君、橋本さん、さつきさんも到着し記念撮影後小菅、奥多摩湖へ下り昼食。食後は島さんがガンガン飛ばして行き、こちらは保谷、横倉と先頭交代しつつ(勿論オレは短め)次の休憩地点・青梅駅前まで快調に走行、57分。みんなを待ってから岩蔵街道経由で多摩湖に上り自転車道の外れまで走ったところで、清瀬の台湾料理屋でビールという魅力的な誘いを断り別れて帰宅した。120km走ったのにまだ2時半、なんて長い一日だ。シャワーを浴びていたら今度は新座・いぬふぐりから「刺身&猪鍋」の誘い。う~ん、疲れちゃったからなあ。

 10-9● 

ツール・ド・嬬恋
 5月12,13日、群馬県吾妻郡嬬恋村にて第9回ツール・ド・嬬恋に出場。いぬふぐり会長、タマ、みどりと4名で出掛ける。初日は午後から個人タイムトライアル、1.5kmの上りだ。実際のところ俺のメーターでは1.7km近くあった。よろよろ蛇行して距離が延びた?まあ兎に角短距離とはいえなかなか勾配もきつく、短いだけに最初から全開で行くからきびしい。30秒間隔でスタート台から出るのだが、不安的中片方のクリートがはまらないままスタート、幸いすぐはまる。ペダルは静止状態だとなかなかうまくはまらないTIMEをやめてT.T.の時だけシマノに付け替えておく予定だったのだが面倒になってやめたのだ。500mくらいでググッと傾斜がきつくなる。気が付くと腕がひどく疲れている。力みまくっているのだ、いかんいかん、森師匠のレッスンを思い出さねば。それに明日のこともある、あまりシャカリキになって疲れを残しても、と言い訳しながらややセーブしたがやっぱりきつかった。5分23秒75、63名中48位。最高心拍163,アベレージ157と、理性的に抑えた。しかし俺が走った時の15名ほどのグループのタイムはいささか怪しい。3,4番手まで走り出していたのにゴール地点の審判にスタートが伝わっていなくて、トランシーバーで「ちゃんと言ったよ!3時丁度に出てるぞ!」等とやりとりしていたのだ。俺の二つも付けているメーターじゃあ5分15秒と16秒だったもんね。1位はあの浅倉君が3分51秒とダントツ。タマさんは4分59秒の33位(しかし例の怪しいグループ)、会長は温存策で出走せず。かなりの選手が温存に回ったようだ。

 二日目、本命レース。アップダウンのきつい11.5kmのコースを2周の23km。9時スタートのタマさんの3周34.5kmを観戦、一人が完全独走、かなり開いて2人が来てそのあとに4位争いの3,4人が遠くから来る。タマが前にいるぞ!!ダンゴ状のスプリントで2番手5位でフィニッシュ、入賞・A昇級である。めでたい。11時台の会長、みどりさんのレース(共に1周)は見ずにローラーでアップ、しかしあまりの好天で消耗しそうなので15分でやめ、ストレッチを申し訳程度にやり召集場所の方に行って軽く坂を上ったりする。12時3分、Dクラス46名スタート。2,3列目だったが始めの2kmの密集状態での下りでズルズル後退。まあどうせこの先上りがきついのだからここは事故らないことが第一。下り終わって右折、ここから8km地点まで殆どずっと上りだ。暫くすると集団はばらけつつ長く1列にのびてしまい一旦平らになる箇所ではあちこちで中切れ、分断が始まる。俺も切れては追いつき抜かれては抜くのだが、おそらく30位くらいまでは落ちてしまったのではないか。2.5kmの下りに入るがどうせ体重が軽いので不利だから無闇に踏むより回復を意識、コーナーで側溝に突っ込んでいる選手もいる。2周目に入ると身体が馴染んできたのか、気分が良くなってきた。実は序盤はあまりの苦しさに毎度のことながらリタイアやツーリング派転向がアタマをよぎっていたのだ。力尽きた連中を抜き返して上る。やがて同じペースのビアンキとジャイアントとの3人で前後しながら行くことになる。上りでは時にブレーキをかけないと追突しそうになるが下りではやはり置いていかれかける。ケツになんとか食いついて行くと大分前に行かれてしまっていたピナレロ・パリが視界に入ってくる。3人で捕まえたと思ったらパリも俄然必死になり、下り終えてゴールへの最後の短い上りの右カーブで左外からパリがアタック、まだ早いかと迷ったが俺も右外から追走、ビアンキ、ジャイアントも追ってきて再び4人ダンゴ、もう平坦路なのでまずい。再度Parisがアタック、俺もならんで加速、二人は付いて来られない。ラスト150m、必死で踏むがテキも必死だ。抜けないまま並んで30cm差でフィニッシュ、結果は15位だった。翌日HPで確認すると、パリは30歳、ビアンキ16,ジャイアント34であった。ケッケッケ。まあ俺より強い50代もゴロゴロいるけど。
 ところで初日のTTはDの中では10位だったのだが1~9位のうち2日目に俺より速かったのは4人だった。ということはやはり温存策を取った方が良いということだろうか。

