ずれずれ草 2000年6月~12月

 その31                (6/7)

 4日の日曜日、熊本は阿蘇郡、一の宮町・手野(ての)国造(こくぞう)神社に於いて<KIKI Band>の演奏を奉納。熊本空港から阿蘇の「山頭火」という店のオーナー・山中氏(サックスも吹くらしい)の迎えの車で小一時間、阿蘇の町を過ぎ左右に水田の広がる道を通って山に向かい上り始めたところに国造神社があった。まさに鎮守の森、立派な木々の生い茂ったなかに威光を放つ巨大な杉の御神木がまします。一体樹齢はどれくらいなのか、山中氏は千年か二千年、というテキトーな答えだったが説明の看板でも「神社を開いた神様(御名前を忘れました)が植えたと伝えられる」ということで明記はしていない。直径12m、高さ29m(だったと思う)、しかし残念ながら平成三年の大台風で上の方で折れてしまった。なんとその箇所には桜の木が生えて花を咲かせていたという。その根のせいで亀裂が入り易くなっていたのだろうという話だ。しかし折れてはいても圧倒的な存在感で、古来の自然信仰が自分の中に蘇るような感じを覚える。う~ん、この前で演奏するのは手ごわそうだ。

 ということで裏山のロッジ群の中のバーベキュー・レストランで地元の銀河高原ビールと阿蘇牛の昼食。そして今夜宿泊するロッジに入り昼寝。たっぷり寝てから地元の人々が準備に立ち働いているなかをぶらぶら散歩し、脇のテントでコーヒーとチョコレートケーキ各々100円のところ小銭が150円しかなくてお姉さんにまけてもらう。その横でお婆さん達が用意している「だご汁」300円もうまそうだ。なんてしてる内に用意が出来、サウンドチェック、リハーサル。終わってロッジに戻り打ち合わせ。しかし本番前に「だご汁」を食しておきたい私はさっさとステージ用に着替え、軽食が用意してあるという社務所に一人で向かった。お婆さんが3人いて、お茶、おにぎりに加え台所から「だご汁」も出てきた。「だご」とは団子の意だが丸くはなくて小麦粉を練って平らに伸ばしたもの。里芋、ごぼう、人参、かぼちゃ、椎茸などと味噌味で煮込んだもので関東でいえば「ほうとう」か。うまいうまいと、婆さんたちと世間話をしながら食っていると役場の人が「お祓い」があるから急いでくれと迎えにきた。そういえばそんな事を小耳にはさんだようだった。あわてて階段を駆け上がり本殿にのぼって、既に正座して並んでいるメンバーや氏子代表の人たちの間に滑り込み。さっきまでスタッフだと思っていた若い人が宮司さんで立派な正装と祝詞(のりと)で奉納の式が執り行われた。その後みんなと社務所に戻り、結局だご汁をまた食べてしまい満腹で苦しいなか演奏開始。(~中略~)

 無事終演後は神社を挟んでロッジと反対側の「淡水魚センター」というところで打ち上げ。すっぽん鍋、イワナの刺身や唐揚げ、馬刺など豪華絢爛であった。やがて眠くてどうしようもなくなったので地元の皆さんに失礼を詫び一人で帰った。道路に出るのが面倒だったので神社を突っ切るがド真っ暗で起伏に富んでいるので危なそうだ。そこで名案、デジカメで前方を撮影、一瞬のストロボに浮かんだ残像を頼りに進む。そのうちにもっと名案、液晶画面で画像を再生し目一杯明るく調整して懐中電灯代わりにする。地面に近付けて薄ぼんやりという程度だが無いよりマシだ。こうして、山に響き渡る鹿のピーッという声(多分)を聞きつつ転ばずにロッジに帰りついたのでした。翠川さんのお古のデジカメ(僅か40万画素)大活躍であった。

御神木の前の仮設ステージにて、演奏に先立ち
氏子の人たちの奉納の歌。正面のゴザが敷いて
ある所は土俵。まだ時間が早くて観客は遠慮が
ちなのでスペースが空いてしまっているがやが
て人があふれるのである。
この後地元の2バンド(サックス12人のアン
サンブルと山頭火・山中氏らのバンド)があり
KIKI Band が演奏。

その32                (6/23)

 いよいよ明日から<麗蘭>のツアーが始まる。チャボ、公平、鈴木とのオリジナルの4人だけでの演奏は最初のツアー以来なので実に9年振りだ。そんな実感はないので言われてビックリ。ドラムスを加えた音に慣れてしまった耳に、当時は何の不足も感じなかった、2ギター、パーカッション、ベースの編成ではサビシサを感じてしまう曲もあるのではないかという懸念があったようだがオレは全然気にしていなかった。91年のライブをテレビで見た何人かのミュージシャン仲間はドラムレスだってことに気づかなかった位だから充分なサウンド&グルーヴになる筈だ。かくして連日のきびしいリハーサルを乗り越え、アイディアを出し合い切磋琢磨を積み重ね、初日・京都は磔磔にて口火を切ることと相成った。

 その合間を縫って、先日ベースマガジン誌の取材を受けた。勿論我がバンドのニューアルバムが俄然注目を集めているからでアル。市ヶ谷の堀にかかる橋の上で楽器を抱えての撮影は、法政の学生諸君が絶え間なく行き交う中で行われ、かなり気恥ずかしかった。フィルム6本位撮ったか。しかし前作でのプレイヤー誌の撮影は朝11時に原宿の駅前の歩道橋の上だったので慣れたモンである。インタヴューの方はどうも支離滅裂になってしまった。予想される質問にもっともらしい答えを少しは考えていたのだが、喋っているうちに「あれ?これじゃさっき言ったのと食い違っちゃうよね?ええと、だからそうじゃなくて、うう、ちょっと待ってくれ、、、」なんていう具合であった。もっとヒトのインタヴュー記事を読んで研究してアタマ良さそうにすればよかった、残念。

その33                (7/12)

 暑い、眠い、忙しい。5月末から始まった<ジロ・デ・イタリア>の放送を見たいが為にCSの受信契約をして連日午後10時から2~3時間の観戦(勿論翌朝ビデオ録画で見る日もある)。6月19日にそれが終わり翌日からは<ツール・ド・スイス>が10日間。一日空いて7月1日からはついに<ツール・ド・フランス>が同時中継で始まった。
 これもレース後半の2~3時間の放送の日が多いが、見せ場の山岳地帯の日になると夕方から7時間もやる。選手も大変だが俺も大変だ。前述の通り、今は<麗蘭>のツアー中で、幸いなことにツールの終了する23日までは1、2泊で一旦帰る日程なのでビデオが山積みになるということは無い。しかしHAYAKAWA NewCD の発売に絡むライブやリハーサル、その他のライブ等がその合間に詰まっているしトレーニングも全然しないワケにはいかない。オマケに何時に寝ても6時に目が覚めてしまうというバンド屋らしからぬ早起きの俺はもう慢性的寝不足だ。例えば先週6日など、朝に前夜最後まで起きていられなかった分の録画を見てから34,5kmのトレーニングをし、夕方からライブハウスに入って夜ライブ。1時少し前に帰宅すると丁度その日の表彰式をやっていて、見ないようにシャワーに直行してからビデオを巻き戻しビールを飲みつつ3時近くまで見て寝る。6時に起きて続きを見て8時に終わり8時半に家を出て羽田に向かい福岡へ。会場でのリハとライブを終えホテルでシャワーを浴びた後はもうフニャフニャであるが一休みして打ち上げに繰り出さなければならぬ。最初は元気に飲み食いして喋りまくっていた筈が早々とコックリしてしまい「あ、俺先に帰るわ。ダメだ。」という具合であった。あと10日頑張らねばならん。俺はやるぞ、だからパンターニよ、お前も頑張れ!!

***そう言えば、その福岡のライブ、CSの音楽チャンネル<Viewsic>で同時中継してたな。私は<J-Skysports3>しか契約していない。でもどうせ中継だから自分じゃ見られんのだワ。
***ジロ・デ・イタリア(1909~)、ツール・ド・フランス(1903~)はヴェルタ・エスパーニャ(1935~)と共に3大ツール、グランツール等と呼ばれ、3週間で3,700~4,000km(毎年コースが変わる)を走りアルプスやピレネーといった過酷な山越えをしつつ大まかに各国を一周する自転車レースであります。ツール・ド・スイスは10日間と短めなのでちょっと格下。でも山国だからキツイことに変わりはない。 

その34                (7/27)

 ドタバタ日々を送っている間にアクセス数がめでたく一万件を越えていた。実に久々にチェックしたのだが、皆様のお陰であります。さっぱり更新していなくて申し訳ないので初めてノートパソコンを抱えてツアーに出た。今回の麗蘭ツアーの最終パートで、昨日と今日が広島、明日大阪に移動して明後日から大阪で二連チャン、また一日空いて京都で終わるという余裕のある行程なので、重い荷物にノートが加わっても色々役立つだろうと考えた。ページの更新もそうだし、Macに入力しているトレーニングのデータも紙になぐり書きしてあるのが五月中旬分からたまっているのでそれらも持ってきた。とここまで書いて、記憶の片隅にある人もいるだろう、私のメインはMacだがノートはWindows の筈だ。そうです、実は最近某事務所のシャチョーから3年前のPowerBookを購入したのです。1400C という機種で、所有しているDynaBook の方も同じころのものでスペックは大分上なのだが主に使用しているトレーニングの心拍データ解析ソフト以外はやはりMacの方が慣れていて使い易い。