 10-10● 

第3回もてぎ国際市民
 5月25日(金)、ツアー・オブ・ジャパン第4ステージ茂木で併催された第3回もてぎ国際市民ロードレース。仕事の状況で出場しないつもりだったのだが昨年まずまずの展開だったので何とかなるかと締め切り直前にエントリーを決めた。しかしツインリングもてぎに着いて準備に入ってもどうも盛り上がらない。腿の外側が疲れている。アップは坂道の往復を15分程で止める。1時頃のプロの153kmのフィニッシュ後2時からのスタート。昨年同様1周12kmクラス(他には3周クラスしかなくて強そうなのばっかり)である。平日とは言え、我がクラスは僅か17名、去年は28名で4位のだったから当然密かに入賞を考える。さてスタートは意外に緩やか、2番手で始める。やがて右から一人が前に行くのでそちらの後ろに乗り換えのコバンザメ走法。しかしベテランのパインヒルズK氏がずっと俺の背後だ。まだまだ全員連なっている。徐々にペースが上がり先頭も変わる。苦しくなってきたが成り行きで俺も先頭になる。後ろに戻って暫く行くが先頭交代を促されるものの苦しい。もう少し余裕があればきつくてもあえて前に出て自分のペースで抑えるなんてことも作戦の一つだろうが勘弁してもらう。6.5km地点の上りがポイント、去年はそこから5人で逃げ、K氏を含めた後続は切れていったのだ。なんとかこの位置であの坂に入れればとこらえて付いて行く。ところがその手前で後ろからアタックがかかり一挙にペースが上がって上りに入った。ゲゲゲ、ダメだあ付いて行けん。ああ、Kさんまで行っちゃうじゃねえか。たしかにここで8人に絞られたが前の5人が速い。間が空いてしまう。3人で追うがとうとうそこからも切れてしまった。こ、こんな筈じゃ…。次第に距離が開いて行き10kmあたりでは2人にもとても追い付けない位置になった。後ろに一人だけ来ているのが気になる。単独になると風がきびしく速度が上がらない。しかし後ろの奴だって苦しい筈だ、くそー、と踏み込む。あと1.5km、1km、もう追い付かれはしないだろう。順位は変わらないと分かっていても吐きそうになってペースアップ、少ない観客の声援を浴びて(ありがたい!)単独スプリントでゴールした。本人より悔しがる妻。あ~あ、Kさんにはここ2年位負けていなかったのになあ。最近受けているという森師匠の個人指導で52歳にして伸びてきているのか?他の上位連中は終わってみれば見るからに強そうなワカモノら。キミたち、同じエントリー料なんだから36kmに出なさいよ。

 「あああ、くそ、じぐしょ~、なにがいけなかったんあだ、ああ…」と傷心の帰り道であった。もっとも途中から妻の運転でこちらは寝こけていました。

 という悲惨な状況で今シーズン前半終了。早いがもうすぐドイツに2週間行き帰国後もそうそう乗り込めないので回復期間を置いて次戦は7月1日の美ヶ原のヒルクライムにしたからだ。