 それにしても昨夜の広島初日はどえらい熱気で大騒ぎだった。まさか最前列の熱狂的ヤロー達だけが大興奮していたってワケじゃないだろうが。観客もいいが街も好きだ。本を除いて旅先で買い物をすることは荷物を増やしたくないから滅多にないのだが、たまたま広島に来る時は時間があるのか前回も中古レコード屋でCDを買い込んだり服を買ったりした。昨日も本番前にぶらついてウィンドブレーカーと雑誌を買って蕎麦を食した。で、いきなり話は飛んで打ち上げはお好み村の「八戒」。野球、勿論広島カープを中心にマスターの熱弁で盛り上がりかなりの二日酔いである。俺はあんまり野球に興味はないのだが見れば興奮する。ガキのころから一応アンチ巨人で、これは何かと他人と違いたがったせいだが今でも引きずっている。松井、清原、高橋なんかが続いてバッターボックスに出てきて球場中がゴオーッとエキサイトして来ると確かにこちらも不覚にもカンドウしてしまうのだがやっぱり札束がちらついてクールダウンしちゃうなあ。

その35                (7/31)

 {7/28} 折角のモバイル宣言だったがその翌日、大阪のホテルに入ってからどうも不調でうまくネット接続出来
ない。大阪のアクセス・ポイントの番号は三つ入れてきたが何故かどれも「現在使われておりません」。なんだか知らんが京都にはつながったので、片山がメールしてきてくれた、このPowerBook1400のオーナーズ・クラブ(エンスー・バイクや車みたいにこういう会があるんだ!感心。)にアクセスしたら表紙の読み込み中にInternetExplorerがクラッシュ。OutlookExpressはいつまで待っても「メール受信中」の丸矢印が廻っているだけだ。接続を切るとフリーズで何度も試みたが同様だ。こうなりゃメモリ増設、と大阪の秋葉原と言われる日本橋(ニッポンバシ)に出かけたが、1400シリーズは特殊でスロットでなく既に増設してあるメモリの上に重ねるので現在入っているものと同じメーカーでないと接触不良を起こす場合がある為どこのものが使われているか調べたほうがよいと店員からアドバイスを受けた。結局閉店前のレジの長蛇の列に加わって中を開けるための小さいドライバー¥190を買っただけ。地下鉄往復¥460なのにアホみたい。おまけにホテルの場所を忘れてしまい、名前もあやふや(あちこちで色んな名前の所に泊まるからじゃい。まだボケとらんぞ!)、金曜の夜で大混雑の北新地を45分も彷徨ってしまった。部屋でワインをあおりつつ作業にかかるがどうやって開けるのかさっぱり解らなかった。下部のネジを全部外したがあと一歩で開かない。上面もいじくりまわしたがキーボードが外せたぐらいだ。見えるネジは全部取ったがコワくなってもとに戻した。あのページが見られればなあ。・・・気を取り直して浴室で洗濯をして寝た。う~ん、ロックっぽいぜ。いやブルースの哀愁か。

{7/29}  大阪HEAT BEETの初日。午後一時からホテルの地下のスポーツ・ジムのプールで泳ぐ。上級レーンで、始めはオジサンと二人だったのだがだんだん人が増えて来た。頭にきたのはネエチャン2人組で、1人ずつなら抜き易いのに往路クロール復路平泳ぎを仲良く連なってずっと続けている。更に途中からこの2人の前に平でゆったり泳ぎ続けるオンナが加わってしまった。3人もつながっていると対向者も来るから全然抜けない。2人組のほうは後ろで詰まっている俺にターンの時に気付けば2回に1回は譲ってくれるのだが前のカエル女は一向に態度を変えないのでチャンスを窺って強引に抜くしかない。まったく何考えているんだ?更に新たに片道ずつで休むオヤジが現れ、こいつが俺がヘリにタッチすると同時に泳ぎ出すのだ。リレーやってるんじゃねえ!俺はターンするんだぞ、バカタレ!!こういうワケで400mを4本の1600mでやめた。俺はこう見えても自分より速いやつにはすんなり譲るしスタート前に各人のペースを観察してなるべく干渉し合わない位置で泳ぎ出すくらいの配慮はしている。全くなんてやつらだ。部屋に帰って誘惑に負けてビールを飲んでごろごろしていたらイベンターからフロントで待っているという電話。入り時間を1時間間違えていた。大慌てで降りて行ったので衣装の一部を忘れ、本番直前にタクシーで会場とホテルを往復する羽目になった。
 ライブを終え部屋でシャワーを浴びてから打ち上げに出るまでの間にPowerBookを開けるのに再度トライ。ようやく構造が分かった。そして、じゃじゃ~ん。なぜ大阪のアクセスポイントにつながらないのか閃いたのだ。ああ恥ずかしい。大阪も市内局番が4桁になったんじゃないか!メールが受信できなかったのも実はCATEYE社が心拍解析ソフトの開発中のMac用最新版を添付で送ってくれたものが重くて受信中にこちらが「アカン、またいかれてもうた。」と中断していたからだった。アチャー。

{7/31} 昨夜の大阪第二夜で今回の麗蘭ツアー本編は終了。打ち上げでは「もう倍くらい出来る」という言葉も出た。何しろ91、93年のツアーはどちらも30本以上、演奏時間もピーク時は3時間2、30分だった。今回は2時間15分くらいで13本、内容も<これでもか、これでもか>からじっくり聞かせる構成になったので体力的にはだいぶ楽だ。観る方だって殆どスタンディングだからこういう方がちゃんと音を聴くことが出来るだろう。ま、ロング・ベースソロのある<ココナッツ・バター>をリハ最終段階で他の数曲とともにカットしなければならなかったのは当初やや残念な気もしていたが、チャボにしては押さえ目の感のある流れは成功だったようだ。何事も腹八分目。
 明日京都での、斉藤和義君のバンドとのジョイント・イベントで全て終わる。午前中泳ぐぞ。

その36                (8/25)

 8月1日の京都駅ビルの立派なホールでのイベントにてひとまず麗蘭ツアー終了。その後は梅津KIKI Band が翌々日の桐生・有隣館(本当は<隣>は偏と旁が左右逆で孔子の言葉にある古い字だそう)に始まり6日の「上野Jazz Inn」、9~11日の新宿Pit-Inn 3Daysと続いた。
 3Days 初日はギターの鬼怒プロデュースの<プログレ・ナイト>、ゲストにキーボード・清水一登、ピアノ・佐藤允彦。大変だった。何がって大体俺はプログレがなんなのか良く分かっていない。なんかムズカシそうなユニゾン・リフや変拍子の組み合わせがあって細かいフレーズがびっしりの譜面で、要するに<苦手な音楽>という漠然とした認識だ。事前に鬼怒から送られてきたテープや譜面をチェックしたが、特にフランスのバンドだという<マグマ>ってのが手ごわく、基本のベース・パターンが7/8+9/8 の箇所と7/8 三小節+11/8 の箇所が有りしかもドラムは4拍子のようで何度弾いてもテープと合わない。テープだけ聴くとベースは太くウネウネしていて適度にルーズにやっていて気持ちいいのだがいざ自分でやろうとするとサッパリである。リハでもしつこくやって一、二度は成功したものの最後にやった時はボロボロだった。しかし3日後の本番は大成功?だった。他はレッド・ツェッペリン、ソフト・マシーン、ピンク・フロイド等で比較的易しかった。難しいのばかりでは困るので小ズルく自分には手慣れた、HAYAKAWA1枚目の中の「空飛ぶ首」を鬼怒のプログレ認可を受けてメニューに入れておいたので助かった。
 2日目は<東京スカパラダイス・オーケストラ>のブラス、ホーンの面々がゲスト。すごい女性客の数。それはともかく管楽器が厚く入るとなかなかフェラ・クティっぽくなって盛り上がった。3日目のゲストはアフリカン・パーカッション&ダンス・グループの<WALK TALK>。ジャンベが中心だがベース・パートのような役割の太鼓があり、ここに自分のベースのツボがはまると実に気持ち良かった。

 翌週は CoiL のレコーディング。HAYAKAWA と同じくGOK Sound 、近藤さんのエンジニアリング。これまたヘヴィな出来になります。渋さ知らズでお馴染みの<地底レコード>より10月発売予定。
 その後3ヶ月振りのCO2 のライブat URGA。久々顔合わせの皆さんお達者でおもろかった。

 さて今夜がMissingLink at BIN SPARK、明後日が乗鞍岳ヒルクライムを涙を呑んで棄権しての KIKI Band 本牧ジャズ・フェスティバル。こんな具合で8月が終わっていくのだ。

 その37                (9/13)

 9月になっても今年は本当に暑い。暑いさなかの1日に、その十日ほど前に急遽決定した筑波学園都市でのお祭りイベント出演。アマチュア・バンドが色々出てそのトリに<HAYAKAWA>でどうかという筑波のライブハウス・アクアクの野口氏からの依頼だったがジュン<g>と北澤<d>がダメだったので石井<g>、植村<d>にたまたま空いていた片山広明<ts>を加えて殆どでっち上げバンドを編成、HAYAKAWAの数曲と片山の曲を熱演したのであった。巨大建造物の合間の広場で、池・水などもあるにはあったが兎に角暑い夜だった。翌日2日はなんとこの夏最高気温が出たがそうなることとは知らず、東松山のちょっとした山をメインにしたトレーニングに誘われて計100km走り大バテ。39度以上の日差しの中、後半脚がつりまくり、家まで10kmぐらいの所で動けなくなった時には「引退」の二文字と、かつての華麗に大型バイクを操る自分の姿が砂漠での冷たい麦茶のように幻覚となって現れるのだった。

 二日たってもヨタヨタ歩行だったが三日目にKIKI Band のライブで船橋の「月」という店に初めて行き演奏。渋いブルース酒場といった趣でチャボも数年前一人でやったとかでサイン入りのギターが壁に掛けてあった。開演前に飯屋をさがしてさんざんほっつき歩いたのと演奏のせいか、いつの間にか脚はまずまず戻っていた。
 その三日後の9月8日、KIKI Band で仙台コンサート。先月からライブがなんだかんだと続いているせいか、日増しにバンドは良くなっているのではないかと思うがそれはさておき、9日が山形・余目(あまるめ)町への移動日なので密かに自転車自走を目論んだ。地図ソフトで詳細なルート探索・マップ印刷まで行い準備万端でギターの鬼怒のバンにそっと輪行袋を載せて行ったのである。しかしカオスの若手メンバーにして仙台在住のI 君に打ち上げの席で相談の結果、交通量の多い国道を使わなければならない余目行きよりも彼の案内でいいコースを朝から走り午後ホテルに戻って車に合流という線に変更。翌日に備えやや早めに宴会を失礼したもののその分急いで飲んだようで朝はしっかり二日酔い。オマケになかなか雨足が強いではないか。一応朝食を済ませたものの、悪天候による中止方向で内心ホッとしつつベッドにひっくり返っていたらI 君から電話。「え、早川さんは雨だと走らないんですか?へえ~。」なんて言われてしまい走ることに決定。モゼールとカサーティで雨の市内を抜け5kmも走ると緑のなかのアップダウンが始まる。俺が仙台の大学で自転車部だったら強くなったかも、等と空想が始まるほどトレーニングに良い環境だ。上りも緩急あり、気持ちいい高原のような平坦路あり、暗い林のワインディングあり。どこをどう回ったのか分からないが大倉山の方まで行って2時過ぎ車に帰った。
 ここで同窓会に出席・講演する梅津氏と別れ鬼怒車に鬼怒、新井田、多田マネージャーと乗り込み余目へ出発。途中東根温泉に寄り道、雨中走行の汚れを落とす。7時過ぎ余目到着。「余目ホテル」という名の旅館にチェックイン。古い宿で俺の部屋は12畳+4畳+縁側という豪華なもの。目の前には錦鯉が泳ぐ池があり風流だ。早速主催メンバーと出かけ中華料理屋で豪華接待を受ける。紹興酒を結構いった俺は酒を飲まない鬼怒と帰ったが残りの皆さんは日本酒のおいしい所へ行ってしまった。テレビをつけたらF-1 をやっていたが2周も保たずに気付いたら終わっていた。
 さて翌日の会場、実に立派な新しいホールが美しい水田に囲まれてそびえ立っていた。ま、どうせワシらはそこの小ホールではあったがこの日も快演であった。怪宴の方では旨い日本酒と枝豆(だだちゃ豆)。鬼怒はひっきり無しにうまいうまいと食べ続け、どんぶり二杯以上の皮の山を築いていた。もう時期を過ぎたというがそれでも確かに旨い。そして出前してもらった、板にどっと数人前乗った冷うどん。なんでもここいらは酒宴の帰りに「うどんでも食ってくか」となるそうで、うどん屋は遅くまで開いているが逆にラーメン屋は早く店じまいするそうだ。そのほうが大分身体に良さそうである。ホントに身体によいかどうか、本日もほろ酔いにて解散。

その38                (10/2)

 昨夜はピアノの藤井郷子ユニットでPit-Inn だった。すんげえ難しいオタマジャクシで真っ黒の譜面が数曲あったがかろうじて終わった。けさ起きて朦朧としつつ「あ~あ、練習しなきゃ」という思いが浮かんだが、「ああそうか、昨日終わったんだ、はア・・・」というような重荷でした。MDに録ってあるが当分聞けないだろうな。

 昨日行きがけに玉川サイクルに寄って、注文してあったフランス・TIME社のペダルを受け取った。早速試したくて降り出しそうな空模様だったがトレーニングに出掛けた。途中降りが強くなったがまた上がり多摩湖経由で少し遠回りして帰ることにした。梅津氏の家の前を通りかかったので覗いてみる。いつも元気な江戸っ子奥さんのねずみさん(勿論本名じゃないと思うよ)が「あらあら、上がってってよ」というので汗臭い俺ではあるがお邪魔する。梅津氏は迷い出てしまった老犬を探しに出ていた。昨日作ったというアンコたっぷりのおはぎを遠慮なくパクつく。「早川君がひょっこり来るときっていつも何かあるねえ」、そうだった、クッキーとかケーキとか、滅多に立ち寄らないのに必ずありついてしまう。程良い甘さ加減の小振りのおはぎを2、3個平らげていると、昨日Pit-Innで久々に会った、滞在中のN.Y.のピアニストRodWilliamsがノソノソ起きて来た。やがて梅津氏が帰ってきたが犬はまだ見つからない。また別の方を探しに行った。俺も手伝いたかったが見当もつかぬし歩ける靴ではないし、雨はすっかり本降りになってきたので帰ることにした。約4km、10分弱。濡れてすっかり冷えてしまったのでシャワー後ホントは昼間からなんてとっても飲みたくないのにビールとワインをのんで昼食。昼寝していたら電話がかかってきて、犬はよその家に無事保護されていたそうだ。良かった。

その39                (10/19)

 9月下旬からCHABO Band のリハーサルが始まっていたのだが合間を縫って10月5日にアケタにて久々のHAYAKAWAライブを行った。自分のバンドとなると色々考えるので、朝はどうも「こんな詰まっている時にスケジュール入れるんじゃなかった」と幾分気が重かったのだが夕方店に入って音を出し始めれば気分も盛り返す。今回かつての自分のバンド、SALTの前期のレパートリィだった「シャーマターラのマサカリ」という曲をやった。このメンツには向いていないかと危惧していたがまずまず成功。MCでも喋ったが、忌野清志郎作詞でD.U.B.+清志郎のDANGERというユニットで85年頃出したミニアルバムに「働く人々」という曲名で入っている。数年前に出た東芝EMI時代の清志郎のベスト盤にも収録されたのは光栄。その他<Gwoh-In>からの数曲とドラム二人のデュオやそこにベースの加わったトリオのフリーな曲(?シーン?)も挿入、自分としては「やっぱりこのバンドが一番!!」という充実感を味わえた。一番出来がいいとか一番楽しいというのではなくて、色々心理的に苦しかったり不満タラタラだったりはするのだが「やったあ~」という達成感&脱力感なのだろうか。なんだ、自転車と同じじゃないの、それじゃ。

 翌6日、群馬・沼田市の「音楽工房 SoWhat」という所で梅津KIKI Band のライブ。関越道沼田インターを市内と逆に行けば川場村、川場村と言えばヒルクライム。9月のレースに出られなかった分、早く現地入りしてひと上りしてタイム測定しようかと朝まで悩んでいたのだが結局日々の疲れ+帰りの深夜運転+翌日のチャボ・バンドのツアー前最終通しリハを考え合わせ、いつものコースで午前中35kmばかり走り、軽く昼寝後沼田へ出発。初めて会った SoWhat のオーナーはルーフキャリアの付いた俺の車を見るなり「おお、自転車やるんか」と言うではないか。しまった、やっぱりこっちで走れば良かった。入り口横のオフィスにはHolksのロードが立てかけてあり、店の天井にはColnagoのフレームがぶら下がっている。グヤジイ。
 ライブには地元ブルースマンにして病院勤務および「ぬまふぐり(いぬふぐり沼田支部)」代表マーシー加藤が会長推薦という地酒「水芭蕉」をぶら下げ来てくれた。帰りに<Gwoh-In>もお買い上げ。エライ。いぬふぐり関係でまだ購入してない人よ、心苦しいだろ。早く買え。旨いおでんを囲んだ軽い打ち上げのあとぶっ飛ばして帰ったら1時間半。へたすりゃあPit-Inn から帰るより速いや。また呼んでもらおう。

 ということで8日の大阪からスタートした仲井戸麗市CHABO Band ツアー、京都、名古屋、仙台、渋谷公会堂と来て昨夜が神戸。今日は移動日で新幹線で博多、在来線に乗り継ぎ熊本に夕方到着した。今のところ4勝2敗。1勝2敗でスタートしたので上出来である。打ち上げで寝ずにいられるかどうかの勝敗。

その40                (11/18)

 11月11日札幌、13日新潟というCHABO Band ツアーの最終パート、皆は12日一旦帰京したが俺は新潟に直入りすることにして居残り、牛の獣医・木野本君と札幌・豊平川を走ったことは「自転車一代記」参照。夕方真駒内に住む高校時代の同級生、切替君宅を訪問。彼は高校時代からアイヌ文化に夢中で医学部進学の親の命令を振り切り北大に進みその研究の道を進んできた。今は札幌の私大で言語学やアイヌ語などの教鞭をとっている。この日も泊まりがけでの調査から帰って来たばかりだった。古老たちのところに通い様々な話をききアイヌ語を教わり資料を蓄える。来月はドイツの学会で発表を行うので準備が大変そうだ。いずれ彼の著作も紹介したい。

 それは兎も角、旨い魚介での手巻き寿司&おでんの楽しい夕食でした。息子の宏彰君は中一にして魚をさばくのである。さすが元釣り人、今は野球少年だが末が楽しみ。娘の遼子さんは絵の勉強中で忙しいようだ。奥さんの真智子さんは再び大学に行っていて夕食後はMacに向かいプレゼン用に北海道の土壌の分析・分布の色分け地図を作成していた。そのかたわらでビールを飲みつつ自転車、オートバイ(切替は今年中型免許を取って道内をトレール車で走り回っている)、アイヌ老人たちのいい話などで夜は更ける。ゴールデン・レトリバーの<シッポ>が時折相手をして欲しくてのしかかって来る。夜は更ける、と言っても前の晩三時間位しか寝ていなかったので(二時半まで木野本らと飲んでいたのに早朝ふっと目が覚めてベッドで作曲を始めてしまったのだ。なんか天才みたい。)ホントに更ける前に就寝準備に入ったら寝室のドアをガリガリされた。開けるとシッポが風呂場に片方落としていた俺のソックスをくわえて持ってきてくれたのだ。かしこい、エライ、かわいいしかししっかりくわえて離さない。そうか、香りがたまらんのか。救援を呼んで口をこじあけて確保、穴はナシ。
 翌朝真駒内川沿いをシッポと散歩、そのあとバスで千歳空港に向かい12時過ぎの便で新潟へ出発。楽しい滞在延長だった。

「ふくらぎ」を刺身におろさんとする宏彰少年
川沿いの朝の散歩

その41               (11/20)

  そういう案配で6月の麗蘭から始まった仲井戸麗市ツアーは13日の新潟にて終了。ChaboBandパートでは必ず楽屋に甘いものが用意されていたのだが特に印象的だったのは熊本での「いきなりだご」である。

全国に広めたい「いきなりだご」

地元出身キーボードのたつのすけのご家族からの差し入れ。最近ではあまり見ないという素朴な菓子で、おそらく元来は保存食の延長上だったのではないだろうか。5cm×3cm角、厚さ2cmの薩摩芋が堂々とおわしましてその上面にのみ薄く粒あんが塗られそれが饅頭と焼売の中間のような皮につつまれている。豪快な荒っぽさと甘さが僅かなのが良い。楽屋でも楽しんだが持って帰って翌朝ホテルで目覚めるとお茶を入れてパクついた。ロックっぺえ!!この日は九州のFM局を中心に活躍するかなぶんや氏もトワ・グリュというところの一口シュークリームを大量に差し入れてくれた。これもまた旨く控えめな甘さで何個も手がでてしまった。

 新潟の帰りに日本橋の画廊で足利在住の版画家・柏瀬乃理子女史の個展を覗き一種不可思議な世界に引き込まれ、ひととき美術的気分を味わった。欲しいと思った作品が売約済みだったので後日の刷り増しをオーダーした。こういう場にいると自分も何か作りたくなる。小学校のころは絵描きになりたいと思っていた。僅かな名残で年賀状は版画で作っていたのだがいつの間にかパソコンで自分のレース姿を印刷するようになり迷惑がられている次第。それでも時には絵でも造形でも何かやりたいと思うことがある。
 しかしそういう微かな衝動も帰宅後翌日のHAYAKAWAのリハ、翌々日のライブに備え札幌の朝の曲を仕上げて曲順などを考えているうちに雲散霧消。いずれは・・・。

その42               (12/ 7)

 久々にパソコン・ショップに行った。いろんなMacがあったのでヨダレが出そうになった。しかし気をしっかり持って目的のものをチェックするだけで店を出た。目的のものとはオーディオ・インターフェイス。この間の札幌行きの時の木野本君への手みやげに生活向上委員会の87年11月の、渋谷ジアンジアンでのライブ・テープをCD-Rに焼いて進呈した。生向委前期は会計だの渉外だのと分担を決めてやっていて俺は几帳面な性格を買われて記録係ということになっていたから結構な量のカセットテープが残っている。周りの諸君には高嶺の花だった、当時出たてのSONYの「カセット・デンスケ」というでかいポータブル・デッキを所有していたので音もいい。しかしいざCDにするとなるとiMacのサウンド入力はマイク入力兼用でオートレベルになっていてアナログ音声の取り込みには使い物にならない。そこで推奨CPU266MHz以上メモリ64MHz以上というのを無視して133MHz/48MBのWindowsノートで焼いた。見事成功したがやはりダイレクトにパソコンとCD-Rレコーダーとでやりとりすると電気的ノイズが入ってしまう。そこでインターフェイスが欲しくなったワケ。
 しかし悩む。最初考えていたRolandのUA-30の動作環境はMacOS 9.0.4、CPU300以上、メモリ64以上。メモリはクリアしているがCPUが大問題。我がiMacのCPUは233、アップにはiMacの場合その特殊性から2社しかカードを出しておらず値も張る。その値段出すならずっといいWinマシンが組めちゃうぜ、といじるのが得意なジャンク・マニアKに言われるし、Win.で使うのならなんとCPU166以上でOKなのだ。次候補のオンキョーSE-U55は今のスペックで行けそうだがOSはやはり9.0.4以上、現状は8.6なのでどっちにしろなんとかせねばならぬ。一番安上がりなのはWin.ノート(DynaBook)のCPU&メモリを上げることだ。これなら遙かに安価だ。なんてウィンドウズのパーツは安いのだ、うらやましい。

 その43               (12/20)

  日曜のレースでズタボロになった脚を引きずってヨロヨロしている日々。月曜、新大久保に尺八の土井君のライブに出掛けた。疲れが取れていないのか、車を運転していると明らかに視力が落ちている。そこへ来てこのバンドではウッドベースなので握力が保つかやや心配。細かいユニゾンも多々あって難しい。夕方から本番直前までリハ、慌ただしくラーメンを食ってスタート。1ステージ目無事終了、休憩に入ったところで何と停電だ。ビルの電源の故障かと思ったらそこら一帯真っ暗。大久保通りに消防車やパトカーがいるものの焦げ臭いが消火活動をしているわけでもなくそれ程の騒ぎではない。後でわかったが電柱のトランスが破裂したそうだ。店に戻ったが一向に回復の兆しはなく、蓄電池で暗めに点いている蛍光灯の元でナマ音で2ステージ目を始めた。尺八、ウード、タブラ、ピアノとベースという編成なのでアンプやPA無しでも音は出る。とは言ってもある程度スペースのある所で素で弾くのはきつい。他の楽器に劣る音量を力任せで補おうとするから指はヒリヒリ。蛍光灯も電池切れで消えかかって来て譜面がよく見えない。ラスト前の曲の苦行のようなベースソロが終わったところで電気が来た。くそ、デンキに頼っているのも悔しいが生だと大きく弾こうとすれば指は動かず、細かく弾けばショボイ音量になってしまう。あ~つらかった。
・・・ところで近辺にはコイン駐車場が多い。俺は車をマスター推薦の、やや離れたここいらで一番安い所に止めていた。他に二人がすぐ近くの一番高い所(俺が止めた所の2.5倍)に止めていたのだが停電のお陰で復旧までの分がゼロになっていた。俺のところは停電しなかったらしい。ちぇっ。
 翌火曜は西荻でMissingLink。年末ということでDJも入って狭いながらガンガンやった。ふと冷静になると前日のお陰で指先は痛いし両ふくらはぎはパンパンだし、終わって片づけながら足を上げるたび「イデデデ」と声をもらす有様。今日水曜も脚は回復しない。ということでシゴト無しなのだがトレーニングもジムも無し。指もいたわって楽器練習無し。そういう事なので昼飯に堂々とワインを飲みながらエリンギ、黄ピーマン、鶏のパスタを作って食べた。そのあとは心おきなくパソコンに向かい夕方は「大岡越前」を見た。よたよた図書館に行って本を借りた。いいねえ、隠居生活。

その44               (12/30)

 とうとう今年も終わる。ガチガチだった脚は前記の翌日用事諸々を済ますのにロードバイクで10km位無理矢理走ったらその翌朝にはすっかり直っていた。ということはレース直後のあのケイレン状態でもセオリー通りクールダウンをきちんとやったほうがいいんだろうなあ。でもやっぱビールだわな。

 年末っぽいことの一つに梅津企画の「明日はどっちだ・ゴールデンファイト」というシロモノが江古田BUDDYで一昨日執り行われた。D.U.B.とKIKI Band の二本立て+太田恵資<vln>,スティーブ衛藤<perc>。どうも複数バンドだと(勿論自分のバンドの時はそれどころでは無いが)習慣的に漠然と「あ、楽だな」とか「空き時間なにすっか」と思ってしまう。2つとも自分が弾くというのがピンと来ない。しかしメールで届いた曲順表をい見るとこれはオオゴトだ。やたら曲数が多いしメンバー構成も入り乱れており休み処はなさそうだ。おまけに昼前に梅津さんから電話がかかってきて<PopUp>と<タンゴ>の譜面は無いかという。共にD.U.B.の大ヒット曲で俺の作であるが81、2年の曲でバンド活動期も87年解散後の1,2年に一度のライブの時も譜面など使っていない。鬼怒、太田を加えるので必要だと言うから探してみたがどこに行ったか分からないので出掛ける前に慌ただしく書いた。
 着いてリハを始めてみれば順調この上なく本番三時間前にすることが無くなってしまった。片山、菊池と軽く飲み屋で時間つぶしをしてからラーメンを食して会場にもどり、やがて開演。KIKI Band2曲後、+太田で1、+片山で1曲。D.U.B.で2曲後、+太田1、+鬼怒1。休憩後、梅+鬼怒+太田で1つ演ってからKIKI+D.U.B.+スティーブ+太田で3曲+アンコールと言う大団円。この2バンドミックスはステージ上では音量的に打楽器群にかなわなくて、外音はベースはガンガン鳴っていたそうだが自分にはあまり聞こえず、くそっ俺のバンドだって2ドラムスなのに負けてたまるかとワケの分からん力みが入ってまたまた指先ヒリヒリになってしまった。コーちゃんの堅実リズムに菊池の独特のコブシのどたばたフィルが絡み合って、はまると痛快。さらにスティーブのドラム缶やパッドも加わって笑っちゃう程気持ちいい場面が多々あった。
 しかし疲れたワ。腰にきました。翌日つまり昨日回復のため?ジムで筋トレとスイムをやったら疲労倍増。

 今日はカミさんからせっつかれている大掃除のイントロ(本番は年明け)、明日はアケタの年越しセッションに早い時間顔を出したあと夜中すなわち新年Pit-InnでKIKI Bandだ。本当は炬燵(ウチには無いのだが)で日本酒と年越しそばといきたいところなのだが。